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公開日:2020年7月23日
更新日:2022年7月1日
なんだか釣りみたいな本のタイトルみたいになってしまった。
博士後の進路の体験談として見つかるものは、アカデミアのものがどうしても多くなり、そちらに偏っている。後述するが「博士を取ってアカデミアの研究者にならないやつは負け組」という雰囲気や論調を持つ人物は一定数いる。一方で、席数との関係からも、博士号を取得して、アカデミアに残っている人数は、統計的には多くないはずである。一説によると2-3%程度のようである。
この記事では、それらに対抗する目的で、人数も多い他分野への就職について述べる。
「日本の理系院生の外銀・外コン・外資ITへの就職」というのは結構前から傾向があるが、実はこの傾向は日本だけではなく、諸外国(北米・カナダ・ヨーロッパ・シンガポール・香港など)の特にSTEM (Science, Technology, Engineering, Mathematics) PhDなどでも似たようなことが起きている。むしろ日本よりも顕著かもしれない。
私が所属していたケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所でも例外ではなかった。アメリカなどでも似たような傾向があると時折耳にする。中にはあまりにもありふれた普通過ぎるの進路として抵抗感を覚える人までいる。実際当時は私も一時期そうであった。
当然博士号を取得してアカデミアで研究を続ける人もいる。しかしこれは全体から見ると少数派かもしれない。そもそも最終的な常勤の教員の席数がそんなにない。グローバルトップ校にこだわるのであれば、猶更である。
PhDを取ったら、誰しもがアカデミアで教授を目指すものの無理そうだからそういうところに就職する、のかと思いきや、これが全員がそうというわけでもない。
日本の大学なら一発で教授になれそうなほどの実績をPhDの在籍過程中に出した人(日本人ではない)もいたが、彼は今コンサルで働いている。他にもファンドや分野を変えてGAFAなども多い。
逆にアカデミアでの就職を希望していないが、民間の企業に落ちまくり就職が決まらなかったからポスドクをやっている、という例も何件か見かけた。そういう人はひたすら就職活動を一年中していて、1-2年後には企業に決まって就職をしていた。
むしろ企業に就職した人達が、同僚でポスドクとしてアカデミアに残った人の生活がきついという話をする際には「まあ自分で選んだ道だからねぇ・・・」というスタンスであったこともある。
よってPhD後の進路は適性や能力というよりも、むしろ「自分がどうしたいのか?」という志向の問題である可能性が高い。
この記事にはこれについて考えていきたい。細かい例外はいくらでもあるが(もしかしたら自分の例外側かもしれない)、ざっくりとした傾向として捉えていただければ幸いである。
なお外国から見ると外資ですらないし外資という表現自体が日本語なのだが、日本でよく言われている外銀・外コン・外資ITを含む金融・コンサル・ITをこの記事では簡単のため「3業種」と呼ぶことにする。そして筆者は3業種側に就職しているので、どんなに気を付けてもそちら側のバイアスがかかっていることを予めご了承いただきたい。
採用側の視点
起業する、出馬する、ヒモになる等のような選択肢は常に隣り合わせであるが、大学院生のPhD取得後の主な進路は主に3つ。アカデミアか、民間の類似分野での研究職か、分野外かである。基本的にアカデミアを目指す場合にはポスドクや常勤の教員職に応募することとなり、民間の場合には企業に応募することとなる。同業種の企業の場合には、教員や学会づてで連絡が来ることもあるので、傾向としてはアカデミアに近い。もちろん国や機関によって差はあることだろう。
宣伝
アカデミアは低待遇だが、競争が激しくなりがちである。しかし研究室には募集の広告宣伝費はほぼないので、人づてに募集・応募をすることになる。一方で、3業種は分野外に含まれるが、採用側もこのSTEM PhDを主なターゲットのひとつにしているようにすら見受けられる。企業は豊富な広告宣伝費を使い、積極的にリクルーティングを展開。大学の建物でディナー・立食パーティーを開催。とあるコンサル企業は学生向けに無料の研修(という名の海外旅行)を開催したりもしていた。その際の学生の参加者はもう8割程度がSTEM PhDであった。
ただし積極的に宣伝もされるし、勧誘もされるが、選考はそこまでザルのように簡単ではない。全滅せずにひとつくらいに引っ掛かるよりも、PhDコース自体に入るほうが難しい気はするが、それでも軒並み落ちる人もまあまあいる。私もいくつか受けて落ちたりもしている。(面接で「激務が嫌で7時間は寝たい」と言って落とされたりとかもある)。
逆に面接で「あれ?この人たち世間の噂程レベル高くはない・・・?」と感じた例などもある。
理系の研究系のバックグラウンドで落ちる方は、思考力よりもコミュニケーションの部分で落とされることが多いと聞いている。これは実際の感覚とも近い。ヘッジファンド等でもここは重視されているようである。内定者が考えるクオンツ・ヘッジファンドの就職対策
年俸≒評価
メンタリティがアスリートと同様であるが、資本主義社会において、資本は評価と高い相関があるといっても過言ではない。マーケットの評価とはそういうことであろう。
アカデミアはレッドオーシャンどころか血で出来た海みたいな熾烈な競争を繰り広げているが、収入自体はそんなに高くない。能力に対してはむしろ低いくらいである。特に常勤になる以前の特任やポスドクなどではこの傾向は顕著である。場合によっては無給だったり、最低時給のアルバイトに負けている。
一方で博士課程での研究と同業で企業に就職した友人によれば、「同じような実験室で、同じことをやっているのに、年収が3-4倍になった」といっていた。
一方で3業種の領域で就職すると、今度は納めている税金が、大学院生やポスドクの収入位になる。実際に私がオファーを頂いたポジションも、軒並みこのような感じであった。業界や物価の違いもあるが、どれも初任の基本給の時点で日本円換算でこちらのP23 第11条関係 教育職俸給表イ 教育職俸給表(一)6級21号(日本の国立大学の基本俸給の上限)よりも高かった。
さらに副業を認める企業も増えてきている。私も個人事業主に加え、一般社団法人の代表理事、株式会社の代表取締役をはじめいくつか並行して取り組んでいる。
使うか否かは別としても、資金に余裕が出来ると心にも余裕が出来る。貧すれば鈍ずる。貧しなければ鈍ずらない、かもしれない。事実、無職期間を経ているので、使う以上に収入があることは精神を安定させることを身をもって体感している。
なぜ待遇・年俸・資産にこだわるべきか?余裕・評価・リスクの視点から
元々物欲がないだけなのも関係するが、普段生活していて値段で躊躇することがなくなった。高めの本でも楽々ポチる。実際に、はなまるうどんでかけうどんに天カスとネギを大量にかけるだけでなく、付け合わせのかき揚げも追加で頼むようになったし、ラーメン屋でも替え玉をするだけでなく、味玉も頼んだりするようになったくらいには相当にリッチになった。最近では昇進もしたので、さらにレンコン天を頼んだり、全部載せトッピングを頼んだりもすることもある。
福利厚生
福利厚生も異なる。大学院生やポスドクでは、薄給で、手当もほぼない。
研究費などもあるが企業の比ではない。民間で就職するとこちらも手厚い。正社員は有休なども多い。
特に目に見える差では、海外出張が顕著である。大学院生の時に参加した学会では大学院生とポスドクでかなり安い宿に泊まった。フランスの集合住宅のような建物の一室で、窓には蜘蛛の巣が張っていたし、トイレは共同。クーラーもゴーゴー音がする床に設置するタイプであった。ホテルに泊まったこともあるが大体2-3つ星くらいまで。費用も自分の研究費から払う。
一方で、現在の海外出張での滞在先は、ジム付き・プール付きの5つ星ホテルである。荷物は勝手に部屋まで運んでくれてしまう。部屋にはクリーニングを取りに来てくれたりまで。海外出張ではさらに手当までついて、収入はさらに増えてしまう。アホみたいにリワードとマイルが貯まる。
業務内容
おそらく最も差がつくのはこの部分である。アカデミアではもちろん研究を行う一方で、企業における業務内容は業種によって千差万別である。ただ研究自体も分野や研究室によって大きく異なる。一般傾向だが、同業内であれば年俸が高い仕事の方がよりエキサイティングになりがちな傾向を感じる。
特に金融・コンサル・ITの3つの中では、IT系企業はまだ研究の側面も強く、GAFAを中心に大規模な研究所を保有している企業もある。大学と同等のことを行っているのに待遇だけ数倍という方もいるのではないだろうか?
業務内容は就職先やプロジェクト単位でも全く異なるものであるため、比較するのが難しいのだが、個人的な経験と話を聞く限り、少なくともアカデミックな研究と比較して、ひどく劣った内容の業務であるとは個人的には感じていない。もちろん研究のほうが良かったという話も、企業の方が楽しいという話も両方耳にする。
ただ、研究者が成果を公開する一方で、特に金融・コンサルはかなり面白いことをやっていることもある。「あの世界的なニュースになった件、実は担当してた。」みたいなこともある。しかし、守秘義務で公開することが出来ない。これにより比較は余計に難しくなる。
理系院生やPhDの学生も、元々は少なからず研究に興味があったことだろう。しかし研究自体は面白いものの、当たりはずれの運の部分も大きいし、大変な部分も多い。さらに運要素が強いのに競争も激しい。アカデミアには大きく見れば「人類の知への貢献」という重要な部分があるものの、背に腹は代えられないし、ここまで企業との待遇に差があると、そちらに移りたくなるのも自然であろう。
更に日系企業の場合、新卒以外のルートがなかなかにないので、博士号取得者を受け入れる土壌もない。結果としてこのような業種に集まっているという側面もあるだろう。
永遠の愛を誓ったとしても2組に1組ないし3組に1組程度は離婚する世の中である。最初は興味があったとしても一定の割合で途中で業務や研究対象に飽きたりするのは自然なのではないだろうか。そして対象の研究に飽きて辞めたくなった場合、他に待遇がいい引きがあれば、そっちに移るのも当然である。そして営利団体である企業は、したたかにこのタイミングを狙っているようである。
アカデミアのスタンス
上記は待遇の差と、採用側の視点が主であった。一方でアカデミアはどうなっているだろうか?なおいうまでもなく分野にもよるだろう。以下は主に物理・材料系の話である。
アカデミアの教員は、学生時代から大学の業界から出ていない人や、一度企業に就職し、待遇が悪いのにもかかわらず、やっぱりどうしてもアカデミックな研究がいいと大学に戻ってきた人たちで大半が構成されている。そして競争も激しいために、レースに勝たないといけない。このため必然的に多くのが「アカデミアが最高」・「研究職が至高」・「待遇よりもアカデミアの研究」と考えている傾向もあり、場合によっては全人類がそう考えているのではないか?と考えていると思われる方もいる。
大学の研究室では、研究室の卒業生の進路先が、他の大学の研究室であったり、教員になると就職先や研究室名が明記されるが、それ以外になると進路先の組織名を載せない、という傾向がある。講演などでも、教員や研究職になった場合のみ進路先が書かれるなど。もちろんこれは習慣的や文化的なものでもあるし、師弟関係のトラッキング等の理由もあると思うが、アカデミアに多かれ少なかれ存在している「教授になるのが正義」・「アカデミアで常勤になるのが至高」・「研究者が最高の職業」という雰囲気と、偶然なのか必然なのか一致している。
日本のアカデミア
日本ではこの傾向が特に強い。大学院生が3業種に就職するというと、教員が怒りだしたり、裏切り者扱いをされたという話もよく耳にした。実際に、私も日本の大学で「外資系投資銀行でインターンシップをする」といったら、「そういうところは受けてはいけない」と発言した教員や、露骨に嫌そうな顔をした大学教員は存在した。そういった発言をするだけならまだしも、露骨なセクハラ・パワハラを始める例も耳にする。
基本的に薄給な業界なためか、お金の話をしないのが美徳だと考えているのか、採用の際に給料の話をしたら内定取り消しになった話まである。日本からポスドクとしてケンブリッジに留学している方にも、民間に就職するというと、驚かれたりしたこともある。
研究だと実績が上がればあとは何でもよいという風潮もあり、人格破綻者でも、実績があれば非難されないこともあるという業界の傾向も原因にあるだろう。
実際には、先述のように世界のトップクラスの大学の学生が大学に「生き残れる」ほどの実績を上げていても上記3業種に転職している実態や、大学の教員ですら民間に転職している例が散見されている状態である。特に情報分野で研究所を持っているIT企業へ移る例は度々耳にする。よって客観的に見て本当に「正義」や「勝ち組」なのであろうかは、見方によって変わりそうなところである。AI研究者の引き抜き続々、米大学からIT大手へ
とはいえ、せっかくやってきたのだから、他の業界に移るだなんてもったいないという日本人の考え方に強くあるサンクコストなどの可能性も高い。さらに日本では、新卒採用・終身雇用・年齢年次が強い文化であるために、年齢が上がった後では、仮に興味があっても移るに移れないため、引くに引けない状態になり、自分がやってきた研究に半ば固執し執着して、正当化するしかなくなっている可能性もある。
次の記事のように、アカデミアや理系推薦就職でない場合に嘆く理系教授がいるようである。
1990年頃までは、理系の就職はかなりの部分が推薦で決まっていたと記憶している。1980年代半ばに「東大工学部から外資系コンサルや金融業界に就職する者がいる」と理系教授が嘆いていたことを思い出すが、極めて少数だから嘆くレベルで済んでいたのだろう。1000人調査で見えた「理系院生」の就活のリアル
そもそもなぜ裏切り者扱いしたり、嘆いたりするのだろうか?冷静に考えれば、学生がどこに就職しようが、特段問題はないのではないだろうか。何に対するどういった裏切りなのだろうか?
様々な言動を推察すると次のような感じだろうか。
裏切り者扱いをしたり、嘆いたりする教員は、自分の今までの人生や進路を認めてほしいと願っていたものを、簡単に否定された気分になっているのではないのだろうか。周知のように教員になるにあたって通る道のりは厳しい。日本の大学院の待遇は、生活保護未満で、見方によっては懲役刑にも負けそうである。ポスドクも多くは薄給であり、任期があり不安定。しかしそれでも待遇には見合わないくらい競争も激しい。そんな中を様々なものを犠牲にして、やっとのことで常勤の教員になった。常勤のポジションにつけたのは自分史上最大の誇りであり周囲からも称賛されると思っていた。後継者になることを期待していた部分もある。しかし後輩や学生たちには、その進路を早々に避けられるので、承認欲求が満たされず傷つく。
教員の中には民間就活をしていない、3業種についても、やったことも受けたことが無いから分からない、とした上で「就活なんて無駄」・「企業とかしょうもない」等と端々に見下す発言をする研究者の方も散見された。やはり根底で「アカデミアが至高」と考えているのだろう。客観的に見るとそのような方々が上記の3業種を受けても、能力的にも人格的にもどこにも採用されないのではないか、むしろコミュ障過ぎて研究職以外何もできなさそう、と思われる方も中にはいらっしゃった。
よって、日本の大学院では、かの有名なアッシュの同調圧力の状態が自然とできている。
日本の大学の大学生・大学院生から見た場合、学生が大学で接する大人は多くが、過去現在この状況に置かれた教員であるために、学生は日常生活の中で半ば軽い洗脳状態になり「研究者が至高。外銀・外コン・外資ITは裏切り者。」と刷り込まれている可能性もある。学生に対して「研究をやらない人は、就職もうまく行かない」と呪ったりするのも同様であろう。実際のところは多少の相関はあるかもしれないが、研究を真剣にやらない人は、就職もうまく行ってほしくないと思いたいだけの可能性の方が高いのであるけども。
そして現状の制度としても、日本の大学では研究室に大学院生が進学すると、学費が儲かるし、無料の労働力が手に入るし、場合によっては大学からも補助が来る。学振などの制度は学生が勝手に外部に申請するものだから、どちらにせよ教員の懐は痛まない。よって立場上教員も、学生に研究を薦め、洗脳したほうが得をする仕組みになっている。そして日本の大学の特に博士課程の卒業後の進路は大変であるが、そんなことは学生の自己責任とする。教員によってはそうは思っていないかもしれないが、仕組み上それで問題ない構造になっている。
総じて客観的に見れば日本のアカデミアの現状と今後は、このような感じだろう。
2018年問題として知られる大学生の数も今後さらに減少予想で、相変わらず待遇も多くは非常勤で決して良いとは言えない。最終目標となる大学教授ですらも、ごく一部の大型予算を取れているか、トップクラスの機関に在籍しているような一握りの有力研究者以外は、日々の雑務に追われ、研究時間はなかなか取れずに待遇もそこまで良くない。学部や修士に在籍していた優秀な学生は、早々に就職をするか、進学を希望していても海外を含め他の有力大学に進学。自分の研究室に残るのは微妙な学生になりがち。そして今後はさらに少子化が進み、日本自体もより斜陽になり貧乏になり状態がさらに悪化しそうである。いくつかデータもあるようである。もちろん制度が変わる可能性もあるが、文化的なものも含めると10年単位での年月が必要である。
悲惨なポスドク…東大博士号でも非正規、40代で就職活動、夢は中国で研究者
個人的には成果もないのでまず採用はされないと思うが、採用されるかどうかは別としても、正直頼まれてもやりたいとは思わない。
この件については詳細に考察した。裏切り者?なぜ日本の大学院・博士課程やアカデミアは歪んでいるのか?
もちろん何をやっても成功しそうだが、本当に研究が好きだからアカデミアに残っているという人格的にも素晴らしい教員の方々も中にはいらっしゃるのは言うまでもない。習うならこういう方々に習いたいものである。
終わりに
さて「なぜ理系院生・STEM PhDは外銀・外コン・外資ITに移る傾向があるのか」という問いに対しての端的な答えは、どうしても研究が行いたいためにアカデミアに残ったり、大学に戻ってくる人材がいる一方で、待遇も扱いも良い一部の企業がSTEM PhDを採用ターゲットにしているために積極的なプロモーションの結果移る人が多いという状態であろう。
永遠の愛を誓って結婚しても半数程度は離婚する世の中なのだから、「元々研究に興味があったがそこまで研究だけでなく、他の事でもいい」と一定数が考えるのは自然で、引きも待遇もいい方に移る人がいるのは当然の流れであるといっても過言ではない。
中にはどうしてもアカデミアでしかできないような研究もある。国際的な巨大装置を使うようなものは猶更である。どうしてもこのタイプの研究を行いたいのであれば、待遇なんて度外視でアカデミアに残るしかない。
日本の場合は特に博士課程は状況が少し異なる。知る限りでは、諸外国の博士課程に在籍している人材と、日本の博士課程に在籍している人材の指向と性質という意味での人種も異なっている印象である。前者は主に自他ともに労働者と認識している。もちろん各国の制度によって労働対価という形ではなく奨学金やグラントなどの形の場合もあるが、いずれにせよ自費で学費を払って、無償で研究をしたいというスタンスの人材は皆無である。
一方で、後者は学生で学費を払って学振に採用されない大半の人は修了後の進路が悪くても、無料でもいいから、学費を払ってでもいいから、どうしても研究が行いたいと考えている人が集まる傾向に現状なっている。元々のスタンスが違うのだから、在籍している人材の傾向や進路の志向も異なってくるのは当然ではある。
個人的な体感でざっくりいえば、諸外国の博士課程には「日本の理系修士の学生で、研究もやりつつ就職もやる人物をそのまま強化したような多才系リア充タイプ」が多い印象である。日本でも就職の際に企業から人気があるタイプの人材となんとなく重なる。
仮に研究を目指す場合でも、こういう感じで採用ターゲット校で博士号を取り、リクルートを頻繁に受ける状態を「滑り止め」にするのが良いのではないだろうか?
このような状況であるので、これから進路を決める特に大学生の方々は、客観的に見て、総合的に判断して、進路を決めていただければ幸いである。