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公開日:2020年9月23日
更新日:2020年9月28日
こちらやこちらの記事が地味にバズってしまった。
裏切り者?なぜ大学院・博士課程やアカデミアは歪んでいるのか?
あくまで仕組みと構造による力のかかり方と、それに伴う考えについて書いたものなのだが、要所要所で「待遇」と言っているせいか、金の亡者みたいなコメントもついていた。さてそうだろうか。仮にそうだとしたら、就職先はクオンツのヘッジファンド等にしていただろうし、変わったスポーツなんて絶対にやっていないはずである。そのために日本に戻ったりもしていない。そもそも博士課程にも進学していないだろう。奨学金が出るといっても、直近の収入なら、日本の大学を卒業してすぐに外銀にでも就職したほうが年収は高かったはずである。
そして私は労働者として働いている時点で、全くもって金持ちではない。しかしそれでも待遇にはある程度はこだわるべきであると考えている。金融分野のコンサルによるリスクの視点、羽振りがいい業界とあまり良くない業界を両方取り組んでいる観点から、今回は待遇について触れていきたい。
心の余裕
金銭的な余裕は心の余裕を生む。個人的な経験と共に述べていきたい。
日雇いアルバイトの経験
大学生の時に、日雇いのイベント設営のアルバイトに参加したことがある。理由はいろいろなところに行ってみたかったためである。まず集合場所が柱の脇。誰も目を合わせもせず、挨拶もしない。時間にあったら唐突にリーダーっぽい人が動き出し番号で呼ばれる。その後ヌーの大群の川の横断のように作業場所へ移動。この間も話し声はほぼない。到着した大きなホールで作業をするのだが、作業中はエアコンが止まっていた。いや正確には作業が始まるときに止めたらしい。私たちはまだ建物の中で汗をかきそうな仕事をしているのだけれども・・・。
業務でも指示の意図がよく分からなかったので質問をすると。重鎮と思われるおっさんに「あ?てめぇそんなこともわかんねえぇのかよ、頭わりぃな」とか言われ業務の効率を上げようとしているのに罵倒される始末。一言で言えば、数合わせに呼ばれているだけで、人間として尊重されている感じはしなかった。なんとなく全体的に淀み、殺気立っていた。この状態では心は荒むし、攻撃的になってしまうのもなんとなく分かる。
同様に私は大学生の時には、町工場で実習経験を積んでいる。彼らの待遇がどれくらいだったかは分からないが、こちらも全体的に余裕が無い様子で、言葉がきつめであった。肉体的には結構大変である。そして工場は暑い。とある町工場にて- 世界の分断の狭間で
「健全な精神は健在な肉体に宿る(誤用の方)」この疲弊しきった状態では頭を働かせるのも大変になってしまった。
少なくとも比較対象としての経験にはなったようである。
無職の経験
私は数か月程度ではあるが、博士課程を卒業確定後、無職期間を経験している。勿論ある程度の貯金はあったが、そして出口の見えないトンネルの状態では、貯金を切り崩すのにも抵抗があった。何事にも値段も気にしてしまうほどであった。
節約のためひたすら同じサンドイッチを毎日。夜は同じパスタソースと醤油をかける/かけない・コショウをかける/かけない を順列組み合わせとして味をちょっとずつ変えていた。
留学中の貧乏生活ブログ。実践!食費1ヶ月1万円生活は成り立つか?
なるべく財布を持たず、マルエツで78円のペットボトルのカフェラテを買うのが主な出費のような生活であった。ファミレスで50円の違いで頼むメニューを迷うこともあった。どんなに少ない額でも、値段を気にしなければならないこの生活は相当に応えるものがあった。電車代ですらも勿体ないと感じ、外出も億劫となった。
当時は無職期間の暇を生かし、今後に生きると思い機械学習の勉強をしていた。しかし正直この状態では明らかに生産性も思考能力も落ちていることに気が付いた。そして何事にもやる気もなくなっていた。朝起きるのも億劫になりがちで、時間があってもボーっとすることが多くなりがちであった。
スポーツ分野での経験
個人的な観測では、スポーツ分野では横領などの金銭トラブルが散見される。これは芸術等直接的な収益性が低くなりがちな分野でも同様のように感じる。勿論横領といっても様々で、ランサムウェアなどのサイバー攻撃で数百億円が盗み出されたみたいな話はあるが、おそらくこれはモチベーションが異なる。組織的な犯罪は言ってみれば一種の仕事であるが、スポーツ分野の数万円単位の横領は、おそらく暮らす金にも困っているのだろう。
スポーツをはじめとしてエンタメ業界は、人の入れ替わりが激しい。頻繁に辞めるために転職が多く、担当者が頻繁に入れ替わっている印象である。これもおそらく待遇が関係している。待遇を度外視でただ「好きだから」という純粋なモチベーションで働けるのはおそらく1-2年である。そして生活は数年たつと環境も変わる。進学、転職、転勤、結婚、出産等々。そんな中で気になるのはおそらく待遇である。一度やりがいや経験で満足した結果、待遇の不満が目につき他業種・他業界に転職している印象である。
一方で「Windows2000」と呼ばれるような「年収2000万円の窓際族」は、たとえやりがいが無くとも、なかなかやめないのと対応する。何もしなくて年収2000万円の仕事はなかなかないだろう。
私が勤めていた商社業界では「窓際族で年収2000万円」という素晴らしい待遇のことを指します。
貧すれば鈍ずる
よって上記のような状態はまさに「貧すれば鈍ずる」状態であった。特に長期的な視点に立ったり、利益を度外視して取り組むことが必要になる業界では、自身の生活の安定が必要になる。手元の金を気にしながら日々の生活することは、パフォーマンスを劇的に悪化させる。
研究も同様である。研究はある程度の余裕が必要な活動である。心身ともに疲弊していては、考えるのも難しくなる。実際に日本の研究業界は大変な状況となっている。運も大きく関わるのにもかかわらず競争は異常に激しい。さらに何でもいいから見栄えがいい結果が出ないとクビになるという状態では、長期的な視点に立って余裕をもってじっくりと取り組むのは非常に難しい。こういう意味でも日本の学術環境はあまり良いとは言えないように感じているところである。
何かをやるにもまずは自分の身の安定と安全が確保されないことには積極的に取り組むことは難しい。
個人的には就職をしてからも、支出はそこまで増えていない。むしろ大学院生や無職の時とほとんど変わっていない。よってひたすらに銀行口座に毎月振り込まれ続け、数字が勝手に増えている状態である。この勝手に増え続ける状態では、減る場合と比べ心の余裕が全く違う。もうわざわざ少し遠い西友やマルエツのセール品のペットボトルを買いに行くこともなくなり、ファミレスで値段を気にするどころか、混みがちなファミレスには行かなくなった。
仕事や趣味にも集中でき、必要な道具も値段を気にせずにスペックだけに注目して即購入できることで、環境がさらに整い生産性もさらに上がる。
資本主義社会では、投資をすれば資産には金利が付き、さらに複利で効いてくる。しかしそれ以上に、時間的にも精神的にも複利で効いてくる印象である。
そして万が一クビになっても余裕があるので仕事も選べる。日銭を稼ぐために心身ともに疲弊してしまう上記の日雇いのアルバイトを自ら進んで行う必要もない。
リスクの観点から
リスクを考える際には、シナリオやケースと言ったストーリーを考えることが多い。簡単なシナリオを考えていきたい。
メキシコの漁師とMBAの話(改)
よく話題になるこちらの「メキシコの漁師とMBAの話」に言及したい。
とても魚釣りが好きな漁師がいました。
漁師は好きな時間に起きて、釣りをして、子供や友達と遊んで楽しく過ごしていました。ある日、あるビジネスマンがその漁師のそばにやってきて言いました。
男:「やあ、すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの?」
漁師:「そんなに長い時間じゃないよ」
男:「へぇ、君は魚釣りが得意なようだね。せっかくならもっと働いてみたらどうだい?」
漁師:「自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だよ」
男:「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの?」
漁師:「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」男:「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。
部下を雇ってもっと売り上げがでたらボートも買おう。そうしたら仲介人に魚を売るのはやめて自前の水産品加工工場を建てて、ビジネスを大きくする。
その頃には村を出てロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ。そうすれば老後もお金ができるよ」漁師:「なるほど、そうなるまでにどれくらいかかるのかね?」
男:「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」
漁師:「へぇ、それからどうなるの?」
男:「そしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、
奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 どうだい?すばらしいだろう」
【原本】メキシコの漁師とMBA持ちの男の話(和文・英文)
確かにこれだけを読めば、納得できそうな話である。
しかしこの話では、あることを前提としている。
それは不測の事態には巻き込まれないという前提である。
もしこの漁師のメキシコの湾岸で急にタンカーが座礁し、原油が流れ出しこの一帯で釣りが出来なくなった場合にはどうするのだろうか?この漁師は釣りのスキルしか無く、無一文の場合には生活が厳しくなるかもしれない。一方で、ある程度資産に余裕があれば気にしなくてよい。ただ別の国に引っ越したり、趣味の釣りが出来なくなっただけである。他のことをすればよい。
こういったなかなか起きえないが、万が一起きたら致命傷になるリスクに対しては、保険などを使ってリスクを移転(Transfer)するのが定石であるが、このメキシコの漁師が保険をかけているようには思えない。
そして不測の事態が起きるとこのメキシコの漁師は詰んでしまう。
「ネタ投稿にマジレスをするな」という批判が来そうではあるが、意図は理解いたければ幸いである。
今回の新型コロナで似たような状況に陥った人もおそらくいるはずである。
カネで解決できる問題は多い
経験上、本当に欲しいものが金で買えることはない。しかし、金で解決できる問題は世の中に溢れている。
例えば、あなたや身内が特殊な病気にかかったとする。その病気の治療には100万円かかる特殊な最先端手法が必要らしい。
ここで「100万円?そんなんでいいのか。今すぐ現金で払えるよ。」となるのと「100万円?無理だ。諦めるか。」と見殺しにするのは酷い差だろう。
タンザニアでも学んだことだが、途上国では賄賂が横行している。賄賂を数百円払えば通してくれたりなど。タクシーがスピード違反をしたさいにピストルをちらつかせて警察が乗り込んできても、ドライバーが賄賂をくらい払ったら許してくれていた。払っていなかったらどうなっていたのだろうか。乗客の我々はどうなっていたのか。下手したら銃で脅されたり現地の刑務所とかに引き渡されていたのかもしれない。まあ警察が賄賂を要求している時点でアレな感じではあるのだけれども。
研究の沙汰も金次第
「好きなことがやれていれば何でもいい」こういう話はよく聞くし、一理あるし、よく分かる。
しかし、何事にも先立つものは金である。年収だけではない。研究も例外ではない。地獄の沙汰も金次第。研究の沙汰も金次第。
最近発表されていた日本の大学のランキングでは日本のランキングが下がっているのは、研究に対する投資が少ないからではないか?意見もあるが、これはまさしくカネではないか。
東大が中国勢より下位に…上海の研究者が見た、大学ランキング・日本「一人負け」の原因
国だけでなく、個人でもこんなケースを考えてほしい。
あなたは研究をしていて画期的な成果が得られた。追加の実験で確証が得られれば歴史的な発見は間違いなしである。しかし予算がもう底をついている。追加の実験には100万円程必要である。ここで貯蓄に余裕があれば、自腹で追加の実験が出来る。それで当てることが出来れば、次からは研究費も取りやすくなるかもしれない。しかしお金が無いから追加の実験を諦め、次の研究費が取れるまで中断していた。新しい研究費が取れる前に、なんと同じ研究で他のグループに先を越されてしまった。その研究は世界的な大発見として取り上げられた。そのグループはその研究を機に順調に勢力を拡大し出世していき、なんとノーベル賞を受賞(さすがに大げさすぎるかもしれない)。一方の100万円が出せなかったあなたは、その後も目立った実績は出せずに50代でもポスドクを継続し、遂に常勤になることはなかった(これも大げさすぎるかもしれない)。
こんな状況になったら、100万円を悔やんでも悔やみきれないのではないだろうか。
評価としての年俸
金銭の実効的な効果を見てきた。一方で評価としての数字はどうだろうか?
年俸が高い方が重要なことが行える傾向
同じ組織内では、年俸が高い方が重要なことが行える傾向にある。これは雇用する側の視点に立てば分かりやすい。
例えば以下3人が同じ組織にいるとする。
Aさん 年俸1億円
Bさん 年俸1000万円
Cさん 年俸100万円(少なすぎるか!?)
余りにも極端だが、このような状態の場合、Aさんにより重要なことを頼まないだろうか?逆にCさんにはどうでもいい仕事を優先的に任せそうである。例えばAさんには戦略立案、Cさんには掃除や雑用を担当させそうである。
更に年俸が高い方が、丁重に扱われる傾向にもある。出会う人も変わっていく。これは待遇よりも業種や地位的なものが大きい印象があるが、業界内での年俸が高い方が、出会う人が要人である確率が増えていく印象である。日雇い労働の際の人たちとはやはり少し違う印象である。常に守秘義務で書けないが、これも高年俸の方が重要なことに取り組んでいる可能性は高い。よって、年俸としての数字は多い方がメリットが多い。
同じ業界内でも似たようなことが言える。このことと市場価値が対応する。
転職でも現職を重視する傾向があるので、高い人は低い人よりも期待と扱いが高い可能性が上がる。
無いよりも、あったほうがいい
金は無いと困るが、ありすぎてもそこまでは困らない。困るようで使わないのなら自分が触れない場所へ預けておけばいい。預けておけば、高確率で勝手に増えてしまうのだろうけど。それでも有りすぎて困るなら、最悪でも寄付すればいい。
こんなただの会社員にですら、しょっちゅう変な案内が来る状態である。長者番付に載りそうな人には、日々多種多様なアレな感じの連絡が来てうんざりしているかもしれない。
それでも、無一文の精神的な苦しさと比較すればなんてことはないだろう。
カネに関する研究
年収と幸福度の関係の有名なグラフがある。(元々はファストアンドスロー・ノーベル経済学賞ダニエル・カーネマンの研究のようである。)
年収と幸福度の関係は800万円が臨界点らしい。それ以上は幸福には直接影響しないようである。逆に言えば800万円までは比例して幸福度も増える様子である。ただそれ以上の剰余もいざという時の保険にはなる。
金だけで測る必要は全くない
心の余裕や保険・評価としての金について言及してきた。
当然だが、待遇だけで測る必要はどこにもない。
どんなに高年俸とはいえ、身体を壊すほどの激務環境や、命が危ない仕事、全く興味が無い仕事、信念に反するような仕事等々ならあえてやる必要もない。
金で手に入れたいものが手に入ることはなかなかない。しかし金が原因で目標を諦めるのはなんだかさみしい。特に手に届きそうな額の場合は猶更である。
十分にあれば、金の事なんて全く気にせずに取り組むことが出来る。これが真の意味で「やりたいこと」なのではないだろうか。
結果としては金の事なんて気にしないほうが良い成果が上がるかもしれない。
歴史的に見れば、芸術や学術は日銭を気にしなくてよいような貴族のものであった。パトロンやスポンサーなども途切れると一気に無職になる可能性が高いために、出来るなら自力で金から独立して取り組むのが最も健全で確実なのではないだろうか。有名な作家や芸術家も、元医者のような人は歴史的にも多く、起業も副業から始めているほうが成功率も高いという研究結果まである。
終わりに
現代が資本主義社会である以上、資本は無いよりはあったほうがよい。ありすぎても困ることはそんなにないが、無いと確実に困る。
経験上、真に欲しいものが金で手に入ることはない。しかし、金で解決できることは世の中に溢れている。
そして十分に資産があれば、真の意味で金の事なんて度外視で取り組むことが出来る。これがまさに「本当にやりたいことが出来る」状態ではないだろうか。
評価としての数字の場合にも、年俸が高い方が裁量も自由度も高くなる印象である。待遇も悪いよりは良い方がいい。
このような状況であるので、ある程度は待遇にはこだわったほうが良いのではないだろうか。