公開日:2024年12月14日
更新日:2024年12月14日
随分と久しぶりの投稿となってしまった。今までで最も間が空いてしまったかもしれない。枯れないように、たまにはポストを上げていきたい。
さて、この4月から日本コーフボール協会の会長に就任した。
各国における競技の統括団体は、簡単に言えば、日本協会の会長というのは、グローバル企業の日本支社長のような立場だと考えれば分かりやすいだろう。
最初は「会長」という呼び名に違和感があった。確かに肩書は「会長」であるし、メールの署名や紹介の欄にもそう書いてある。
英語だとPresidentである。President Trump等と同じ文字列のPresidentである。
時たま「会長!」と呼ばれた時は、どこか冷やかしのように聞こえていたし、実際にそうだったのだろう。深い意味もなく「はいはい」と軽く受け流していた気がする。
しかし、その感覚が大きく変わった瞬間があった。
日本で初めて開催した第一回ビーチコーフボール日本選手権、ジャパンビーチゲームズの表彰式でのことである。
表彰状を読み上げている最中、最後に「会長」の後に書いてある自分の名前を目にして読み上げた時、突然全身がジーンとした。
「あ、会長なんだ…」。
読み上げた表彰状を相手に回して、記念品を渡す。
「会長か…。なんとも重い役職なんだな…」と。
ボーっとしてしまった。
それは今でも鮮明に覚えている。
個人のSNSでの発信も変わってきた。以前は気軽に日常のことを投稿していたように思うが、今では協会の活動報告や大会の告知が増えている。
何か投稿しようとするたびに、「これは個人としての発信なのか、会長としての発信なのか」と自然と考えてしまう。
自分という個人の存在が、「会長」に吸われていき、徐々に薄れていくような不思議な感覚である。演じているだけのはずがもはやその役になってしまう感じ。
ラインなどでの連絡も「会長としてコメントします」とした時はやたら硬い文章になり、果たして本当の私はどれなのだろうかと、多重人格的で、自分でもわからなくなることもある。
国際会議でも、最初は大きな戸惑いがあった。「日本では、こういうことをやっているの?」と言われたものに対して話す時、喉に何かが引っかかったような違和感があった。
「あーそれは私じゃなくてあるクラブのAさん」と言いたくなったが、外国から見れば、日本での活動である。
相手から見れば日本の誰がやったかなんて興味はない。
日本の制度、日本の活動、日本の実績である。
それが今では、日本のコーフボールに関しては、自然と”We”「我々は」という言葉が自然と出てくるようになった。この変化に、時々自分でも驚くことがある。
国際的な話し合いの場では、日本と諸外国との歴史や関係性について、自分の知識の浅さを痛感する瞬間が何度もあった。質問を投げかけられるたびに、相手は当然知っているだろうという感じで来た際に、「え、どうしよう…」とイヤーな汗を額に感じるような思いをすることもある。トイレに立った際にチラッとスマホで検索してやり過ごしたこともある。それは今でも変わらないが、徐々に調べていくと慣れて来るものなのだろう。
ケンブリッジ大学や各種国際学会でも、そのような経験はあった。しかしあれらの時は立場上は、「大学院生や企業の研究員が日本人であるだけ」だ。胸元に日の丸を付けて、「日本代表団」として話しているわけではなかった。こういった側面から国旗を付けることの重みを感じることとなった。
日の丸を背負って会議に参加する責任の重さは、想像以上である。「ただいろんな国の人と握手したりして話をしているだけではないか」と思われるかもしれないが、一つ一つの言動に重みを感じる。変なことをしたら、私個人ではなく「日本の会長が変なことをした」と思われるに違いない。迂闊なことはできない。
この規模でさえ結構なプレッシャーを感じる。
G7の首相会談などは、想像を絶する緊張感とエグいプレッシャーなのだろうと、今では実感を持って想像できる。
国際的にも国内でも政治家が「検討する」とか明言を避けるのもよく分かるような感じがした。その場で明言できることなど基本無い。
ユニフォームに日の丸が付いている選手をやっているのとはだいぶ違う。もはやこれはこれで違う競技である。
あういう場に行くと、準備したものはあまり役に立たず、今までの生活や人生の糧が出てくるような感じがする。今までの人生で積んだ経験同士でやり取りをするような状況を感じる。日々精進して人間として徳を積んでおく重要性を突きつけられているようである。
運営面でもいろいろな経験が生きているように感じる。
リソースが少ない割に、業務は多岐にわたりコンプラもグローバル大企業の日本支社のような側面を持っている。どうにか上手くやらないと回らない。
そこで例えば、AIの活用を積極的に進めている。
本業のAI研究職としての経験を活かし、日々発行するレター作成における誤字脱字のチェックや、秘書的業務の効率化にAIを活用している。リソースの限られた協会運営において、これは相当に便利である。実際に使った経験が、「本業」の研究にも生きるかもしれない。
売り込みに際しては、政治家や業界団体などともやり取りが増えている。日本の中央競技団体なので、規模はあれど、相手も全国規模の団体になる側面もある。売り込みに行くときは相手はテレビでも見たことがある政治家の方だったりもする。最初は「変なこと言わないかな?」などとビビって、おそらく動きがカクカクしていただろうが、もう今となってはそういうのも学習して慣れてきたような感じはする。まだまだなのに変わりはないのだが。
正直なところ、この1年、何度も逃げ出したくなった。特に批判的な意見や文句が届いた時など「いやいやいや、なんでこんな対応をしないといけないんだろう」と考えたり「もうちょっと状況を分かってくれよ…。」なんて思うこともあった。
無償なのに、本業以上に精神的な重圧を感じる日々。「こんなやり方で本当にうまくいくのだろうか」「理解してくれるだろうか?」などなどと考えたらきりがない不安が、夜中に急に襲って来て眠れなくなったりもした。
それでもやっているのは義務感と使命感からだろうか。
なんだかんだで息を止めて対応したりと、どうにか持っている。
最近では理解してくれる仲間も増えてきて安定感が増してきている感じもする。大変ありがたい限りである。
いずれにせよまだ始まったばかりである。
そんなこんなで色々と学ばせていただいている。
時には押しつぶされそうになることもあるが、この役割を全うできるよう、これからも一歩一歩、着実に歩んでいきたい。