
目次
公開日:2023年3月22日
更新日:2024年4月3日
とあるコンサルの憂鬱
全ての職業にいい面も悪い面もあるように、コンサルにも良い面も悪い面もある。相性もあるだろう。
本記事では「とあるコンサルの憂鬱」を述べる。特に「専門コンサル」についての経験から来る憂鬱である。
経験上、コンサルとの比較対象は、学生時代の派遣や家庭教師などの各種アルバイトや、研究職となる。
順に紹介していきたい。
業務形態に対する憂鬱
まず業務形態に関する憂鬱である。
高級文房具
コンサルは「高級文房具」と言われることがある。
高級文房具と言われる理由は諸説あるが以下のようなところである。
コンサルティングファームに依頼しなくてもできる「ありふれた、文房具のような業務」を、高額なフィーをもらっておこなっているコンサルティングファームに対して、皮肉を込めて作った言葉と言われています。
コンサルは、クライアントのサポートをする。いくらやっても自分では意思決定は出来ない。
まさに高級文房具。作家にはなれない。
専門コンサルという比較的ありふれた業務でなかったとしても、コンサルには決定権はない。やはり文房具は文房具である。
昇進しても、やはり文房具である。
マネージャー文房具、プリンシパル文房具。パートナー文房具。文房具日本支社長。
国際的に活躍する、グローバル文房具。
どこまで行っても永遠に文房具なのである。
グローバル・エターナル・ステーショナリーである。
コンサルタント -永遠の文房具、得られもしない実行権限を求めて-
ところで、四色ボールペンをよく使うため、高級な四色ボールペンを買ってみたところ、かなり良い。グリップの部分は木製で、書き心地も、持った感じもかなり良かった。
高級文房具、高級文房具を語る。
高級派遣業
また、コンサルは高級派遣業とも呼ばれる。
コンサルは基本的に時間労働者である。貸出時間で値段が決まる。
まさに派遣労働者、バイト君である。
アウトプットも評価されはするが、正直なところ中身がどうというよりも、「ちゃんと稼働しているか?」と時間の数字でみられる状況である。
中身というよりもやはり「単価×稼働時間」という、人月、金と時間というスプレッドシート上の数字のようだ。当事者としてはあまり気持ちがいいものではない。
パートナーやマネージングディレクターと呼ばれるような上位の職位になると、稼働とは少し変わるが、それでも売り上げと人員を管理され、最終的な権限は持っていない御用聞きであるという業務形態には変わりはない。
上位になっても「売り上げ目標に届くか?」とやはり数字で評価されている。
常に評価と隣り合わせの人身売買。
人身売買される人と、人身売買の奴隷管理者。
もちろん最低賃金レベルで派遣される日雇い派遣労働者よりは、高級派遣の方がいいではないか、等の色々な意見はあるかもしれない。
しかしながらそこでも高給なだけで、構造的な立場はそんなに変わらない。
コンサルタント -現代の人身売買奴隷-
替えが効きやすい
コンサルに限った話ではないが、世の中の大半の職業は「保守業務的」である、と感じる今日この頃である。
基本的にはオリジナリティは必要がなく、似たようなスキルセットの人々がいれば替えが効く便利なパーツのような側面が強い。
コンサルでいうBy Name(指名)参画と言っても、それでも比較的替えが効くのが正直なところだろう。
「コンサルの専門性やスキル」と言ったところで、簡単に替えが効いてしまうのである。
オリジナリティを追求するタイプの仕事ではない。
https://twitter.com/3746_5/status/1587969515685494785?s=20&t=EqRq7Bez5aBgw1aCGTGuGQ
https://twitter.com/satetu4401/status/1589098711178969088?s=20&t=330iD7yy59zluWtYgGe9RA
後述するが、領域専門家(SME)などの専門コンサルと言っても、やはり替えが効いてしまう。
コンサルタント、取り換え可能な便利な部品
スタンスに対する憂鬱
続いて、コンサルのスタンスに対する憂鬱である。
はったり
まず「はったり」である。
コンサルは「はったり」が多い。
経験上研究者は、それこそノーベル賞受賞者等でも「分からない」とよく言っていた印象である。「ようやく最近ちょっとわかってきたかも?」と言い出す70代のフェローの業界の重鎮の教授などもよく見かけた。
一方でコンサルでは「『分からない』と言ったら負け」みたいな雰囲気を感じることがあった。
「どう見てもわかってないよね」と感じるような中でも、なんとなく単語を並べて分かった風に話す人が多かった。
そしてなんだか自然と「本当にその部分、分かっていますか?」とか「その解釈はどういう意味で?」と理解度を確かめてしまいたくなることがあったが、やはり、コンサルタントもクライアントも、頑なに「分からないとは言ってはいけない雰囲気」を感じた。
そこで、相手がどうやら分かっていなさそうなので、理解があっているのかを確かめようと詳細に聞こうとしたら、頑なに拒否されたり、話をそらされるようなことまで。
むしろ「分かった風にするのが標準」のような印象も受けた。
コンサルでは「できます」「はい得意です」といった、仕事を取るためにはったりをかますようなことが良く起きる。むしろ盛りすぎて原形をとどめていないのではないか、と思われる例が散見された。
そしてこの「状況や目的によります」や「分からない」とは言いづらい雰囲気が、私には難しく感じた。
後述するが、本当に「バリュー」を出そうとしたり、誠実でクライアントのためを思っているのだろうか?
本当に「バリュー」?
「コンサルはバリュー」を出す必要があるとはよく言うが、あれこれと論をこねくり回して、スライドを作ることにバリューがどれくらいあるのだろうか。
そもそもこの「バリュー」は、何に対するどのような価値を指しているのだろうか・・・?
https://twitter.com/iikagenni_siro_/status/1600362047082205192
とくにやりたい研究が無いのに大学院へいく学生と、とくにやりたい仕事がないのにコンサルを希望する学生の心理構造は一緒で、意思決定の先延ばしと将来へむけたスキルアップが同時にできるようにみえるところに魅力を感じている。
— たろ丸 (@tenche1204) November 30, 2022
私の感覚では、お金になるかは別として、どんな小さい事柄でも、未だ世の中になかった新しいタイプの理論や、アルゴリズムとか、史上初めての物質を作り出したり、何らかの世界記録を更新している等の方が「バリュー」があるような気がしてならなかった。
本当に「お客様のため」?
コンサルは「お客様第一」「お客様のために」と言ったキャッチコピーをよく聞く業界である。
しかしこれも、疑問に思うような発言を見聞きしたことはある。例えば「これはうちらには旨味がない」等。
他にも「本当にお客様を第一に考えていたら、この提案はしないほうが良いのではないか?」や「正直競合のA社のチュアさんチームとかの方がお客様のためにはなりそうチュア」とか思うことがあった。
しかしそうは勧めないだろう。
相手がJTCの場合には「そもそも御社のクビに出来ないの年功序列終身雇用の雇用方式が問題では?」
「良い人材や十分な人員が取れない」といった話でも「人が取れないのは待遇が低いからでは?」など核心には迫ってはいけない感じもある。
もはや「それを言ったらおしまいよ」と言われそうであった。
実際には「お客様のため」「お客様の業績第一」というよりも、「自分達のため」「自分達の業績第一」というのが本音ではないだろうか?売り上げ目標や稼働率で評価をされるためにしょうがない部分もあるとは思うが、上のようなはったりや、誇張表現、プロジェクトのスコープの言い争いなどが散見された。
もちろん研究職の研究費や経費なども、こういった売り上げの上に成り立っているという事実はある。
しかしもう少し自浄は働かないものなのだろうか。
報酬に対する憂鬱
報酬に対する憂鬱である。
報酬
コンサルに限らないかもしれないが、コンサルで成果を上げても、ボーナスが増えたり、昇進したりするだけであった。
元々欲しいものがそんなになく、口座の数字と化している身からすれば、特段何かが変わる感じではなかった。
いくら成果をあげても他人のサポートであり、得られる報酬は金銭によるボーナス位なものである。
逆に言えばコンサルとして成果を出したとしても、得られる報酬はボーナスが増えたり、昇進するだけであった。元から物欲が皆無な私にとっては貯金と投資額という画面上の数字が増えただけである。
特に何もワクワクもゾクゾクもしなかった。「ふーん」という感じであった。
スポーツをやっている時も、ちょっとした小説なんかを書いている時も、なんだかんだで、成果が自分に紐づいていたし、ネットで検索しても出る。
研究発表も自分の名前。成果がお金だけで帰ってくるということに魅力を感じなかった。
よって、コンサルでの成果と言っても、家庭教師のバイトの延長くらいにしか感じなかった。
以上コンサルの「形態、スタンス、報酬」の面で憂鬱になった。
とあるコンサルの爽快
上記ひたすらに「コンサルの憂鬱」として、コンサルとしての個人的に憂鬱になる部分を書き連ねてきた。
一方でよい面もある。対義語として「コンサルの爽快」も付け加えておきたい。
「コスパ」の高さ
第一に「コスパの高さ」があげられる。
「なんだって?コンサルのコスパがいいだと?長時間労働になりがちでブラック気味じゃないか!」
と言われそうである。確かに労働時間的にはそうなのだが、この「コスパ」は、時間的なものではなく、「専門性の高さに対する収入の高さ」という意味のコスパである。
また、コンサルは実行権限がない、言い方を変えれば実行した際にどうなるかという責任は取らない。
責任を取らないのに高収入というのは、リスクを取らないという意味でも、コスパは高そうである。
「コンサル」の一般イメージの良さ
次に「コンサルのイメージの良さ」である。人によるかもしれないが、コンサルは少なくとも賢そう、等のイメージが多い。
(個人的にはコンサルの業界自体のマーケティングがうまくいった結果だと予想している。人月商売なので、業界としても単価を高くしたい)
業務形態や実際と比較しても、なんとなく地位が高そうな響きがしているような印象がある。
職業安定性の高さ
コンサルは職業安定性は高い。
「何を言っているんだ?Up or Outとか言われてクビになるじゃないか!」
同じ企業の同じポジションだけで言えばそうかもしれない。そうは言っても、流動的なだけで求人は常に行われており、転職も盛んである。
場合によってはランクや職位を下げて待遇を下げれば再就職はしやすい。選べばある。このため、一気に無職にはなりにくい。そういう意味ではスキルセットや経験に対して職業安定性が高いと言える。
最後に、身ひとつと、紙とパソコンがあればできるような職業である点である。
個人的に、プロボノベースでほぼ無償でスポーツ団体の委員や理事や監査をいくつか引き受けている身からすれば「世の中、金だけじゃないし、コンサルのようにスキルをもって自分で出来るなら助けてあげたい」と考える世界があってもいいと信じている。
もちろん限度はあるし、それを期待して無償でやれというのは違うようには思うけれども。
よってコンサルは「(少なくとも専門的には)それほど高い能力が必要ない中で、高給で、なんとなくチヤホヤされ、低リスク」という点で、コンサルは爽快であるかもしれない。
雑感
コンサルの憂鬱と爽快、他の業種との比較をしてきた。その過程で見えてきたものを述べておく。
「専門家」の認識やレベルの違い
これは、物理学のPhDを取得した後に、外資コンサルで働き始めた際に初期で感じたことであるが、シャカイと(一般的にはビジネス業界ということが多い)研究分野における「専門家の認識」と「専門性のレベル」が数段どころか数次元レベルで違う印象を受けた。
選抜チームは選抜チームで、同じ「選抜チーム」といっても、「ワールドカップ日本代表選抜チーム」や「WBC日本代表選抜チーム」と、「足立区選抜チーム」位の差、といったところだろうか。
お馴染みのダニング=クルーガー効果の図で書くとこのような感じである。
ダニング=クルーガー効果(ダニング=クルーガーこうか、英: Dunning–Kruger effect)とは、能力や専門性や経験の低い人は自分の能力を過大評価する傾向がある、という認知バイアスについての仮説である。https://ja.wikipedia.org/wiki/ダニング=クルーガー効果
上のハッタリと組み合わせてもこの印象と合致する。
新しい解き方を考える偏差値80の予備校講師と、偏差値40の生徒を教える偏差値57の家庭教師
研究職とコンサルの違いを考えると、偏差値80の予備校講師と、偏差値57の家庭教師に近い印象を受ける。
分かりやすさの追求のため「偏差値」という単語を使っているが、いわゆる一般的な大学受験の大手予備校の模試の偏差値の雰囲気だと思っていただいて差し支えない。
前者は家庭教師というよりも「新たな解法を考える有名予備校講師」的であり、後者は「偏差値40のやる気がないお金持ちのご子息をどうにか教え込んで偏差値50の学校に入学させることに特化した偏差値57の家庭教師」に対応する。
いかんせん偏差値40から50の人たちでは、偏差値57と偏差値80の違いを見分けるリテラシーはない。よってこの違いを見分けられることはない。
むしろ新たな解法を日々模索し、問題の解き方を質問すると「前提や状況による」とか「いや、こういう方法の方がスマート」「こういう方法って新しくない?」とか言って日々革新的な回答方法を考えて出版を行っている偏差値80よりも、「こういう問題はこの定理を当てはめれば何でもOK!」みたいに明確に断言してくる偏差値57の方が信用できるように見えるのだろう。そんな高度な状況に陥ることはないのだから。一部の難関校以外では難問は基本出ない。
図にするとこんな感じである。
これを、研究職とコンサルに対応させると以下のようになる。
マーケットサイズはコンサルの方が大きいこととも一致する。
コンサルの「スキル」
では、コンサルの「スキル」とは何だろうか?以下の印象である。
スライドをずれないように作る、文字のフォントを揃える。
メールの文章を綺麗にする。
お客様第一というスタンスに見えるようにポーズをとる。
(日本企業においては)JTCから発注をもらえるようにする。
等等。決して資料の中身ではない。
なんだか近々ChatGPTに負けそうなスキルが結構ある印象である。
家庭教師で言えば、以下のような感じだろう。
スリッパを綺麗にそろえる。
貰ったケーキを綺麗に食べる。
椅子に座る時の姿勢を正しくする。
親御さんに気に入られるような服装にする。
嫌みの無いような笑顔にする。
決して指導の中身ではない。
ここでも、新しい解法は、新しくない限り新規性はない(当たり前)。一方で落ちこぼれやボンボン向けの家庭教師なら、ある程度教科の内容が分かればできるだろう。そして後者の方が絶対的な人数は多いので、くいっぱぐれづらい。需要はいくらでも湧いてくる。
コンサルのスキルは、家庭教師でいうところの「出来は良くない生徒のボンボンの親に気に入ってもらって契約をしてもらうスキル」、と言っても良さそうである。
専門コンサルは研究職の副業でいける
専門分野のコンサルは、研究職の副業で楽々いけそうな印象である。少なくとも内容は。
新しい解法を日々考えている教育学者は、偏差値40の学校の定期試験で落第しそうな生徒の家庭教師も教科の内容の部分は楽々対応可能であろう。「え、その最初の公式も覚えてないの?え?」のような衝撃を受けるかもしれないが。
一定の訓練を受け、我慢も出来れば、偏差値40でも「私も医学部受けるもん!」と見栄を張る生徒と、「あの家庭教師はスリッパを揃えない!」と、斜め左下辺りからの予想外の意見をひたすら言ってきたりする親に対処するトレーニングを受けていさえすれば。
もちろん「偏差値40の子供に対して効率的に教えたり、ボンボンの親に気に入ってもらうスキル」は、もちろん普段から偏差値40の生徒とその親を研究している家庭教師の方が高いと思うが、この「コンサル的特殊スキル」は、少なくとも専門性と比較すると、容易に身に付けられそうである。
終わりに
そんなこんなで、多種多様なコンサルの憂鬱を経験した結果、スターバックスのモバイルオーダーでもこんな名前にしてしまうくらいには憂鬱であった。
以上「とあるコンサルの憂鬱」を述べた。ご参考いただければ幸いである。