
公開日:2019年7月6日
更新日:2019年7月21日
前回の記事はこちら。
どんなに自分の場所だと感じていたとしても、なんだかんだで大学である。卒業したら、多くは大学を去らないといけない。私も非常に居心地がよく、もうずっといてもいいんではないかと感じていたこの場所でも、いつかは去らなければならない。そしてその時は私にも訪れた。
ケンブリッジ大学では、博士論文の提出は一大イベントである。Student Registryと呼ばれる建物の赤いドアの前で記念撮影をする。一瞬の個人的なイベントのためにケンブリッジ中から友人に集まってもらい、シャンパンをかけてもらった。
実は、紆余曲折あって、この時は、提出した風の写真を撮った。実際に提出したのはこの2か月後である。なお博士審査やその経過などはこのシリーズの趣旨から外れるので省略してある。別途こちらの記事・レポートやこちらの記事を参照いただきたい。
入学から4年10ヶ月。とうとう卒業してしまった。
朱に交われば赤くなる。日々の少しづつの変化には気が付かないが、要求が高い環境に慣れていくうちに、私にとっては「それが普通」と感じるようになっていた。
いわゆる「普通の人」とはこんな感じである。
世界レベルで通用する高い専門性を持っている
どんなトピックにも対応できる幅広い教養を持っている
母国語以外に英語どころか、もう一か国語くらいは出来る
理工系なら、専門として使わなくとも、機械学習(人工知能)のコードくらいなら書ける
趣味のレベルも高く、世界レベルもちらほら
基本は好性格人格者
悪意などなく、こんな感じが世界の平均レベルだと感じるようになっていた。私にとっては各国籍一人しか知らないような、特にアフリカや南アメリカの国籍の人々も、基本的に上記のような感じが「普通」であったため、アフリカの人や南アメリカの人も「普通」は上記くらいなのではないかと感じることとなった。サンプル数1(n=1)の統計。その人が私の中の平均値になる。
日本に関しても、例えば日本には大学は4,5つしか存在しないようにも感じていたし、英語が全くできない日本人なんていうのはもう過去の話で、絶滅人種だと思っていた。なぜなら普段の生活で見かけなかったので。
紆余曲折あり、日本にも滞在し、結果として日本で就職をしたが、やり取りにお互いの常識、要は「普通」の差に乖離を感じた。この観点でヘッドハンターからの連絡を受け、日本企業(と外資の日本支社も含む)を受けたりもしたがその時の例がこの記事である。
海外と日本の就職活動の歴然とした差を実感。海外大博士から見た就職活動
また、就職以外にも「この人は本当にその分野を専門に扱っている人達なのだろうか?私が趣味で片手間でやっている方がレベルも高そうなのだが…?」と感じることも多々あった。とある専門業者からの営業に対し、
私「私もそれについては取り組んだことがあるんですが、機能C(仮名)は使っていますか?」
業者B「そういうものはこの業界には、あまり関係がなく機能C(仮名)については存じ上げません。」※機能Cはこの業界で世界的に知られているものである。
私「・・・え?」
業者Bは既に冷や汗が垂れているではないか。
嫌味でもマウンティングでも何もない。そもそも本気でやっていない。少し聞いただけである。開始3秒初手KO。
軽くスパーリングのつもりが、相手は地平線の彼方へ吹っ飛んで行ってしまった。自分の居場所を探し辿り着き、修行すること約5年。再び外へ出るときには、オリンポス山から降りてきたヘラクレスのようになっていた。
日本の一流企業や専門業者でこれなのであるから、場合によっては、なんだか目も当てられない感じになったこともあった。
ケンブリッジで学んだ「全力で実力を示せば、認められ称賛されるの法則」。しかし、私は日本では「実力を発揮すると疎まれるの原則」があることをすっかり忘れていた。
ケンブリッジに辿り着く前には、私は「なんで私にそんなに嫌がらせをするんだろう?」と心の糸が切れ、無力感に苛まれることが多々あった。
しかし、5年間の修行で本物を見たせいか、以前ほどは失望感に満ちていない。絶対的な精神の安定を感じる。私の心の糸は黄金になっていた。そう簡単に切られることはない。
あえて極端に悪い言い方をすれば、明らかに理にかなわない理不尽な批判や誹謗・中傷を受けた場合には「なにか下々の者が変な理論を振りかざしてきている。」と捉えたり、「なんでこの人はこういう考えをするんだろうか?」と自然と客観的に見ることが出来るようになった。
卒業して、文字通りの生活環境という意味では、すべてを失った。5年以上前には、ヘラクレスのGo the Distanceの歌ように、日々除け者にされてあまり所属している気がしなかった。今も状況的には同様なことが幾度となく起こるが、以前とは感じ方が違う。私は何かに所属しているように感じる。
このような「・・・え?」という感覚を日々多方面で覚えながら生活していた卒業後1年。このような感覚を説明しても、あまり分かってもらえた感じはしない。
こんな中、約1年ぶりに再びケンブリッジに「帰る」ことになった。この感覚の正体を見出すことは出来るのだろうか。続きはこちら。