公開日:2019年7月7日
更新日:2019年7月22日
前回までの記事はこちら。
ケンブリッジ大学を卒業して、入学以前と「普通」の感覚が少し異なっていた。その後離れて約1年間、久々に再度訪れたら、なんとも帰ってきた気がした。帰ってきた、と最も感じたのは人間である。新・遥かなるケンブリッジ -心の中のアナザースカイ-
友人だけでなく、長くいる教授やチューターと呼ばれる人たちにも前章で感じたようなオリンポスから降りてきたヘラクレス感についての説明をしたところ、こんな感じの反応が多かった。
「そりゃ世界最高レベルの大学で博士号とかやってるんだから、しょうがないって。ここを去ったら、世界のほとんどすべての場所でレベルが低く感じるって。もうね、これ仕様だから。世界はそういう風にできているから。」
「オックスフォードやケンブリッジを去ったあとには、あれほどの感動を覚えることはもうない、というのは有名な話。どこへ行っても、あの頃よりはまあ面白く刺激的には感じないんじゃない?」
「卒業していった人は、だいたいみんな似たようなこと言ってる。やっぱりお前もなのか?」
「自分では全然できないと思っていたけど、他と比べたら圧倒的だったりするんでしょ?それあるあるだよ。」
公式な創立は1209年ということになっている。今年は2019年。創立810年目である。この800年を超える歴史の中では、私のように感じるのは、もはやトラブルシューティング「よくある質問」のように、あまりに頻繁にある現象すぎて答えが書かれているくらいには「普通」なのだろう。なおジーザスカレッジは1496年で創立523年目。大学とカレッジの創立に287年の差があるが、いずれにせよ、人類の歴史を作ってきたであろう偉人たちの歴史に対して、よく分からないたった1人の人間の1年なんて、全くもって誤差でしかない。
よく話題に出た表現で「社会へ行く・社会から戻ってくる」”Go to the society/come back from the society”という表現がある。一般的に日本で「社会人」とか「社会では通用しないよ」という表現をすることがあるが、これは、社会は、学生よりも要求が高く厳しいところである、という意味を含んでいる。一方、この「社会へ行く」は、「ケンブリッジと比べると、社会は何かとレベルが低くてびっくりすることもあるけど、うまくやっていこうね。」くらいな感じである。要は、大学よりも社会の方が下の位置づけである。
趣味と仕事だって、「仕事で求められるクオリティってそんなに高くないから、趣味でやっている方が質が高くなる」という話も実感でよくわかる。これも「あるある」らしい。
上記のように前章で書いたような私のこの1年での経験は、特殊でも何でもなく「ごく普通の『あるある』な卒業生生活を送っていただけ」ということが分かった。やはり私は普通の中の普通であった。
OB/OG会に世界中から参加したり、卒業生からの寄付が集まる理由が分かった気がする。彼らもまた私と同じような経験をし、「普通」に感じられるこの地は、数年に1回は戻ってきたくなる「私の居場所」なのだろう。在学生よりも卒業生がグッズを買うのもよく分かる。離れていてもお守りのような役目を果たしているのだろう。
このような状況に飛んでくる批判が「学歴のような過去の栄光にこだわっている」のようなものである。これも「あるある」である。確かにそういう人も中にはいるだろう。
しかし残念ながら、私個人の場合は、これは全くの逆である。ケンブリッジ大学の博士号で得たものは「ケンブリッジ大学の博士号なんて、なくてもやっていける」という、確固たる感覚の方、切れなくなった黄金の糸の方である。何事にも真に重要なことは外的なものではなく、内的なものなのであろう。
実際に仮に肩書は表面的なものにこだわるのであれば、心理的に例えば、博士号の証明書を毎日見える位置に飾ったり、博士論文をすぐに取り出せる位置に置いたりするらしい。私は、学位記こそ受け取ったもののどこに置いただろうか。実際には押し入れに突っ込んだままであった。
とはいえ、マーケティングと一緒で、対外的にどう検索されるか、認知されるか?が重要になる。昨今のインターネットが発展した現代では、様々なフィルタリングを通過することが重要になる。これらは肩書や所属が重視される傾向にある。さらに、博士号をはじめとする肩書がシグナリングとして、まどろっこしい選考をすっ飛ばして通れるのであれば、双方にとって非常に効率的ではないか。どうせ実力的にそうなる可能性が高いのであれば、最初から飛ばさせてもらったほうが効率もいいだろう。もちろん感情面は抜きにして。
また、エンブレムが入ったグッズも買ったのだが、大学のものではなくカレッジのものである。よく考えるとケンブリッジ大学の公式グッズを自分用に買ったことがない。持っているのはコーフボールクラブのユニフォームとジャージ位である。「オックスフォード」とか「MIT」とか「ハーバード」とかのTシャツはあるのに。ケンブリッジのTシャツも持っているが、大学のものというよりは、ケンブリッジの町のものである。
ケンブリッジ大学は、ただ歴史と知名度があるだけの大学なのではなく、入学・在学・卒業・再訪問を通し、いろいろと見えてきたものがあった。楽しいことばかりではなかった。
確かに短期的な目線、打算的な目線では、多くのものを得ていないかもしれない。打算的な面だけを見ても、例えば普通に日本の大学を修士で卒業して、外資銀行にでも就職していたほうが、収入も貯金も高かっただろう。シャカイジンという意味では、約7年も遠回りをしている。研究ではテーマとトピックをうまく当てられなかった結果、そんなにいい実績も出なかった。さらに量子物理の知識自体は卒業後使っていない。
簡単にうまくいくことなんて、基本ない。何をやっても失敗の日々。追い打ちをかけるような差別的な扱い。時には「吐きそうな思いをして」のような比喩表現ではなく、物理的に吐いていた。
挑戦なんてしなければよかった。高みなんて目指さなければよかった。そもそも日本から出なかったら、こんな思いはしなかったかもしれない。もう小中学校の頃から無難に受験なんてせずに、高卒で地元で働いていたらこんな思いはしなかったかもしれない。貴族でもなく日本のサラリーマン家庭の生まれで公立出身、もう十分やったんじゃないか?そろそろやめてもいいんじゃないか?
挫折と無能感にさいなまれる度、何度こんなことを考えたかわからない。
正直なところ「ああ、博士なんてもう一生やりたくない。」と思っている。
しかしそれでもなお、仮に入学前の私が、入学後に何が起きるかがわかっていたとして、仮にもう一度人生を歩むとしても、私は博士号を通して、この地を目指すことだろう。上記の金銭などの打算的なものをすべて差し置いて、それだけのものが得られたという実感がある。
そこまでして得られたものは何だったのか?物理学者アインシュタインが言うには「教育とは学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るもの」だそうだ。この地での経験を通し、私の中に残ったものは何だろうか?
確信を持って言える、得られたものは次の3つである。
- 一生涯高めあえる友人達
- 事あるごとに戻ってきたいと感じる自分の居場所
- 黄金になった心の糸
これらを得られただけで、私には十分である。