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公開日:2019年6月22日
更新日:2019年7月15日
約1年ぶりにケンブリッジを訪れた。訪れたというよりも、帰るくらいの気分であった。
久々・・・?
1年ぶりに思い入れのある土地に訪れる。飛行機に乗っているときから「着いたら、遂に帰ってきた!」みたいに感じるのだろう。と思いながら飛行機と電車を乗り継ぐこと29時間。遂にケンブリッジ駅に到着した。
しかし、何も感じることはなく「あ、着いたわ。」という感じであった。「なんか先週も来たんじゃないか?」という感じすら覚えた。「いやいや、カレッジまで行っていないからだ。」ホテルに荷物を置き、カレッジのシンボルの馬の像のところまで向かっていた。しかしそこでも馬の像がいつものように佇んでいるだけで、やはり「先週も来たんじゃないか?」という印象を受けた。
待ち合わせしていた友人と再会し、「Welcome Back!(おかえり)」と言われ挨拶をしても、普段からも結構頻繁にチャットをしていたせいか、特に何も感じることはなかった。
今何をやっているだとか、だれにどこの国であったとか他愛のない話をしていく。日本の電車は本当にYoutubeの動画みたいだとか、ミャンマーに行ったらこんな馬の像売ってた、とか、最近読んだ本で面白かったやつだとか。エストニアの電子国籍を取っただとか。ただそこから会話が発展していくにつれ、いろんな分野の話が、結構深いレベルで展開される。
「日本の人口密度と都市人口集中率と、勤勉な国民性と電車の混み具合って関係あるんじゃない?」(工学)
「ミャンマーといえば、ロヒンギャ危機の時のアウンサンスー・チーの対応と、さらにその対応に対する各国の対応について」(数学)
「知ってるとは思うけど、馬の像って、騎馬像の場合には、足を何本宙に浮かせてるかでその人物がどうやって最期を迎えたかがわかるらしいよね」(医学)
「エストニアって、インターネット選挙投票実現したよね。サイバー攻撃とか受けないんだろうか?」(経済学)
もちろん聞いたことないような概念も出てくるが、全員その都度「ちょっとそれ何?」みたいな感じで質問が入ったりする。正確さが怪しいとスマホで逐一調べ始める(騎馬像の話は迷信らしい)。
このあたりで「あ!ケンブリッジに帰ってきた!」と心から感じることとなった。
他にもシリコンバレーなどで働いている卒業生もいるが「「確かにプログラマとかエンジニアとしては優秀だろうけど、ただそれだけ。これ以上はもう言わなくてもわかるでしょ(笑)。だからケンブリッジが懐かしく感じた。」だそうだ。似たようなことを言っている人が何人もいるのだから感じるところは似たようなところなのだろう。(ただ仕事しかできない専門バカみたいなのが多いということ。)
考えてみれば私が初めてケンブリッジを訪れたのは、7年前の2012年のことである。確かにこの時も、古い建物や設備に驚きながらも、一番驚いたのは「人」であった。
当時の派遣ブログ https://itp09keio.exblog.jp/i31/
ケンブリッジに来る前、小学校位から、いろんなコミュニティではみ出し者になりがちであった私は、ディズニー版のヘラクレスに痛く共感した。元々神の子であるヘラクレスは、その怪力ゆえに村の人々には疎まれ、友達もいない孤独な生活を送っていた。居場所がないと感じていたヘラクレスは、自分の居場所を探す旅に出た。https://nichi-petit.com/entry/review-hercules
Go the distance「たとえどんなに遠くても 見つけて見せるさ 僕の場所」
6年前にケンブリッジ大学に入学し、ジーザスカレッジに入ってからは、天は何物をも与えまくった「頭脳明晰・容姿端麗・運動神経抜群かつ好性格の人格者」のような超トップギバー・反則チート人間みたいな人物をよく見かけた。いやそれどころか、むしろそれがスタンダードなのではないかとすら感じるほどであった。ついでに富豪や貴族の末裔であったりもちらほら。これでオリンピック出てるとか。
ここでは、私はただアジアから来た普通の人であった。むしろ劣っていた部類だろう。私は普通であったと。その後紆余曲折あったが、途中からは非常に居心地が良かった。やっと「僕の場所」を見つけた。
予定を立てるのの難しさも、なんだか身に覚えがあった。「締め切りがヤバいから今回は厳しいかも」という返事もある。これも「本当はあまり会いたくないから」というよりも、むしろ本当に締め切りが厳しく余裕がないという意味(であることが多い)。ほかにも「物理的にいない」というのが散見された。今回少し連絡した中で、実際に遭遇したものもこんな感じであった。
「週明けからカナダだから、あなたが着いた日でお願い」
「火曜日にブラジルからケンブリッジ戻るから水曜以降?」
「来週はウルグアイだから金曜日まででよろしく」
「丁度先週シエラレオネから帰ってきたところ」
「コピーの方のケンブリッジだわ(マサチューセッツ州ケンブリッジ。ハーバード大学)」
「ていうかいま日本。」
このような中では、日本からイギリスを訪問するというのは完全に普通である。
ただすっかり変わっていてもう前の生活はないのではないか、などと若干不安ではあったが杞憂に終わった。
Sainsburyでトロピカーナを買っていたら、話しかけられたのは元チームメイト。Porterは”long time no see Shinohara, no longer Amazon”と。小雨の中をフードをかぶりながら自転車で学部まで赴き、キャベンディッシュの11時のティーに出席したのち、廊下ではクリーナーにHajime-sanと声をかけられた。半ば同窓会を兼ねているメイボールでは、数年ぶりの友人に会い朝5時まで無事サバイブ。フォーマルディナーの後のカレッジBOPは時間を過ぎてからもバーマネージャーからの閉店の警告を、のらりくらりとかわしながら爆音で音楽を流し続け、その後はLIFE、ガーデニアでケバブを食べ、午前2時頃に帰宅し次の日の朝は少々ぼーっとしていた。
意図せず完全に同じ生活をしていた。実際に、実家や故郷よりも帰ってきた気分がした。
思わずカレッジのマークが入ったマグカップを買ってしまったが、卒業してから母校のグッズを買う理由も、寄付をする理由もよく分かった。今後もたまには帰ってきたい、そう心から思える心の中のアナザースカイなのであった。
どうやら私だけではないらしい
当然のように上記のような経験をしている人が多い様子である。800年の歴史があれば、まあ同じように感じる人は後を絶えないのであろう。
何も変わってない?
数年ぶりに久々に訪れても、あんまり変わった気がしない、というのもケンブリッジではよくある話らしい。
これに関する仮説として、まず文化的には800年の偉人たちの歴史に対しては、1人の1年なんて無視できるというものである。より科学的には、人間は、脳の昔のイメージと現在のイメージの差分で認識をするために、新品のもの劣化に比べると、既に十分古いものに対しては差を感じないために、時間たって無いんじゃない?と感じるのではないか、というものである。
ちょっと写真を紹介したい。こちら2019年のジーザスカレッジ正門。
こちら1842年のジーザスカレッジ正門。
177年たって、石畳が出来たかな位の違いでしかない。これだと数年たっても差を感じなさそうである。
機械学習にでも書ければ何かわかるかもしれないのでだれかやってくれるといいな。もうあるなら教えていただきたい。
学歴にこだわっている?
なお、学歴にこだわっているように見えるかもしれないが、そうでは全くない。むしろ逆である。ただ「ああ、ここだ」と思った場所が、たまたま有名な大学であっただけである。しかも正確には、大学の方ではなく、専門性を問われないカレッジの方である。
個人的には、ケンブリッジ大学の博士号を取得して得た最大の点は「ケンブリッジ大学の博士号なんて、なくてもやっていける」と心から感じるようになったことである。
ヘラクレス
上記のディズニー版ヘラクレスに共感した人も多数。
「私はケンブリッジに来るまでは、よく出来る人だと思っていた。でもここに来たら怪物みたいな人ばっかり。もっと頑張らないといけないと思った。」
「私もなんかいろいろ1位だったよ!でも、ここだと普通だということが分かった。」
「居場所がないと思っていたけれど、ここだと自分であり続けられる」
他の国でも境遇は一緒のような人が多い印象であった。
Come Back to the society
「社会へ出る/社会から戻ってくる」という表現がある。
日本では、社会や社会人というと、日本ではおそらく学校から社会に出ると色々と基準が高くなって厳しい、ということを言いたいことが多いと思う。
一方でケンブリッジでは、社会は、下に位置付けられている印象である。
「社会っていうのはいろいろと基準が低いし、正直ぬるいから、働くのはケンブリッジの生活より全然楽だよ」
という意味合いでつかわれることが多い。
オリンポスの天界から降りてきたヘラクレスが、手加減をせずに人間をちょっと突っついたら、ふっ飛んで行ってしまったような感じである。教授などからは「あるある。よく聞く。そんなもん。」というコメント。
参考 遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス―(新潮文庫) Kindle版 藤原 正彦
「遥かなるケンブリッジ」という本は既にあります。客員教員としてケンブリッジを訪れた時の記録のようです。特にカレッジについて書かれている10章が関係しています。