公開日:2019年7月4日
更新日:2019年7月15日
前回の記事はこちら。
もう、高みを目指し始めて何年たっただろう。初めて選抜を受け、振り落とされ競争心に火が付いた高校受験から考えると既に10年である。いつの間にかこんなところまで来ていた。ついに居場所を見つけられたんじゃないか?と思った。
しかしそれから、すぐに「ここが私の居場所だ」と感じるわけではなかった。様々なハードルがあった。
まず真っ先に上がる英語であるが、私は日本では、他の人の英語の修正をしたりするほどであった。TOEFLも基準を超え、日本で外資系に就職するよりもはるかに高いレベルになっていた。しかしその程度では全く勝負にもならない。
基本的にイベントは、立ったままいろんな人と話すことになる。1対1で話すと、仲良くしてくれる人はが、複数人になると明らかにお荷物で、周りの人は私と話すのは迷惑なのではないか、と感じていた。
ネイティブやほぼネイティブたちとのパブでの飲み会が最悪であった。私が発言すると、遮られたり、無視されることは結構あった。特に立食パーティーでの会話なんかは、早すぎるテニスのラリーをコート間近で傍観している状態。スマッシュが決まった!が、なんでウケているのかがわからない。
当時は「ああ、これが人種差別というやつか。」もちろん、明らかな人種差別も受けたが、英語力もだいぶ問題であったはずである。人間うまく行かないと周りのせいにしたがるものなのであろう。これには気を付けないといけない。
通常は楽しいはずの新歓や交流会では、時折、ふと周りの会話が雑音に聞こえ、むなしくなり、何のために参加しているのだろう?という無力感に何度も襲われた。何をやるにも修行のような日々であり、正直なところ苦痛以外の何物でもなかった。
入学式の時のディナーでは、なんと隣がカレッジマスター(学長)であった。しかしながらそこまでうまく話せず。少し愛想笑い気味であった。
ここで挫折するノンネイティブが多いから、各国のコミュニティが発展するのではないか考えている。世界中で中華街が発展するのはこれが原因ではないだろうか。実際に、入学前語学コースに行った際は、既に中国人たちがグループを作っていた。
ケンブリッジには、フォーマルホールやGraduate Hallと呼ばれるガウンや正装のディナーが存在する。3, 4コースで約1000円。
料理は普通においしい。しかし1度座ると、2時間席を囲った人たちと、いろんなトピックについて話し続ける。この状況は話についていけずに、置いて行かれると非常につらい。これは基本プレドリンクと呼ばれる立って、シェリー酒やジントニックを飲みながら歓談してから着席することになる。そこですでに置いて行かれるともう大変だ。2回目くらいからは、なんだか積極的に端に座っていた気がする。
それでもやはりモンテッソーリ教育の効果か、ここでも諦めることなく、修行のような交流イベントには参加し続けた。
部活精神。苦痛でも参加し続ける。そうすると、不思議なことに、少しずつ、本当に少しずつ、なんだかわかるようになってくる。分かるようになった範囲は、前回よりも、1アクセント分多いとか、そんな感じである。雰囲気にも慣れていく。ただ傍観しているだけでなく、徐々に仲間に入っていっているような気がしてきた。席が端から、知っている人の両隣など。
秋口の入学から半年以上が過ぎ、薄暗いイギリスの冬を超え、春が訪れてきたころ、私自身の長い冬も明けようとしていた。
この日も水曜日の夜のテーブルディナーに、しぶとく参加していた。
日本人なんていないので、当然英語である。周りに座っている人たちから笑いがとれた。一瞬かもしれない。おそらく5秒以内だろう。しかしそれでも、私が、ネイティブを含むテーブルの中で会話をリードしていた。私以外は、何とも思っていない一瞬の会話であったはずだ。
話題が移った後どころか、その日の夜はもう何だったか覚えていない。ただ、確かに光が見えた。
この日からである。何事にも自信を取り戻して再び取り組めるようになったのは。この日以降、何事にも、正面からもっと力を入れて取り組むことが出来るようになった。病は気からというが、逆もまた然り。精神が良いと、仕事にも良い効果が波及する。
人生を変える瞬間というのは、本当に些細な感情の微々たる変化なのだろう。その瞬間は周りから見ればどうでもいいことで、当人に何か変化があったとすら気付かないものなのだろう。それでもなお私はこの2014年2月の瞬間をいまだに鮮明に覚えている。
少しずつディナーや立食イベントにもついていけるようになる。徐々に、ここに自分の居場所を感じるようになってきた。
しかしながら喜ぶのはまだ早すぎたようだ。
一難去ってまた一難。人生というものは、新たな壁がたちどころに現れるようにできているようだ。
次章に続く。