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公開日:2018年11月1日
更新日:2019年7月20日
2012年、私は、公益財団法人 船井情報科学振興財団 Funai Overseas Scholarship(FOS)2013年度生として採択いただいた。
一般的に言って留学用の奨学金は、留学用の学費や生活費を給費してくださることが多い。船井情報科学振興財団もそのうちのひとつである。採用基準などは、奨学生は知ることが無いので、益田隆司業務執行理事の公開ブログを参考いただきたい。
採択直後に、当時86歳であった船井哲良理事長に、財団の理事長室でお話を伺った。おおよそ彼の自伝の要約であった。6年前に30分程お話をお伺いしただけであるが、相当に迫力のある方であったと、いまだに鮮明に覚えている。
彼にはもう一度お目にかかった。採択直後に京都大学にある船井哲良記念講堂で行われた褒賞式においてである。煌びやかな金屏風の前に立ち、大学の学位記よりも分厚く立派な奨学金証明書をもち、船井哲良理事長と記念撮影。
奨学生レポート
FOSは、半年に1回のレポートの提出義務がある。フォーマットや形式は全くなく、枚数制限もない。
しかし、「半年おきに提出するレポートを数ページ分埋めるようにすれば、また半年後にはまた数ページ埋められるほどのネタや実績ができるのでは?」と思い、書き出すようにしていた。
副次的に、その後始めることになるブログへの、実名で記事を公開することへの抵抗が大幅に下がった。情報社会では、検索に引っかかる時点でリスク管理上、どこに書いてもほぼ同じである。という考えに至った。
結局全10回+修了報告書の11回書いたが、最後まで手を抜くことはなかった。少しは後世の役に立つことが書いてあれば幸いである。
これまでの奨学生 2013年度 篠原肇 University of Cambridge, Cavendisk Laboratory
交流会
当財団では、給費奨学金の授与以外にも、毎年数回、他の奨学生との交流会なども行われる。
正直なところ、この交流会の付加価値が相当に大きいのではないか?と感じている。
採択された年の年末には、忘年会が開かれた。会場は、帝国ホテルである。帝国ホテルの入口の仰々しさに圧倒された。
確かドレスコードは特に指定が無かったはずだが、スマートカジュアルやその他のドレスコードなど何もわからず、スーツにネクタイで出席した。なんとなくぎこちない。
一次会ののちの二次会は、帝国ホテル17Fの展望バー インペリアルラウンジ・アクア。
そもそも入り口に別のクロークがあり、脇にはドアマンが立っており、踏み込むのに少々勇気が必要であった。
中に入っても、メニューを見ると、カクテルが1杯数千円はするじゃないか。ルイ13世という超有名な1杯数万円のものまである。最初は高級な環境にビックリしすぎて、あまり会話の内容が頭に入らなかった。さながら、初めてスプリングの強いベッドを見て、トランポリン遊びを始める子供と大差がない。
また、毎年夏には、アメリカの都市において、交流会が開かれた。
第一回はニューヨークはタイムズスクエア、マリオット・マーキーズ。ゲストはノーベル化学賞受賞者である根岸栄一博士。
交流会では、お互いの研究発表と、その地で有名なレストランやディナークルーズを通しての交流。
特に一回目は、あまりなかった環境に相当に、はしゃいでいた。最初に宿泊した際には、部屋にある仕掛けを隅々まで試した。別に何をするわけでもなく、物珍しさだけでホテル内の設備の良いジムやプールも見に行った。回転する最上階のレストランも、高速エレベーターに思わず「おお!」と声を上げた。ホテルのロゴが入っているペンも、記念に持ち帰ったほどである。
http://www.funaifoundation.jp/scholarship/scholarship_koryukai2018.html
しかし、良くも悪くも慣れというものは怖いもので、数回のうちには「毎回の光景」になる。
実際二年目以降は、特に用事のないジムやプールにはいかなくなった。ホテルのアメニティも、手つかずのまま部屋を後にする。長時間飛行からの時差で眠いから寝る。以上。それ以上でもそれ以下でもない。特に豪華な設備にそこまでの興味もなくなった。高級ホテルやレストランよりも、たまにしか会えない他の奨学生や開催地に住んでいる友人を優先するようになる。
交流会では、科学者として国際的に有名な方がゲストにいらっしゃった。2018年は、青色ダイオードの中村修二氏。
http://www.funaifoundation.jp/scholarship/scholarship_koryukai2018.html
これにより、財団以外の他の場面でも、接待等の表面的な待遇に惑わされなくなり、より本質的に重要な事項を追求するようになった。
このような経験は、直近、ケンブリッジでも相当に役に立った。一年目からも、いわゆる各分野の重要人物とともに同席する機会があった。同席者が超有名人であっても、特に緊張をすることもない。逆に他の人が聞かないようなことも率直に聞いているようで、面白がられ、後で逆に連絡先を聞かれるようなことまであった。
高級レストランで、注文を取りに来るウェイターに”Do you have some recommendations?”と聞くのに抵抗もない。
国際的には様々な場面で行われる立食パーティーでは、空いたシャンパングラスを持ったまま、ウェイターの方を向けば、自動的に注いでくれるものだと思うようになってしまった。
博士号が終盤に差し掛かった、2017年の忘年会では、もうドレスコードがスマートカジュアルの際に、スーツにネクタイで参加することもなくなった。むしろブーツとかでちょっと洒落てしまっている。その忘年会の一次会ののちに、例の展望バーへ移動。財団の事務局の方々は、準備後に向かうから、私たちに先に行っておいてほしいとのことであった。
もう年配として、新年度の方々を連れ、展望バーへ。
「え、ここですか…!?」と少々びっくりしている新年度の採択者たち。なんだか5年前の採択直後の自分を見ているようである。
私「どうぞ、毎年、入って中央の扇形のエリアです。」(いやお前が言うなよ。というのは置いておいて。)我ながら、慣れたものである。
修了報告褒賞式
博士号を取得したのちには、4月に、京都で行われる褒賞式へ招待いただいた。
残念ながら、船井哲良理事長は直前に亡くなられた。自然と、彼に初めてお目にかかった時の印象と、彼の自伝をもとに、答辞のスピーチを組み立てようという気になり、再度、彼の自伝を読み返した。
スピーチはこちらを参照いただきたい。船井情報科学振興財団PhD取得褒章式スピーチ
これに関連して、無意識の刷り込みというのはすごいもので、何度か言われている間に、本当のように感じてくる。
当財団や他の環境で、「日本の未来のために頑張って」とよく言われるようになった。
修了報告レポートにも、自ら「日本と世界の公益のために頑張ります。」と書いてしまう程度には、勘違いの自覚をしてしまう程である。
終わりに
船井情報科学振興財団には、ケンブリッジ大学以前から一貫して、大変お世話になった。
FOSは、大学院留学の奨学金としては、界隈では知名度が高く、一部では「国内最強の奨学金」と呼ばれているようである。
自分よりも明らかに優秀そうな人が不採用になったなどと聞くと、何故私が採用されたのだろうか?と思うことはよくある。採択いただいた財団へは頭が上がらない思いである。
同時に、今後人生を通してふさわしい実績を上げていく必要があると、切に思う限りである。将来著名な卒業生として数えられるよう、日々精進していきたい。