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公開日:2022年6月14日
更新日:2022年6月14日
最近、筆記試験を対策する機会があった。特に一般教養試験と呼ばれるものは、就職活動や国家公務員試験などでも試験の点数が(たとえ足切りだとしても)非常に重視される。諸外国と比較してもその傾向を感じる。この理由を考えていきたい。
日本における筆記試験
日本社会と日本の教育は基本筆記試験が中心に組み立てられている。日本社会における「頭の良さ」というのは、特に大学入試センター試験(大学入試共通テスト・以後両者を同一概念として扱う)を中心としてできている傾向を感じる。「試験中心主義」と言っても良さそうである。
日本の教育は大学入試の試験が中心
日本において「学歴社会」という場合には、高卒・大卒・修士卒・博士卒等の定義通りの学歴を指さず、東大・京大・早稲田・慶應のような大学名を指すことが多い。そしてそれらは(推薦等様々あるものの、主に)大学入学試験による筆記試験での選別の影響が強い。
そして、ニュースなどを見てもわかるように、どこの大学卒かどうか?現役入学か、浪人か?など、キャリアを通して一生ついて回っている。内閣総理大臣であっても例外ではない。それを全国放送でニュースで流すくらい、この「大学学部入学歴」というのは社会における共通のツールのような使い方がされている。
https://twitter.com/jyusouken_jp/status/1510208152674836480
https://twitter.com/kitty_lifehack/status/1443522372921802754
日本社会における「大学入試センター試験」の位置づけ
特に東京大学の入試問題とセンター試験が中心になっている様子が伺える。円周率をおよそ3と教育指導要領の改定がおこなわれた際には「円周率は3.05より大きいことを示せ」という問題が出た。
2003年 東京大学 / 大阪大学 円周率を3にしようとするゆとり教育への警告?
日本中が注目する「自分事化」されている行事としてもセンター試験が存在する(正確には大卒人口は全体の5割程なので人口の半分程度なのだが、高校卒業は98%を超え、高校のカリキュラムはセンター試験で規定されていると言っても過言ではない。やはり大半の国民にほぼ直接的な関係がある試験が、大学入学試験である。
日本人の共通の話題として使いやすいのだろう。
就職試験
就職試験でもまた、筆記試験が課され足切りなどに利用されることが多いようである。これもまた試験のための試験と思われるものも多々ある。
司法予備試験
司法予備試験には一般教養という科目があり、いわゆる「センター試験をそのまま内容を深めた」感じになっているようである。これに関しては以下のような疑問が上がるらしい。
「司法試験と東大はどっちのほうが難しいの?」
「それぞれの合格率や勉強時間を知りたい!」
こんな疑問をお持ちの方もいるのではないでしょうか?
司法試験と東大は、資格試験と大学それぞれにおいて最難関と言われています。しかしこの二つを比べた場合、どちらに合格するのがより難しいのかはあまり論じられていませんよね。司法試験と東大の難易度はどっちが高い?合格率や勉強時間・予備試験との差も解説!
ここから先は申し上げにくいのですけれども,私の身辺の情報を総合すると,私の大学の在学生ないし出身者がそのほとんどというか,かなりの割合を占めていることは間違いありません。こういう実態が本当に本来の趣旨に合っているのかどうかということです。」
井上委員は,言うまでもなく東大法学部の教授ですので,「私の大学」というのは東大法学部を指しています。つまり,現在の予備試験は,実質的に東大法学部生の独壇場と化している感があり,検討会議ではこのような実態が予備試験制度の趣旨に反しているのではないかという議論もなされているのですが,予備試験の問題を読みながらちょっと考えてみれば,これは東大生の独壇場になって当たり前ではないかという,結構はっきりした理由があるのです。
現状の予備試験は「東京大学の法学部を修了し旧司法試験に合格した者と同等以上の学識及び応用能力並びに法律に関する実務の基礎的素養を有するかどうかを判定する」試験になってしまっているのです。
念のため言っておきますが,「東大法学部生と同等以上」ではありませんよ。東大法学部生の全員が旧司法試験を受験していたわけではありませんし,ある東大教授は「東大法学部生の三分の一は法曹には向かない」と言っていたくらいですから,東大出身の司法試験合格者というのは,東大法学部生の中からさらに選抜された人種なのです。それと同等以上の学識及び応用能力等を身に付けなければ,現在の予備試験に合格することはできないのが現状なのです。
要するに、「筆記試験の難しさ」というものが比較対象になる位に試験の重要度や注目度が高いと言っても良さそうである。
さらにこういう認識があるために、「司法試験予備試験合格」が箔になったり、誇るものであるようである。
また以下のような論調や意見も見られる。
https://twitter.com/whiteworldcomes/status/1526850327542366209
これらは、言ってみれば以下のような認識の上に成り立っていることが推察される。
司法試験予備試験は、東京大学入試試験(センター試験を含む)を高度にしたもの。これが出来る私は東京大学卒業生よりも賢い。
賢い人とは、範囲が広く難解な筆記試験の点数が高い人。
通常の視点では「大学の入学」と「資格試験の合格」は別物な気がするのだが、結果に高い相関があると思われる内容のために、このような意見が出てくるのだろう。
確かに私自身も、大学入学の直後に、入試科目の延長のような分野(物理・化学など)を大学図書館で見ていた時期が一瞬あったので、心理は分からなくもない。
何だかこれは、官僚の「東大何位入学」「公務員試験何点合格」に通ずるものがある。
さらに一部界隈では「何年入社・何年入省・何年入行」をやたら気にし「東京大学の学部の入学試験に何番で合格したか?」を定年間近や、定年後ですら気にすると聞いたことがある。(これ本当なんだろうか?)
要するに、評価基準が18歳の時に行う大学受験辺りで止まっている。要するに、シグナリングは「受験偏差値」のようである。これにより日本で日本人がシャカイジン・ケイケンを重視するのは、
「日本の大学受験までの偏差値の序列を崩したくない・崩されたくない。」
東工大卒「東工大卒です」
東大院卒「(東大じゃないのか)東大院卒です」
東大卒「(学部東大じゃないのか)東大卒です」
灘卒「(一流高じゃないのか)灘卒です」
みたいの実際時折観察されるよね。
愛校心を持つのはとても良いのだが
それは学歴で他人を見下す事ではない。https://t.co/oQNzGNFIlN— Willy OES ☀ (@willyoes) November 26, 2019
日本のクイズ番組
特に高学歴学生をタレントとして使う系のクイズ番組では、難解な知識を問う問題が多い。これがコンテンツとして成り立つのも、筆記試験至上主義に通ずるものがないだろうか?難しい感じが読める、細かい世界遺産の名前を知っている、計算が速い等。昨今の何でもネットで検索が出来る時代にそれらの能力がどれだけ有効なのかは定かではないが「筆記テストアスリート」としては、分かりやすい指標のように見受けられる。
芸能人が難関大学受験
「芸能人が難関大学受験」で特集番組になる。それくらい大学入学試験は関心が高いと言える。
(大学入学試験は、基本的に高校の範囲なんですが・・・?と思ってしまいたくなる。)
筆記試験(特に暗記系)と努力の相関
色々なところで言われていることだが、日本は、結果がどうというよりも「努力すること」「苦労すること」「頑張る事」が大事とされている傾向がある。「一生懸命頑張る」こと自体に価値を置く傾向がある。
ここで、筆記試験、特に覚えればできるような内容の試験は、ひたすら長い時間をかけることによって得点を伸ばすことが出来る傾向がある。すなわち、努力すればするほど得点が伸びると言える。
一方で、数学や理科は、出来る人は何もやらなくても出来る人がいる一方で、いくらやっても出来ない人が多く高校における文系・理系の比率は、理系:文系=32%:68%と極端に分かれている。最近ではこれらの能力は遺伝の傾向も強いことが明らかになっているようだが、数学・理科苦手な人が多い傾向もあって、こいつらはキモい扱いを受けがちである。
数学は87%、IQは66%、収入は59%が遺伝の影響! 驚きの最新研究結果とは
このことと日本社会において技術系の地位や待遇が低いこととも一致する。
これは後述の日本の筆記試験の源流と思われる官僚の試験に理系科目がなかったこととも相関が高そうである。
入社試験・筆記試験の歴史
なぜこのような傾向になっているのか?少し歴史を調べたい。
科挙
科挙とは、過去の中国における高級官僚を登用するための試験制度のことです。6世紀の隋(遣隋使でもお馴染みです)の時代に、始祖の文帝によって初めて導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続きました。優秀な人間を選抜するとともに、皇帝の権力を強化するのが目的でした。
家柄や出自に関係なく、ペーパーテストの成績さえよければ高級官僚として登用するというのは、世界的に見ても画期的なことでした。事実、18世紀くらいまでのヨーロッパでは、高官は貴族の世襲が当たり前でしたから、中国の科挙は非常に優れた制度として紹介されていたようです。
入社試験
入社試験
会社が学生の選考を始めるのが今年は8月からなの。だから今は追い込(こ)み時期なのよ。昨年までは大学3年生の12月に会社説明会を開始し、4年生の4月に選考を始めていたけれど、大学の学期末の試験などに影響(えいきょう)するといわれて、今年から遅(おく)らせたの。
いつからこんな採用の仕方になったの?
明治時代からよ。昔は大学を卒業したら明治政府の役人や学校の先生になる人が多かったけれど、三菱(みつびし)や三井といった大きな会社が「ウチにきて働いてほしい」と採用するようになったわ。その後、多くの大学ができて卒業生の数が増えると選考試験をするようになったの。優秀(ゆうしゅう)な人を確保しようと在学中に声をかけることも多くなったので、1928年に「選考試験は卒業後にする」と取り決めたのよ。
100年近い歴史があるんだね。
第2次世界大戦後の経済復興で、働く人がたくさん必要になって、人材の獲得(かくとく)競争が激しくなったので、1953年に政府と会社と大学が集まって選考の開始日を決めた「就職協定」が始まったわ。でも守られないことが多くて、1997年に廃止(はいし)になったの。
官僚の試験は、元々以下であった。
1893年の文官任用令制定に伴う改革によって高等文官試験が施行され、1899年には同令改正によって勅任官の政治任用が廃止された為、勅任官の多くも高等文官試験合格者が占めるようになりました。この試験に合格すれば、生まれを問わず高級官僚になれるという画期的な試験であり、かなり難度の高い試験でした。
高等文官試験(こうとうぶんかんしけん)は、1894年から1948年まで日本で実施された高級官僚の採用試験である。1918年の高等試験令(大正7年勅令第7号)以後の正式名称は高等試験、高等試験令施行前の正式名称は文官高等試験だが「高文(こうぶん)」や「高文試験」と略されることも多かった。高文は日本の属領地(もしくは植民地)であった朝鮮や台湾でも行われた。メリット・システムを採用する他国における高級官僚採用試験の訳語として使用される場合もある。
ここで、試験科目は以下のようであったようである。
行政科筆記試験科目
必須科目 – 憲法、行政法、民法、経済学
選択科目 – 哲学概論、倫理学、論理学、心理学、社会学、政治学、国史、政治史、経済史、国文および漢文、商法、刑法、国際公法、民事訴訟法、刑事訴訟法、財政学、農業政策、商業政策、工業政策、社会政策
選択科目は事前に3科目を選択する。口述試験は行政法、受験者志望科目、の2科目である。
外交科筆記試験科目
必須科目 – 憲法、国際公法、経済学、外国語は英語、フランス語、ドイツ語、中国語、ロシア語、スペイン語から1種を選択する
選択科目 – 哲学概論、倫理学、論理学、心理学、社会学、政治学、国史、政治史、経済史、外交史、国文および漢文、民法、商法、刑法、行政法、国際私法、財政学、商業政策、商業学
選択科目は事前に3科目を選択する。口述試験は外国語、国際公法、受験者志望科目、の3科目である。
司法科筆記試験科目
必須科目 – 憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法または刑事訴訟法、から事前に1種を選択する。
選択科目 – 哲学概論、倫理学、論理学、心理学、社会学、国史、国文および漢文、行政法、破産法、国際公法、民事訴訟法または刑事訴訟法(必須科目で選択しないもの)、国際私法、経済学、社会政策、刑事政策
選択科目は事前に2科目を選択する。口述試験は、1科目を民法または刑法とする受験者志望による3科目である。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E6%96%87%E5%AE%98%E8%A9%A6%E9%A8%93
なんとこの試験科目の中に「数学・理科の理系科目がない」。このことと日本では伝統的に「数学・理科は邪道」という扱いを受けることに相関はないだろうか?
試験中心主義のメリット・デメリット
試験を中心とすることのメリットは何だろうか?何かしらのメリットがあるのでそうしているのだろう。
メリット
比較的公平
推薦制度や世襲制度と比較すると、比較的公平な制度と言える。ただ試験が出来さえすればよい。塾などにより入念な対策が出来るとはいえ、それでも「世襲制」や「献金」と比較すると、試験が出来るだけでよい、というのは公平と言える。
(これも塾や試験対策の格差が最近では話題になっているようである)
色々な意味で正当化されやすい/溜飲を下げやすい
筆記試験の特徴として、通常の生活や業務に関係なさそうな重箱の隅をつつくような問題も多い。
このような試験で日本社会において(と言っても国際的には比較的薄いのだが)重要な意味を持つ学歴、正確には「大学学部学校入学歴」に対して、「学歴なんて関係ない!しょうもない暗記テストのために昔頑張らなかっただけ!」という理論が正当化されやすい。これにより溜飲が下がる人々がいることは、政治的にメリットと言えるだろう。(実際には、ただの暗記テスト、ではないような気もするのだが)
努力・苦労信仰との相性
広範囲の試験の試験対策は大変になりがちである。それには努力と苦労を要する。努力や苦労が好きな傾向が強い日本国民にとっては相性がいい選抜方法であると言っても良さそうである。
デメリット
デメリットは以下だろうか?
「求めている能力を持つ人材を見極めにくい」
なんだかんだ言って筆記試験は筆記試験でしかない。
多少の相関はありつつも、机上の空論と表裏一体である。試験対策に過学習することで、試験だけ出来る人材が量産される可能性がある。
思惑(?)
人間は、基本的に自分たちの属性や特性が有利になるような制度にしたがる傾向はある様子である。一種の生存競争と自己正当化である。これは上記の科挙でも中国で起きていたようである。
現代までの日本において、公務員試験や司法試験を合格している官僚や法曹は、優位に東京大学卒が多い。彼らが有利になるような制度を作ろうとすると、筆記試験を難しくすることが最適となる。その結果が現在の筆記試験中心主義につながっているのではないだろうか?
科挙の制度は時代を下るにしたがって、どんどん自己目的化(=「科挙に受かる」こと自体が目的になる)し、本来の「優秀な人材の輩出」という機能を失っていきます。清代になると、古典を知っていることが最高のことであり、実際の政治は俗事として下に見なすようになったとも言われています。しかし、科挙の運営が科挙合格者によって運営されているのですから(名目上は皇帝直轄の試験ではありましたが)、その制度は容易には変わりません。科挙とは何か――あらゆる制度は自己目的化し、腐敗する
この文章中の「科挙」を「公務員試験」や「司法試験」「東京大学」等に代入しても同じようにならないだろうか?
終わりに
日本の筆記試験と捉え方について調べて考察した。どうやら日本の現状の筆記試験重要視は、歴史的にもかなり根が深そうである。
特に伝統的に筆記試験が重要とされてきた業界では、筆記試験が得意な人たちが制度を受け継いでいくから、筆記試験が重要な傾向が保たれる、ということなのであろう。
一方で、「陽キャ・コミュ強・体育会系」が有利な業界は、筆記試験よりも「陽キャ・コミュ強・体育会系」が優遇されるようになっている印象である。
日本社会において、筆記試験が重要となる理由を考察した。どうやら日本の試験中心主義はまだまだ崩れることはなさそうである。