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公開日:2020年5月23日
更新日:2020年8月25日
新型コロナウイルスの影響で、緊急事態宣言まで発令された関係で、基本的に完全在宅勤務となった。この状況下ではいろいろな「異文化体験」をすることとなった。
引きこもり
普段ほとんど寝るだけであった自宅にずっといることになった。普段ずっと座っていないデスクに座り続けることになる。
あまりよく見ていなかったので気が付かなかったがよく見ると、外付けモニタが変色している。
考えたらこの外付けモニタ、ずっと使ってて小さいし、買い替えるのに丁度いい。
新しいデカい画面。外部モニタとして接続にしたら、非常に快適になった。
しかし数週間後「ノートPCの画面小さくない?これなら大きい画面がもう1画面あったほうがいいかな?」と考え出す。
考え出したらもう買いたくてしょうがなくなる。外出しないから支出もほぼない。結局もう1画面購入。アマゾンが翌日運んでくる。
無事に3画面になった。
これもつかの間である。人間の欲望というものはすさまじいもので、より良い環境を求めるようである。
数日後にまた感じることになる。「27インチ画面を2つスタンドに接続したままデスク上に置くと、やたらデスクが狭くなる。パソコン以外が何も置けない。メモも取りづらい。あれだ。アームスタンドを買うべきだ。」
・・・結局27インチスクリーン2面が宙に浮く。
それにしても一日中画面見ていると疲れる。フィルターを張るか。
ついでにブルーライトカットのメガネでも買うか。
どんどんパソコン機器がアップグレードされていく。初心者レベルのトレーダー・ゲーマーくらいにはなっただろうか。
おそらくこれが引きこもり廃人の入り口である。Amazonも、ここぞとばかりにおすすめ商品一覧メールを送り付けてくる。Amazonは俺をハメる気なんだろうか。
ここまで家でも作業がしやすくなると、もうカフェに行くことはないかもしれない。基本は自宅のデスクで十分である。作業中もカフェミュージックだとかハワイアンだとかをかけるとより快適である。雰囲気を出す必要があるのかはさておき、なんとなく雰囲気も出る。
住めば都。というか元から住んでいたのだが。
これとかかければ、まさにスタバ。
家から出れなくなる人も、最初はこうして居心地が良くなって抜けられなくなっていくのだろうか?なんとなく引きこもりの心境が少しわかった気がする。
運動
当然ではあるが、家にずっといると運動不足になりがちである。ボールなんて触る場所がない。家の中で投げるわけにもいかない。
ただ自粛中でもランニングは良いとのことで、まずはランニングシューズを購入。ひたすら走行距離が延びる。
だんだんと慣れてきて電車の駅で数駅隣まで走る。帰りは引き返して走らずに、途中で達成感を得て、電車で最寄り駅まで戻ることもある。もはや電車が待ち時間10分ほどのアトラクション化してしまっている。
室内でもバランスボールを購入し、ことあるごとに座っている。
一日中この不安定な状態の上に乗っている時間が長いために、むしろ引きこもっているほうが、体幹も鍛えられる感じがしてしまう。
練習には行けないために、家の中でどうにかしようとする。ちょっとした不祥事を起こして自宅謹慎中のスポーツ選手は、こういう気分なのだろうか。
試験
緊急事態宣言下では、不要不急の外出が制限されている。完全在宅勤務下では、スーパー以外で基本的に家から出ることがない。しかしずっと家にいるのも飽きるものである。
逆に言えば不要不急の何かがあれば、家を出ることが出来る。こうなると、どうにかして「不要不急でない用事」が欲しくなってしまうものである。どうにかして外に出たい。
色々調べた結果、取得したい資格試験が受けられるテストセンターは、一部の限られた拠点は空いているらしい。
一年中やっている試験を今受ける必要は正直なところなく、不要不急である感じが否めないが、テストセンターが空いているのであれば仕方がない。試験が俺を呼んでいる。
資格試験と言っても、ただテストセンターへ行って、パソコンの前に座って3-4時間の試験を受けるだけである。
それでも家から出るのがこんなに楽しいとは。内側からカギがかかるだけの監獄から出たような解放感。一時保釈中。
もしかしたらこれは「宅浪」と同じ気分なんじゃないだろうか。宅浪は大学受験の際に予備校に通わずに、1年間自宅で浪人生をすることを自宅浪人、略して宅浪という。定かではないが、家から出たくて変なペンネームで受験して冊子に名前を載せるゲームである模擬試験が楽しみになりそうである。
なお上述の資格の場合、大学入試と違い、日程を自分で設定することが出来る。テストセンターでいいから外出がしたくなり、余計に試験勉強がはかどってしまった。(取得したい国際資格はいくつかある。)こうなると試験の受験という遠足のために余計に勉強するという、一種、謎の好循環に勝手に入ることとなった。
異動
在宅勤務で家から出ることが無いと、試験を受けの往復ですらも、一大イベントに様変わり。
しかし人がいない。ひたすらいない。開校していたテストセンターはとある観光地の近く。そんな観光地も閑古鳥。道路も警備員位しか歩いていない。
放課後に学校に忍び込んだような、なんとなく隠れて悪いことをしているような気分であった。
久々に4駅以上電車に乗り、電車を乗り換えた。電車というアトラクションに行きだけで2回もエンジョイしてしまった。
プラットフォームの自動販売機でビタミン炭酸Matchを買ったのはいつぶりだろうか?
帰りの路線は、電車は同じ路線を引き返すのでは、QOLが減るのではないか?ちょっと快速で行き過ぎてから別の路線で帰ろうか?
帰りにマルエツで買って帰るアイスはロッテ爽キャラメルプリン味にしようか?それとも明治エッセルスーパーカップキャラメルラテ&クッキー味にしようか?プリンか?いやキャラメルラテだ。ソーシャルディスタンスで間隔をあけ12人ほど並んでいるレジの最後尾に並んでからも最後の心変わりがしそうである。
これは、留学して初めての一時帰国中に、お昼に松屋に行くか吉野家に行くかで数分迷い、かつ牛丼に付け合わせの半熟卵を買わないと一生後悔するのではないか?と時差ボケの中を悩んだあの時の感情に酷似していた。
通院
試験の他にも不要不急の用事を必死に探す。
バランスボールにぷかぷか浮かびつつも精神を統一し、博士論文の口頭試問の準備をした際のように念入りに身の回りを改めて思慮する。
深い呼吸をする後、見つけてしまった。
病院である。
よく考えたらちょっと足が痛い気がする。いやずっと前から違和感があったはずだ。問い合わせてみると行きつけの整骨院は、なんと開院中。これは行くしかない。
千載一遇のチャンスである。ここで攻めずにいつ攻めるんだ。漢を見せろ。乗るしかないこのビッグウェーブに。
整骨院では、足に特殊装置でパットを付けて電撃をやられ、激痛が走るものの押されるなど。整骨院の電気パッドって、こんなに刺激的で気持ちよかったっけ?痛気持ちいい。基本的に外的な刺激が減っているので、施術の電撃すらも物珍しく感じてしまう。リハビリもなんとなく多めに取り組んだ。整骨院はエンタメ施設である。
施術が終わり、普段だったら他の用事で行けなかったところが、むしろ「えー、1回でいいんですか?来週も来ないといけないとかないんですか?」と不要不急ではない用事が欲しい。半日休暇も取得して通院することに。
これはなんとも見覚えのある状況である。数年前骨折をした際に整形外科へ通院していた。その際に朝開院直前の待合室には言われそうなピンピンしている心身ともに健康そうな高齢者が、リハビリコーナーに大挙して押しかけ、待合室では楽しそうに雑談していた。
地域のサークル活動であるかのように。
「あら~、最近ねぇ、田中さん病気になっちゃったみたいなのよ~。病院にも来られないみたいよ。大変ねえ」と病院の待合室で。
病院の人たちも全員顔と名前が一致しているようだ。
医療費の圧迫の原因とされている彼ら。コロナによって、私はまさに同じ状況に陥っているのかもしれない。
不自由な環境でも改めて考えると新たな発見があるものである。そう感じざるをえない、外出自粛生活であった。