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公開日:2018年5月7日
更新日:2018年8月27日
ベンチャースポーツという単語が徐々に浸透してきた昨今において、「なぜベンチャースポーツ?」と呼ぶのかを聞かれることが多くなりました。
公開した記事もありますが、今回は表面的な単語の差の他に、その裏にある意図を多面的に見ていきたいと思います。
「マイナー」に代表されるネガティブワードのラベル
「マイナースポーツ」に取り組んでいる人たち自体は、「競技人口が少ないスポーツ」位にしか考えていないという現状がある一方で、「マイナー」自体に、二流の、やる価値のない等の、非常にネガティブな意味を含んでおり、マーケティングや広告としてはマイナスになることが知られていますし、現に感覚としても分かるように思います。
結局のところマイナースポーツというと「変わり者のとるに足りない風変わりな趣味」という印象がついているという状況があります。この状況下では以下のようなことが起きやすい状況にあります。
食わず嫌いならぬ「やらず嫌い」の助長
マイナーというと、すぐに出てくる関連ワードが、変、やる価値がない、となりそうなものです。
こういう状況であれば、「俺、実は興味あるけど、そんなマイナースポーツに興味があるだなんていうと、バカにされそう」と心の中で思っていながらやってみることもできないような人がさらに手が出しづらい状況になってしまいます。
よって興味があるものの、やってみるまでのハードルが上がることになります。
なんとなくバカにしていいという風潮
マイナーなものなら、ある程度はバカにしていいという風潮まで出てきます。なぜならばマイナーだから。
よく考えると論理的な説明になっていません。
しかしながら、マイナーだからバカにしていいのか、バカにされ続けているからマイナーなのかは、卵と鶏の関係のようなものでしょう。
仮に世界記録・世界チャンピオンが出たとしても、「でも、マイナーなんでしょ?」と言われると、もうどうにもならないというのが実情としてありました。
人種差別
さてこの状況が何かに似ているのではないか?と感じていたのですが、なんなのかが分かりました。
人種差別です。
私自身、海外で人種差別を受けたり、スポーツでさえも外国人の自分にだけ判定が厳しいなんて言うこともありました。
「マイナーなんでしょ?」と言われた際と、「アジア人」と言われたり、そう示すような態度を出されたりする際の感じ方が非常に似ていました。
「ベンチャー企業」という和製英語
海外では一大産業だが、日本では小さいような領域での企業や、今までと違った方向性で物事に取り組む企業を、規模による定義の零細企業や中小企業とは言わずに、口をそろえてベンチャー企業と言っています。
ベンチャー企業における「ベンチャー」は、規模としてはまだまだ小さくとも、今後の成長への期待が込められています。
では、マイナースポーツではなく、ベンチャースポーツといえばどうでしょう?
マイナースポーツというと、変わり者のとるに足りない風変わりな趣味という認識をされがちなのに対し、ベンチャースポーツといえば、時代の最先端を行くイノベーターのスポーツという見方も出来るでしょう。
なぜ記事を書いてきたか?
では、なぜ記事を書いてきたか?
私が日本に滞在していなかったために直接は何もできなかったという面もあります。
しかしながらそれ以上に、最も効果的であると考えたためです。
競技人口が少ないのですから、人的リソースは限られていますし、自ら取り組む人はその中でもさらに限られています。
少ない人数で最も効果を上げるには、この方が適していると考えられます。
「記事を書いた方が効果がある」とはどういうことでしょうか?
歴史的にも様々なことが起こっています。そちらを例にとってみましょう。
フランス革命直前の哲学思想
賛否・諸説あるとしても、フランス革命は、市民が絶対王政を倒した革命として知られています。
重税その他の市民への対応の悪さによる市民の不満があった状況下で、今も歴史の教科書に出てくるようなモンテスキュー・ヴォルテール・ルソーなどの啓蒙思想家が活躍します。
結局どうなったかといえば、市民が立ち上がり、王政を倒します。
さて、その肝心の活躍したと言われる啓蒙思想家たちが何をしたかといえば、極論、
「概念を提唱し本を出版した」だけ
です。かなり論理的に。(哲学は相当に論理的です。ほぼほぼ数学)
本を書くのは、今でいえば、ネットで記事を書くのとさほど変わりません。
まさに「ペンは剣よりも強し」の最たるものです。
人種差別
「マイナー」差別に状況が似ていると書いた人種差別でも同様です。人種差別の場合には、本というよりも、有名な演説が残っています。
“I have a dream”で始まる、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。
アパルトヘイト撤廃に貢献した不屈の闘志ネルソン・マンデラ。
彼らの影響力は計り知れません。むしろ彼らがいなかったら、人種差別は未だに社会で当然とされていた可能性すらあります。
言ってみれば、この2人は差別を受けていた側の人々です。
一方で差別をしている側の権力を握っている側の人間が、事態を改善させた例もあります。
人種差別よりも前には、特にアメリカでは黒人の奴隷制度がありました。
その奴隷制度を、白人なのにもかかわらず、撤廃したアメリカ大統領エイブラハム・リンカーン。
数々の名言と功績が残る彼ですが、その中でも最も有名な功績は、奴隷制を開放です。
彼自身は見ての通り白人で、奴隷として使われていたのは黒人です。
手段であったなどの諸説ありますが、要するに強い側が弱い側を開放しました。
私たちは、リンカーンのような人々を欲しています。そのような方々は、協賛企業やメディアの方々だけでなく、スポーツにちょっと興味がある、この記事を読んでいるようなあなたがたです。手段でも目的でもなんでもいいので、実際に見てみたり、やってみたりしてほしい。ベンチャースポーツのみならず、スポーツと健康の領域全体の活性化が起こっていけば幸いです。
やれば出来るという調教効果・自己暗示
フランス哲学関連でいうと、アラン「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」ともあるのと同じように、自己暗示により実際に出来るようになってしまう効果があります。
教育分野などでは有名なことですが、「教師が期待をかけると、生徒も自分もできると思い込んだ結果成績が伸びる」というものがあります。
マイナーのように「あなたたちはダメだ」と言われるのではなく、ベンチャーのように「あなたたちならできますよ!」と毎日言われれば、実際に出来るようになる可能性も、実現までの日程も短くなること間違いなしでしょう。
日本ベンチャースポーツ連盟
「ベンチャースポーツと呼んでいる人は増えてきたものの、実際のところどうなっているのかが分かりづらい」という外部からの声を聞いたことをきっかけとして、統率と発展の目的で日本ベンチャースポーツ連盟を創設しました。
現状では加盟制ではない
連盟という名前ではあるものの、加盟制は取っていません。
スポーツ界は、各協会内や連盟間の利権争いや、小競り合いのような力関係が多いのが現状としてあります。ここに加盟制を取ると、結局加盟する・しないなどで新たな問題を増やすことになりかねませんし、結果として、個人としては参加したいものの、団体としては賛同しないなどにより、結局賛同数が減るという事態になりかねません。
どうにかして連絡は行くようにします。
よって、賛同したい人が自由に賛同できるような体制を取っています。
オープンイノベーション・オープンディレクション
企業内部で独自の技術を開発するのではなく、他の企業との協力の元開発時間の短縮や技術向上を行う方式のことは、オープンイノベーションと呼ばれています。
お互いに必要なときは協力し、それ以外の時は関与しない状況です。
これを踏まえると、直接的には関与せず、全体的な方向性を示す方式は、「オープン・ディレクション」とでも呼んで良さそうです。(これも私の造語です。)助成金は付けない政策のような感じでしょうか。(もちろん助成できるくらいならしたいですよ!)
量子物理のアナロジー
何でこんなことを考えたのか?との答えは、量子物理とのアナロジーにあります。なんだか込み入る感じがするので、飛ばしてもらって構いません。
量子物理の、スピンと呼ばれる磁石のような性質を示す物質は、物質内で相互作用をします。
磁石が相互作用をすることを想像すればわかるように、磁石が規則的に並んでいれば、全体としてみれば強い磁石になります。
しかしながら、物質内では、磁石間の距離がまばらであったり、各磁石間の強さがまばらであると、各磁石間の小さな領域で小競り合いのような不規則な状態が現れます。(短距離秩序)これをフラストレーションと呼びます。
一方で、小さい部分としては全く気にせずに、大きな磁石の塊としてみれば、一定方向に磁力を持っている場合があります。(長距離秩序)。
では、小競り合いの中でも、全体として同じ方向を向いている磁石のみに注目すれば、ある程度の力を持った磁石を作ることが出来そうです。
さらに外から強い磁力をかけると、短距離秩序の小競り合いが抑制されたりすることもあります。
これを、各協会とベンチャースポーツ連盟の関係に応用すると、ベンチャースポーツ連盟のような方式になりました。
今後の方向性
同時に、「変なスポーツ」という表現を聞くこともあります。
変なスポーツという方に質問があります。
架空のゲームを考えます。
想像してください。
「手を使わずに、身体で風船を運び、枠の中に飛ばすゲーム」
があるとします。
このゲームは、変ですか?
いたって普通ですか?
少し考えてください。
結論は出ましたか?
ちなみにこのゲームは実在します。
「サッカー」と呼ばれ、世界中で行われています。競技人口も世界最大規模です。
昨今、競技人口や経済規模でスポーツを評価している傾向があります。
資本主義下では避けられない部分であることも間違いない一方で、スポーツ自体は、本質的に楽しむものであり、メジャーもマイナーもベンチャーもない世界が来ることを心から願っています。