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公開日:2020年5月21日
更新日:2020年7月23日
新型コロナウイルスの影響で世界の各国でオンライン授業に切り替え措置が取られている。
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「オンラインで授業を見ることが出来るから、高い学費を払って大学に進学する必要はなくなった。」という論調の意見も散見される。果たしてそうだろうか?むしろ何故そう考えるのだろうか?
今回のコロナウイルスの影響で、遂にケンブリッジ大学でも授業がオンラインになるということでニュースにも取り上げられていた。
「本学は今回のパンデミック(世界的流行)で出される、変化する助言に絶えず適応している」
「社会的距離の保持は今後も求められる可能性が高いことから、本学は次の学校年度で対面式の講義は実施しないことを決めた」
「講義はオンラインで受講できるようにする。また、社会的距離に関する制限を遵守できる場合は、少人数のグループ授業の開催が可能になるかもしれない」
「この決定を受けて計画が作成される。だがこれまで同様、コロナウイルスに関する公的な助言が変わる場合は見直される」
これだけだと確かに講義はオンラインにするので大学に行かなくてもいい、と受け取られがちである。
しかし、この記事の基となっていると思われる記事を発見した。
Small group teaching – supervisions, seminars or individual tuition – is at the heart of our educational provision and will continue in person as much as possible. Given the likely need for continued social distancing, we have decided to suspend mass lectures in person for the next academic year. Lectures will be available online; this system is already in place in some University Departments. Lectures are only one part of the rich education that Cambridge offers and freeing space in lecture halls will allow us to concentrate on delivering small group teaching, lab work and practicals. Colleges are planning to offer a wide range of activities, and will work hard to build up community life, even in the midst of social distancing.
「少人数のグループが教育の中心」(スーパービジョンといいます。)と明言されている。後に「幅広い活動とコミュニティ形成を行えるように努力する」とも言及している。大学側としても少人数のグループ教育が重要と明言している。
要するに一般的な話になりがちな講義自体は、領域の入り口に過ぎずそこまで重要ではないという認識なのだろう。
実際の感覚としても、講義自体は録画でもいいのではないか?というのは在学中の感覚としてもその通りであった。講義には出ていなかった人も多い。
むしろ大学としても、講義自体が最大の価値ではないという認識をしている場合、無料で動画を流せば、大学の宣伝にもなると考えているのではないか。
個人的にもケンブリッジ大学を卒業して1年後に再度大学を訪れた。その際に「あ、帰ってきたわ。」と明確に実感した理由は500年前からたいして変わっていない風景でもなく、どこの企業や研究所とさほど大差がない実験装置が並んでいる実験室でもなかった。感じたのは「友人との会話の内容のレベル」であった。基本的に色々なことを知っていたり、変わった視点でものを見ている人が非常に多い。少なくとも日本の普通レベルの大学を卒業している私からはそう映った。
実際に在学中の経験としても、授業やセミナー自体よりも、フォーマルホールと呼ばれるディナーで多くの場合、初対面の人たちと2時間ほどの3-4コースのディナー中にひたすら会話をすることで得たものが多い。これを毎週のように行っていると、自然と力がついている様子である。実際に国際会議の懇親会の方が質が低く感じたりと、いろいろなことが起こった。ちょっと話振っただけだと思ったら、既にKOしているみたいなオリンポスから降りてきたヘラクレスみたいになったりと、感覚が変わった気分にも襲われた。
コミュニティの重要性というのは、端的に言って人材の質である。これは誰でもウェルカムな状態では決してない。お金を払えば誰でも入れるのでは意味がない。何かしらのスクリーニングし、選抜することが重要であるように感じる。良いか悪いかはさておき、世界での様々な分野の進め方は「貴族層と一般優秀層の掛け合わせのチームで戦う」のが最適の様子で、この傾向は多くの領域で数世紀続いている。こういった何かしらの選抜による「コミュニティ」の場合、全く宣伝もされないので一般的な知名度はないが、非常に強力で、結びつきが強い傾向を感じる。
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卒業してからまだ2年経っていないが、在学中の時の一緒に仮装して遊んでいたような友人が既に偉くなっているなんて言うのもよくある。そんな同窓生とは未だにチャットやZoom会議をよく行うほどである。
ところで、ケンブリッジ大学にこんな風変わりな校則がある。
「学期中は学生は中心の教会から学部生・大学院生は、それぞれ3マイル・10マイル(約5km・15km)以内に居住しなければならない」
Undergraduates
For undergraduate students, this usually means within 3 miles of Great St. Mary’s church, in your college or in other accommodation with your college’s permission. If you feel you need permission, you should speak to your college.
Graduates
For graduate students, ‘precincts’ are normally considered as the 10 mile radius of Great St Mary’s church if you are a full-time student. If, however, there are good reasons for this not being possible or convenient, you can apply to live outside this limit.
何だこのふざけた校則は。”No cycles, dogs, radios or picnics.” 「自転車と犬とラジオとピクニックは禁止です。」の数世紀の間に違反されていったものをひたすら足していった結果できた看板とか、必ず6月にやるのに名前がメイボールのパーティみたいなものか?
と思っていた。しかしこれも、近くに住まなければならないのであれば、自然発生的に他の学生・教員と共に過ごす時間が増える。
「机を並べる」という表現があるが、これは実際に物理的に机を並べることに価値があるのだろう。実際に交流しているとひしひしと感じていたが、一生かかっても適わなそうな人材が360度どの方向にも果てしなく存在していた。こういった圧倒される経験は、ただ動画で見ていたのでは決して得られない。
この意味では、人材が集まる(もうそうなっているのかもしれないが)大学自体の価値も他のコンテンツと同様に今まで以上に、一部に一極集中するのかもしれない。