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公開日:2020年10月10日
更新日:2020年12月1日
組織におけるリスクや業務継続では、費用対効果を常に考えることになる。確率的な言い方をすれば「期待値」である。期待値をあげ、いかに想定される中での最悪の状態が起きにくくし、最高の状態を起きやすくするのかが重要となる。いかにして大損する確率を減らし、大きく得をする確率を上げていくか?が重要になる。同時に失敗しても致命傷にならないようにすることも重要である。
一方で個人のキャリアや、スポーツ団体の運営を通して見えてくるものが多くあった。個人的にも大学院やスポーツ選手等、置かれている状況が様々である。
ここで、企業などに利用されるようなリスク・付加価値・費用対効果の分析を、個人のキャリアに応用して考えてみたい。
もはや本ブログの最近の記事の枕詞となりつつあるが、あくまで確率的な見方や傾向の話で、個々人のケースに必ず当てはまるわけではない。予めご了承いただきたい。そしてあくまで現状の仕組みの話なので、感情ではなく構造ついて考えている。現状を把握する意味でも、あとで知った際に「こんなはずじゃなかった」という後悔を持たないようにするためにでも、是非「心のスイッチを切って」考えていただければ幸いである。
自由化と一極集中
基本的に「選ばれる側」には、多くのチャンスが舞い込み、業界中のリソースが集中する。さらに分野外からもその分野の代表者としてコメントを求められたり、フラッグシップとして参考にされたりと、副次的な付加価値がつき、さらにチャンスが増える。
自由競争下では、実際にはこんな感じではないだろうか?パレートの法則を強化したような状態。80:20の法則ではなくもっときつい感じ。95:5だとか98:2みたいな。
日本人が大好きな偏差値で言うと大体上位5%が67程度。上位2%で70。ざっくりだが、いい線いっていないだろうか?
8割の人が2割を独占パレートの法則(パレートのほうそく)は、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した冪乗則。経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという理論。80:20の法則、ばらつきの法則とも呼ばれる。
ビジネスにおいて、売上の8割は全顧客の2割が生み出している。よって売上を伸ばすには顧客全員を対象としたサービスを行うよりも、2割の顧客に的を絞ったサービスを行うほうが効率的である。
商品の売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している。
売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している。
仕事の成果の8割は、費やした時間全体のうちの2割の時間で生み出している。
住民税の8割は、全住民のうち2割の富裕層が担っている。
全体の20%が優れた設計ならば実用上80%の状況で優れた能力を発揮する。
具体例とモデル
このような構造を考える際、身近に実感がわき分かりやすいものとして、日本の進学・就職のモデルを考える。
進学モデル
特に大学と就職の関係は、一極集中構造をしている。日本のこの構造は非常にわかりやすい階層構造をしている。勿論弊害もあるように思うが、いいかどうかは別としてここは現状の構造を考えていきたい。
日本の大学の構造はこんな感じになっている印象である。
ありとあらゆる面で、一部の大学にヒト・モノ・カネが全て集中する。
朱に交われば赤くなる、環境は人を変えるなどにあるように、恵まれた環境に数年いれば、成長方向性や成長率も変わってくる。
そしてその集中している人材を狙って、有力企業等がリクルーティングを行うことで、余計に一部に情報も資金も集中する。
「こんなんなら起業すればいいじゃん。」と言い出す人もいる。斬新で貴重なコメントありがとうございます。「『鬼の首を取ったような気分』になれた気分」はいかがでしょうか?起業した際に「ヒト・モノ・カネ」など、ありとあらゆる面でサポートが得やすいのは、どこの人でしょうか?この「選ばれる側」になっている人たちではないでしょうか?
なお、このブログでも何度か話題にあげてきているが、グローバルの採用ターゲット校の博士課程の場合、やはり博士課程でも有力企業の採用ターゲットになっていることが多い。一方で、日本の雇用制度では、博士課程の学生は採用ターゲットになっていない傾向にある。構造で見た場合、日本と諸外国の博士課程は、この点が最大の違いであると認識している。
同時によく言われる「社会のレールから外れる」というのは、このことを指しているのかもしれない。なぜ理系で外資銀行・コンサル・ITへ就職するのか?
企業モデル
企業でも、これまた一部有力企業・人気企業にすべてのものが集中する傾向にある。日本に限る必要はないが、ここでは日本に限ったほうが分かりやすいかもしれない。
傾向として親会社の方が子会社や孫会社に比べて人材も優秀な傾向で、余裕もあり、年収も高く、規模も大きくなる。
我々は年収1000万円だけど歯車になってやりたくない仕事をするのと年収400万くらいだけど好きな仕事が出来る職場のどちらが幸せかみたいな比較をしがちだけど、現実は年収の低い人ほど裁量がなく特に好きでもない仕事をしていて、年収の高い人ほど裁量とやりがいのある仕事を楽しんでいる方が多い。
— たろ丸 (@tenche1204) September 4, 2020
業界1番手と2-3番手・それ以外などでも似たようなことが言えるだろう。
更にこれらのツイートにもあるように、実際に転職にも強くなる傾向にある。
新卒で入る会社は事実上の最終学歴だと繰り返し言っておきたい。いずれベンチャーに行くのは自由だが、新卒カードを切る場面ではない
— (っ╹◡╹c) (@Heehoo_kun) September 27, 2020
https://twitter.com/remyxx/status/1310392245179219968
上記のように、基本的に企業の構造でも一部にありとあらゆるものすべてが優先的に集中する傾向・構造になっている。
なんだか「上級国民」という単語が出てくるのも、自然なように感じてしまう。
スポーツ・芸術など
スポーツや芸術、勝者総取り・人気商売系のエリアではこの一部への集中度合いがより激しくなる。一部の頂点のトップ選手の年俸は青天井で、それらの方にはCMオファーなども来てさらに増える。
一方それ以外は、もうほとんどいないような扱いを受ける。見映えがするところだけを切り取ればいいメディアとの相性も抜群である。スポーツや芸術はもっと激しいことになる。優勝者以外全員負けのような形になる。もう宝くじのような構造になっている。同じように表にすると、こんな感じだろうか。
この場合ターゲットとなっているのは上位数%ではなく、業界で数人程度になる。スポーツ選手ならメダリスト、最低でも日本代表から。音楽でもメジャーデビューミリオン達成位から。そんなところだろう。一部は年俸も高く、注目され、情報も入って来て、CMなどの付加価値も高く、引退後の転職でも引退後のコメンテーターなどを想定している。一方でそれ以外はもう居ないような状態。
メディアや広告との関係
特にメディアのように1人を主体を決めて追う形式になると、選ばれる側に入ると、さらに確変状態となる。スポーツなどのエリアではこの偏りが極端になりがちである。断崖絶壁状態である。
実際、こうなっているだろう。
注目される
広告価格が上がる
スポンサーも付く
本とかも売れ出す
まさに正のスパイラル
こうなると同じような後釜が現れるか、スキャンダルや飽きられるまで1年程は続く。フィードフォーワードというやつである。
ポーカーのトーナメントの賞金モデル
ポーカートーナメントの賞金の構造を考えると分かりやすい。典型的なポーカーの賞金ストラクチャーはこんな感じである。半分以下で負けても参加費に届かない。優勝・準優勝辺りに賞金が集中している。一般的にインザマネーという上位15%に賞金が払われる。勝ち組負け組という表現はアレではあるが、ポーカー大会での収支を考えると、大勝ちか勝ちかは別として、残りの85%は参加費を払い、何時間もテーブルに居座ったのちにただ去る負けになる構造をしている。1位と2,3位の差も壮絶であるが、上位16%くらいのバブル辺りでの敗退が一番悔しい。
長いポーカーの試合だと思えば分かりやすい。あと一歩でメジャーデビュー、あと一歩でメダリスト。あと一歩と言っても、負けは負け。残酷だが構造ではそうなっている。費用対効果としてみれば最も悪くなる。サンクコストが凄いことに。
一方でプロセスに価値があるもの例えば士業系の労働だと、比較的緩やかになる。手を動かしてやらないといけないので。
研究や執筆などはこれらの中間で、スポーツや音楽と比べるとプロセスに価値はありつつも、やはりごく一部にいろいろなものが集中する傾向になっている。
選ぶ側の視点
上記までの説明で分かった方もおられるかもしれないが、「選ばれる側」と比較しているのは「選ぶ側」ではない。「選ばれない側」である。状況としては「選ぶ側」も多くの場合は「選ばれる側」と同じ属性になるのではないだろうか?「選ばれない側」では、「選ばれる側」と比較して相対的に様々な点で、利益を得づらい構造になっている。
では話に出たので今度は「選ぶ側」の視点を考えたい。
強い方がオッズも高い競馬
上記は「選ばれる側」から見た構造であったが、一方で「選ぶ側」から見たらどうだろうか?
こんな競馬と同じ状態である。掛け金は同じ。どの馬に掛けてもいい。オッズは、実績のある強い馬の方が高い。
「あれ?倍率と勝率あって無くない?」と思ったあなた。その通り。ハイリスク・ハイリターンやローリスク・ローリターンの場合には逆になる。
しかし現状の「選ぶ」「選ばれる」を考えた場合の仕組みではそうはなっていない。
「選ぶ側」からすれば、強い方がオッズが低いのではない。高い。ハイリスク・ローリターンとローリスク・ハイリターンの二極化になる。
実績があって勝つ確率が高い馬の方が、勝ったときに返ってくる額も高い。勝率が低い馬の方が返ってくる額も低い。
さてこの状況でどの馬に掛けるか?この状態で、いちいち実績が無く帰ってくる額も低く、勝つ確率も低そうな馬に積極的に掛けるだろうか?おそらくそうはなりにくい。
結局、選ぶ側から見ても、一部に集中してしまう。むしろ選ぶ人が多すぎて、選ばれる側が制限をかけそうな感じすらする。
一方で選ばれない側の場合では、勝率も低く、帰ってくる額も低くなりがちであるために、なかなか選んでくれる人が出てこない。頼んでも拒否されるかもしれない。
これが選ぶ側の視点である。
採用ターゲット校
上記のモデルと対応して、市場の売り手市場か買い手市場かで若干変わるが、全体の枠としては、企業側が学生を選ぶというのが大枠である。勿論優秀な人材はいくつも内定し、複数から選ぶことが出来る。しかしそれは大多数から見ると、まず書類で落とされる方が大半である。この書類選考が選ぶ側最大の仕組みである。学歴フィルターとも呼ばれるアレである。
日本企業に限定すると、この辺りをシャカイジンケイケンなどで守っている印象がある。社会人経験(シャカイジンケイケン)とは何か?定義・多角的な比較と考察
まず有力企業が採用ターゲット校を中心にリクルーティングを行う。有力企業はそれ以外からはめったに採用しない。
次のグループも採用ターゲット校と2番目のグループを中心にリクルーティングを行うが、第1グループに有力な人材はとられてしまい、多くは2番手グループから採用される。
3番目のグループは、もう採用ターゲット校を下げる。1番手のグループではまず受けてもくれないし、受かっても上位グループに吸われてしまい、残るのは滑り止めにしてきた人材。
勿論、選ぶ側・選ばれる側でも2番手以降でもチャンスはあるが、上位の選ばれる個体同士がいなくなった状態での余り物同士の2次募集・3次募集・4次募集・・・のような状態になっている。
副業解禁
この状況でここで副業も解禁される。こうなるとどうなるかと言えば、「選ぶ側」も3番目のグループの人の本気の1番よりも、1番目のグループの片手間の方を希望するような状況が頻発しないだろうか?「選ばれる側」の人たちが、ますます選ばれるようになる。
詳しくは以下の記事を参考いただきたい。
横綱相撲は横綱のみ
仕組みだけを冷静に考えれば、上記のような構造になっている。
上記のような構造で得をするのは全体の一部である「選ばれる側」だけになる。客観的な数字だけで勝負して勝てるのは上位の一部だけになる。横綱相撲が取れるのは横綱だけである。
その一部以外は相対的に、余り物や滑り止め・下請けというポジションに位置することになる。
しかし「選ぶ側」も、なるべく良い人材を獲得したい。「下」に位置付けられて固定されてしまえば、基本的に得することがなかなかない。そもそも見向きもされづらくなる。良いことがほぼない。
そこで、なりふり構わず、あの手この手を駆使して有力な個体を引き入れようとする。このために苦し紛れにでも別の軸を出してくる。ここで多いのは、例えば企業であれば「この分野だけに限れば業界1位」であるとか「直近何期は1位!」のように、業界や期間の区切りを使ったり、客観的な数字ではなく主観的な雰囲気である「やりがい」・「仲間!」や「キラキラオフィス等」で宣伝をしていく。前者の方が後者よりは客観性は高い。
私自身、学生の時にはこのような構造にはなかなか目が行かなかった。このために学生にこういう「マーケティング」を行うのはおそらく有効なのだろう。採用された人は、もしかしたら入社してから現実を知り、場合によっては後悔しそうであるが、宣伝側はなりふりをかまっていられないので、そんなことを考える余裕は無いか、もしかしたら確信的にやっているかもしれない。
詳しくは以前試しに有料記事にしたこちらのnoteを参照ください。仕組みや構造から考える広告宣伝に騙されない真実の見分け方
当然相対的な人数は「選ばれる側」よりも「選ばれない側」の方が多くなる。ということは潜在的な顧客は後者の方が多い。そこで刺さるマーケティングをすると、最近話題になった投稿のような人々が増えていくのかもしれない。
率直な感想として、「コピペみたいだな」って思った。話も。人生も。
自分で語りえるものはなく、情熱をもって成し遂げることもなく、「一発逆転ストーリー」を純粋に夢見て行動を続ける彼は、まるでYoutube広告のコピペみたいな人生。
関連して「大企業はオワコン」のような主張もある。しかし実際に、不測の事態において直接的なダメージを受けるのはまず下請け、孫会社・子会社が先である。
スキルが付くかどうか?というのも業態によるので、企業規模では一概には言えないだろう。
もちろん現状の日本の仕組みでは「配属ガチャ」なんていうのもあるので、何とも言えない部分もある。
いろんなファクターや表現で客観的な事実が眩まされている印象である。
「休めるのは“上級国民”だけ」新型コロナ非正規労働者の嘆き。テレワーク対象外に生活補償なし
終わりに
個人のキャリアにおける機会や付加価値を現状の構造に基づいて分類したところ、予想通りに一極集中構造になっていることが明らかになった。
格差が広がっていくのが問題というが、是非や感情的な部分はさておき、現状の構造的には必然的にそうなっていく。
自由化が進むと、一極集中するのは、もはや自然の摂理である。もちろん今後刻一刻と状況や前提でさえも変化していく可能性は高い。
この状況下においては、なるべく選ばれる側に回ることがゲーム上重要になる。
キャリアや資本主義の上で考えているために、こういった構造は存在する。俗世から離れて、例えば「森の生活」や「方丈記」のように単身山籠もり生活をすればこの限りではない。
競争が存在する限り、こういう構造になることはもはや必然ではないだろうか。宣伝に惑わされずに中身の構造を客観的に把握したいものである。
もちろん上記の仕組みに組み込まれないで、うまくやっている例などはいくらでもある。あくまで全体的な構造や傾向として理解いただければ幸いである。