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公開日:2018年1月16日
更新日:2019年7月15日
元来スポーツとは、娯楽の発展である一方で、特定のルールの元、何らかの形で優劣を示し、決着をつける競技の側面があります。この記事では後者に注目します。
競争では、いかなる手を使っても勝ちたいと考えてくるのは自然なことです。よって、薬物を使って能力を向上するドーピングも切っては切れない問題です。
この記事では、出来る限り理詰めで、個人的な見解と経験を踏まえながら、スポーツとドーピングについて考えていきます。
スポーツにおける競技とは何か?
競技について調べるとこうあります。
競技(きょうぎ)とは、一定のルールに従い、争う分野。または、遊戯(ゲーム)。競い合い優劣を決めることをテーマとしたものを競技会(大会)という。
競技の種類は、スポーツやゲーム、職能、モータースポーツ、ボートなど多岐にわたり、また、個人ごとに行う個人競技と、団体ごとに行う団体競技などがある。https://ja.wikipedia.org/wiki/競技
要するに、「一定の条件下で、何らかのパラメータの優劣を競う活動」です。
何をどのように競っているか?
競うものは、あるルール下においての、点数や距離、高さ、速さなどです。
大体の場合において日本の武道ではよく知られる「心技体」という言葉があるように、心と技と体のパフォーマンスを向上させることで競技を競っている部分が強いです。
ドーピングとの関係性
何かを競うのであれば、勝つためにはいかなる手段も選ばない。そんな発想が出てくるのは当然といえば当然です。
その際に真っ先に話題に上がるのはドーピングです。
そもそもドーピングとは?
ドーピング、ドーピングといいますが、ドーピングとは何でしょうか?
私情ですが、私の研究テーマは、物理学の個体物質に対する「ドーピング」です。
スポーツ以外も含めると、”doping”は、何かを足すことを指します。
物質では”add an impurity to (a semiconductor) to produce a desired electrical characteristic.” 物質の性質を変えるために不純物(通常他の原子)を添加することを指します。
物性に対するドーピングが何種類もあるように、スポーツにおけるドーピングも何種類かあります。
スポーツでは、
ドーピング(英: doping)は、スポーツおよびモータースポーツの競技で運動能力を向上させるために、薬物を使用したり物理的方法を採ること、及びそれらを隠ぺいしたりする行為。
とあります。
スポーツに関連するドーピングでは、公式な言い回しかどうかはおいておいても、薬物的ドーピング、情報的ドーピング、道具的ドーピング、金銭的ドーピング等多岐にわたります。
ドーピングが禁止される理由
しかし、世界アンチドーピング協会が存在したり、度々話題に上がるように、ドーピングは禁止されています。
ドーピングが禁止される理由は
- 競技者の健康を害する
- スポーツの価値を損なう
- フェアプレイの精神に反する
- 反社会的行為
とあります。
この中で最も分かりやすい理由は、健康を害する点です。しかしながら、仮に健康を害さないとしても、ドーピングは否定されます。
後述しますが「選手の健康を害する」以外のものは、本質的に同じことを言っていませんか?
競技毎に異なる”検査”
身体を使って行うスポーツ、フィジカルスポーツでは、薬物ドーピングに非常にうるさい一方で、頭脳を使う、将棋や囲碁に代表されるマインドスポーツでは、あまりうるさくありません。
マインドスポーツのひとつ、チェッカー(ドラフツ)の世界大会(2016年ラトビア)に日本代表として出場した際には、薬物検査については、調べられもしませんでした。そもそも、ボードゲームに筋力増強剤を使う人はいないでしょうし、使うだけ無駄というものです。そもそも、興奮剤を飲んだところで、駒を強く打ち付けて相手を威嚇することはできるかもしれないが、本質的に意味はありません。
しかし、一方で、スマートフォンなど通信機器に対する規制は相当なものでした。ポケットなども入念にチェックされました。
ソフトウェアを使うと、コンピュータの力を使って、どの駒をどう動かすかをコンピュータに考えさせることができる、つまりカンニングができます。
マインドスポーツ・頭脳スポーツでは、本人以外の助言等「情報的ドーピング」には、めっぽううるさいです。
スポーツとは言いづらいですが、頭脳を競う入学試験等のペーパーテストでも、同様でしょう。
要は何を競っているかによる
球技に代表されるフィジカルスポーツでは、主に身体と技術を競います。
身体能力と技術によって競い合います。
その際に禁止薬物を使い、身体能力を向上させてしまえば、禁止薬物により勝敗が左右される可能性があります。
これに付随して、薬によって簡単に攻略されてしまう該当競技の価値が低下します。
仮に「健康被害がないなら薬物も使っていい」というルールにすると、関わる選手が全員薬物を使わざるを得なくなる可能性もあり、非常に不健全な環境が出来上がります。
よって、フィジカルスポーツの薬物ドーピングは徹底的に禁止されています。
これに対してマインドスポーツにおいては、頭脳を比べています。
ボールスポーツで「通信してはいけない」というルールはないでしょう。チームの監督がタブレット端末で統計を取りながら指示を出している光景も見かけるくらいですから。
アメリカンフットボールでは、アナライザーという解析する人物が重要な役割を担っています。
要するに、何を競っているか?によって、何が禁じ手かは、変わってきます。
ある競技でハイパフォーマンスを示すという目的に対し、ある付随的要素が無視できなくなるくらい目的に対し大きくなると、「競技の趣旨が変わる」ということで、違和感を覚える人が現れ、批判の対象となります。
例えば、テニスラケットも、超高機能化させて、瞬時にボールの回転と相手の重心移動を見分け、的確に面の向きを自動で変えるラケットを使って大会で勝ったとしたら、おそらく批判が出ます。
テニスであれば、テニスの技量を競っているのに、ラケットの性能で優勝できてしまうようなラケットが出てくれば、規制対象になること間違いなしです。実際に速く泳げる競泳水着レーザーレーサーも一瞬で規制されました。
要するに、選手の技術力よりも、道具の性能による実力向上が無視できなくなった、いわば道具的ドーピングといえます。
実際に、パラリンピックの義足で道具ドーピングが話題になりました。
パラリンピック義足のマルクス・レームの記録が凄い?道具ドーピングとは?
フェアプレイとは何か?
もはや感覚の部分なので、議論に向かないのは分かっていますが、フェアプレイの精神・アンフェアの概念に触れておく必要があります。
そもそもフェアプレイとは何でしょうか?
フェアプレイ(フェアプレー、Fair Play、Fairplay)とは、公正な勝負を意味する言葉で、主にスポーツの世界で使われる。類義語にスポーツマンシップがある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フェアプレイ
スポーツマンシップは、スポーツのルールを遵守してゲーム(競技)を行っていくうえでの根本的な姿勢をいうものである。
スポーツマンシップは、スポーツをすること自体を楽しみとし、公正なプレーを尊重し、相手の選手に対する尊敬や賞賛、同じスポーツを競技する仲間としての意識をもって行われる活動であるという姿勢となって表される。また様式化された礼節の発揮も、マナーという面から重視される傾向があり、選手同士が試合の前や後に挨拶を交わすのも、このスポーツマンシップの延長で見られる風習である。
要するに、ルールを守り正々堂々と勝負をすることです。
ノーベル経済学賞を受賞したダニエルカーネマンが提唱したプロスペクト理論によると、人間はタイプ1の思考(直観・感情)とタイプ2の思考(論理・理論)があります。
フェアプレイの精神は、事実に基づいて論理では説明できないタイプ1の領域になります。
こういった精神論は、倫理観や品格など密接に関係しており、明文化が難しくなります。よって人によって価値観が異なり、ルールハックなど、不問律とされていた禁じ手に手を出す人がおり、度々話題になっているのが現状です。
(こういう部分を鍛えるには、古典や倫理が重要です。という記事もあります。特に様々な分野で意思決定層やトップレベルで戦う方には気に留めていただきたい次第です。詳しくはこちらを参照ください。古典読書の具体的な効用 ハフィントンポスト 篠原肇)
何をもってアンフェアと感じるか?
ではこれを踏まえて、何をもってアンフェアと感じるかを整理すると、
理由はどうであれ、一部の人のみがアクセスできるような、競技に明らかに有利になる薬品や道具、情報を、競技に勝利するために利用する状況
をアンフェアと感じるのではないでしょうか?
通常は、ルール上禁止または、常識的に考えて使ってはならないという認識が広くなされているものでしょう。
同時に、背が高い、足が速いなど、明らかに有利に働く要素があったとしても、生まれ持った才能に関しては、納得がいっている印象です。
感覚の問題なので、上記と同様に古典に頼ってみましょう。
哲学者ヴォルテールによると、
(人生において)プレイヤーはみな、配られたカードを受け入れなければならない。しかし一旦手の中に入れば、ゲームに勝つためにどのようにそれらのカードを使うかは、個人の自由である。
とあるので、その「カード」を捏造するような動きには、敏感に反応するように、人間の思考はできているのではないでしょうか?
どこまでをドーピングと考えるか?
こうなると、どこまでがよくて、どこまでがダメかが難しくなっているのが現状です。
歴史的に比較的長い、薬物ドーピングと、情報ドーピングに関しては、上記のように比較的基準が確立されてきました。禁止薬物リストの確立や、カンニングの禁止は徹底されています。
しかしながら、道具ドーピングについては、今後も模索が続くことでしょう。
直接的な因果関係が見づらいことも相まって、あまり話題にはなりづらいですが、超優秀な人材を世界中から各国の税金や協会の膨大な資金を投じて引き抜いたり、巨額の設備投資による最新設備でトレーニングを行う「金銭的ドーピング・経済的ドーピング」は、現状では問題はありません。
仮に批判が出ても、一種貧乏組織・貧乏国家の僻みと捉えられざるを得ないのが関の山でしょう。
もちろん、これに関しても、どうにかフェアになるよう、チームの選手全体の年収制限をするサラリーキャップ制等を敷いているリーグもあります。
スポーツの今後とドーピングの今後!?
今後のドーピング問題に関して考えてみましょう。あくまでも個人的な見解です。
既存のスポーツであれば、ドーピングに関する世界的な見方や、カンニングに対する違反行為は徹底されてきています。
よって残るは、道具ドーピングと金銭的ドーピングです。
先述のように、パラリンピックでは、道具の技術の向上によるルールの規制の方向性があります。
道具ドーピング関連して、スポーツ弱者の撲滅や、人間機能拡張を目指す「ゆるスポーツ」や「超人スポーツ」では、道具や動物を使ったスポーツが見られます。
例えば、犬と一緒にアルティメットフリスビーをするイヌティメットフリスビーは、犬と一緒にアルティメットフリスビーをするというスポーツです。PVとルールはこちら。
1:基本的にはアルティメットフリスビーと同じ。
フリスビーをパスしあって、相手ゾーンでキャッチしたら得点が入ります。2:ただしチーム編成は、人間5人・イヌ2匹。
3:イヌはリードにつながれ、人間と共に動きます。
イヌの交代は何度でも認められます。4:人間はフリスビーを持ったら、ピボットしかできません。
ただしイヌがフリスビーをくわえたら「無敵」状態となり、
だれも触れることができません。5:得点は、基本的にイヌがします。
相手ゾーン内で、イヌがフリスビーを空中キャッチしたら「3点」。
相手ゾーンまで、イヌがフリスビーをくわえたまま走ったら「3点」。
相手ゾーンにフリスビーを投げ入れ、
10秒以内にイヌがタッチしたら「2点」。
相手ゾーンで、オーナー(飼い主)がキャッチしたら「1点」。http://yurusports.com/sports/inutimet
仮にこのスポーツで本気で勝ちに行く場合、アルティメットの有力選手と、教育された警察犬ドーベルマンで参加すれば、おそらく無双でしょう。
その場合には、「趣旨が違う」「空気を読め」という声が出そうではあります。
もちろん、趣旨として優劣を何もつけないのであれば、それでいいと思います。しかし、得点方法を決めている以上、何かしらの優劣を決めようとしている側面はあるようです。公式にもそう書かれています。
ただ、内輪で楽しむだけだったら、気にする必要はありませんが、仮に対外試合を組むとなると、趣旨やルールによる整備が必要になっていきます。
経済的ドーピング
道具を買うお金や、特定のスポーツを練習する費用や時間が捻出できない人も多く出ることでしょう。現状で多くの市民施設にないものを使って練習をする場合、設備投資が必要となります。
多くの資金や時間を投資できる人ほうがいい設備・練習環境を確保できることは、間違いありません。
これはもはや現状では「頑張って経済的に繁栄して!」としか言えなさそうです。
行きつく先は・・・?
仮に「スポーツ弱者」を救済し、完全に身体能力やスキルの差を埋められたとします。
そうなると、今度は、如何に見たことがない新ルールに適応できるか?という「飲み込みの早さ」や「学習能力」・「本質を見抜く力」・「考えた通りに体を動かす能力」等という、地頭や知能に近い部分の競争となる可能性があります。
これも言ってみれば一種の身体能力です。
筋力や体格などの意味では、スポーツ弱者として、今までスポーツには全くの興味を示さなかった人が、特定の競技に特出した才能を示す可能性もありますし、今までにスポーツ嫌いでトラウマがあった人に対してすそ野を広げることになる一方で、結果的に競技として何かしらの優劣をつけるのであれば、結果的には元々のスポーツと同じように、強者と弱者の分断という構造へ帰着されるのではないでしょうか?
どこからがドーピング(禁じ手)で、どのような趣旨であるかと明確にして、アンフェアと感じる人が極力少なくなるようなルールや環境を構築していく必要性がありそうですね。