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公開日:2021年1月3日
更新日:2021年4月16日
以前以下のような記事を書いた。
何事にも「選ばれる側」に回るべきという話 -キャリアの機会や付加価値・リスクの観点から-
これについて、さらに仕組みと構造をまとめていきたい。
なお以下の仕組みの中で既に該当の専門用語がある可能性も高い(調べてもヒットしなかった)。もしご存知の方がいらっしゃれば Twitterや、お問い合わせフォームにご連絡いただければ幸いです。
職業には大分大雑把に分けて、一部に利益が一極集中する人気商売型(一極集中型)ものと、個別の業務自体に価値があるもの(労働集約的)に分けられる。金銭面が全てだとは全く思わないが、客観的な測定には金銭面が分かりやすい。
一極集中型
スポーツ・アートなどの、いわゆる人気商売は一極集中する構造となっている。大体のグラフを書くとこのような感じである。縦軸が年俸で横軸が業界内順位。
これだけだとよく分からないので、線の辺りを拡大したグラフは以下のようになる。
アーティストやアスリートは巨額の年俸をもらっている印象があるが、そうなっているのは本当に一握りである。一種トップだけである。この構造をよく見ていくと様々な壁があることに気付く。
平均年収の壁
まず、平均年収との比較が分かりやすい。
例えばサッカーを例に考える。
生活レベルが上がりすぎてギャップに悩み破綻したり、騙されたり、資産運用が出来なかったりなど様々あるが、シンプルに引退後に何もしない場合を想定すると、年俸1億円で4年活躍すれば、合計で4億円。累進課税制度により、大体手取りは2億円になる。これはサラリーマンの生涯賃金の中央値と大差がない。
競技人口を考えるとこうなる確率が既に宝くじ並みであろう。宝くじ並みでやっと労働者中央値位になる。
ついでにトップには以下で触れるメディアとCMが追従するのでさらに青天井状態になる。これはまさに宝くじを当てたような状態である。
ただ日本の現状の税金の制度を考えると、短い期間で年俸が高い程納めなければならない税金の額が上がる累進課税制度が敷かれている。これにより短期の高年俸は税制上不利になる。(もちろん堅実に資産運用を行い複利投資ヘッジファンドやアクティブファンド辺りで行い、事故が無ければ違うのかもしれない。)
2.5億円というのはあくまでも平均値であるため、大卒サラリーマンの現実的な生涯年収は中央値である2億円前後と考えられるでしょう。サラリーマンの生涯年収は2億円!?平均値と中央値の違いも解説
最低賃金の壁
一般的に労働の場合には、最低賃金が存在する。プロとしての収入が最低賃金を超えることもかなり難しくなる。時給で換算して1000円前後がこれに当たる。
生活保護の壁
大学院の際もこれと比べてしまったが、日本には生活保護という制度がある。
生活保護は認められれば何も働かなくても金銭を受け取ることが出来る権利を指す。なお時給が数十円は出る懲役刑なんかとも比べたいが、今回は省略することとする。
この生活保護を超えるのもかなり難しい。資産のチェックがあるが、生活保護の水準は、最低賃金とあまり変わらないラインである。
大学院(博士課程)の悲惨な待遇は生活保護や刑務所の懲役刑未満という話
収入プラスの壁
プロ選手を「競技を行うことで金銭を受け取る人」という定義にすると、この定義上年俸がゼロを超えていれば、プロとして成り立つ。ということは端的に言えば年俸が1円でもプロはプロ。生活できるかどうかはまた別問題である。
さてさて、それらの壁はかなり高い。そして一極集中型の職業は参加者の大半は収入がプラスにならない。道具などの「経費」でマイナスとなる。
業界における全体の人口を考えると、平均年収を超えている人が全体から見ると一握りどころかひとつまみ程度になることだろう。
業界全体の平均値を計算し、期待値を取ると、年俸はマイナスになることが容易に予想される。これは世間一般では遊びや趣味と呼ぶことが多い。
どんなに頑張ったとしても、付加価値が付くのはトップのみである。宝くじのように1桁でも違ったらほとんど何も得られない。
労働集約型
一方で労働のプロセスに価値があるものの場合を考える。例として分かりやすいので、当ブログでも何度も取り上げているが、今回も医者を取り上げる。
医者はトップレベルになったところで、年俸は限られている。一方で、業界内順位がどんなに低くても、年俸はプラスで、生活保護や最低年収よりは高く、平均年収よりも低くなることはまずないだろう。特に時給ベースで考えると、確実に平均年収は上回ることが予想される。いわゆるボラティリティが低い状態である。滑り止めとして有効である。
公務員のような超安定職も同様の傾向になる。
もちろん通常の労働でも最低賃金未満になることはよっぽどの違法ブラック企業でない限り割ることはない。なぜならば法律で定められているので。
労働集約的な働き方はダメ?
「労働集約的な働き方はスケールしないからダメ」という意見はよく見られる。確かにアップサイドだけを見ればそうなるのかもしれないが、ダウンサイドや期待値は考慮されていないだろう。
または考慮しても敗者は無視するという、使い捨て方式を取れば、そうなるのかもしれない。参加者ではなく、宝くじを売る側ならその発想になる。
一方で労働集約的な仕事はセーフティネットとして役に立つ。
もちろん資産の投資というものはあるが、これは資本主義下においては元手があればだれでも参加が出来るので、今回は触れないこととする。この意味では若くして大金が手に入る職業は有利だが特にスポーツ選手などの場合、その性格上投資には目が行っていないようではあるけれども。
メディアとの関係
基本的な傾向として、メディアが取り上げるのは業界の代表として一部を取り上げるが、多くの場合その取り上げる一部はトップ中のトップ近辺を扱う。スポーツ選手が分かりやすい。日本代表や世界大会で優勝した人を取り上げる。
そして他分野から見れば、それが業界の中心値のような認識をする。実際は全くそんなことはないのだが。
しかしメディアとの相性は非常に良い。トップ以外は事実上いないものとして扱われる状態と、トップだけを取り上げるメディアは相性が抜群である。
小学生の将来の夢
このわかりやすい傾向に、小学生の将来の夢にサッカー選手やYoutuberなども入っている。
https://www.sonylife.co.jp/company/news/report.html
このサッカー選手は外国人も含めれば、クリスチアーノロナウドやメッシの事を指し、日本人でも日本代表選手辺りを暗に指している。間違ってもJ3で辛うじてJリーガーを名乗れるが、実際の生活は暮らすのが悲惨で、次のキャリアもお先真っ暗な選手ではない。
社会の底辺化するJリーガー…給料12万、平均25歳で引退 「スペックなし」で就職困難
Youtuberも年収何億円のトップレベルのYoutuberを指しているはずである。再生してくれるのがお母さんとおばあちゃんだけのチャンネル登録数1桁のYoutuberではない。eスポーツプレイヤーも稼げる人で、ひたすら弱すぎて近所のおばちゃんにも負けるようなプレイヤーではない。
社長も業界を代表するような人をさしていて、間違っても借金で首が回らなくなり自決をするような社長は入っていない。
「夢」系のお話
さて、そういうトップ選手を見て「将来はああなりたい!」と思う人が多いことは確かだろう。実際に小学生の将来の夢はそれらが反映されている。
そのような人に対して塾やスクールが展開される。関係性は以下のような感じになる。
ただし、宝くじのようなものなので、人生の全てをかけてもその宝くじを外していく人の方が大半である。
しかし塾やスクールとしては、入学者数さえ増えれば成り立つので、夢が達成できないのは本人の実力不足ということになるのだろう。
しかしトップに憧れる人が多ければ多いほど、スクールに入りたがる人は増えることが予想される。スポーツがどうしてもメディアが持ち上げるスター選手を作りたがるのはこの仕組みが関係していると思われる。
まだスポーツなどの客観的な勝敗や数値が出るものであればいいが、一部の主観が入るような業界では、スポットライトが当たる「トップ人材」は別ルートで決まっていて、スクールや塾はただ関係者が儲かるだけで塾出身の人は誰も宝くじに当たらないような、業界全体が出来レースのような分野もあるので、なんともやりきれないものである。
もし仮に出来レースの場合、参加者はもうなんかニンテンドースイッチが飾ってある縁日のくじ引きに、人生掛けて参加しているような状態である。どんなことがあっても絶対に当たらない。元から当たりくじが入っていないのだから。参加者はただ人生を浪費するだけになる。
確率が低くなる・別ルートがあるという意味では、最近の芸人や俳優の声優への起用が分かりやすい。声優学校出身では全くないのに人気(事務所の推し)作品の主演声優に抜擢されたりしている。一方で声優学校出身の人の「夢」の枠がさらに減る構図となる。
しかしスクールや塾もビジネスなので、そのような事実はなかなか表に出てこない。巧妙に宣伝がされていているために、業界の事情をある程度知らない人は、知ることはないだろう。
ポートフォリオ
改めて述べるが、一極集中型では、トップ以外はほぼいないようなものである。
では、こういうやり方はいかがだろうか?一極集中型の仕事と、労働集約型の方法の組み合わせ。アップサイドを狙いつつも、滑り止めとしての高単価の労働集約型の仕事を行う。
各個人における年俸と業界内順位がそれぞれの職種で異なるので、グラフを同じ軸で重ねるのは正確ではないが、考えとしてグラフを重ねると以下のような感じだろうか。2つのグラフの高い方または組み合わせた値を採用すればいい。
例えば作家を目指しつつも、うまくいかなければ医者をやる感じである。そして有名な作家や漫画家も、経歴を見れば医者という例が散見される。
何事にも「選ばれる側」に回るべきという話 -キャリアの機会や付加価値・リスクの観点から-
何も1つの事だけをやらなければならないという決まりはない。最近では副業も推奨されている。このような方法が、個人では最適になるのではないだろうか。
特に年齢が重要なファクターを占める日本社会では「気付いた時にはもう遅い」という状況になりがちである。是非リスクと期待値を考慮して進路を決めてもらいたいものである。
ご参考いただければ幸いである。