公開日:2019年7月21日
更新日:2020年9月2日
昔住んでいた地区の、ローカルな盆踊りのお祭りを訪れた。
どこの地域でもそうだと思うが、地元のお祭りは、遠方からの参加者よりも、地元の人が集まりやすい傾向にある。私も例にもれず、地元の小中学校の時には、まったく同じお祭りに参加していた。
私の出身の中学校の学区は、全国でもトップクラスに荒れているということで有名であった。私も試しに出身中学名を検索をすると、関連検索ワードに「ヤンキー」と表示された。
当時の中学校は、生徒がトイレでタバコを吸って事件になったり、ガラスが割れたりと文字通りの荒れようであった。体育祭の棒倒しや騎馬戦なんて、半ば殴り合いのようであった。
そんな中では、個人的にもこんなこともあった。
クラスのAさん(女)
Aさん「ちょっとペン貸して」
私「なんで?」
Aさん「これだからてめーは理屈っぽくてむかつく」
ものを貸してほしいと頼まれたので、理由を聞いたら、理屈っぽくてむかつくと罵られた。
ほかにも殴られて、手の小指の骨を折ったこともある。もう傷害罪じゃないか。
卒業式には、どこで買ったのかわからない桜吹雪の刺繍の入った学ランをまとい、旗を掲げたバイクに乗って参上。・・・そもそも中学校の卒業式の時はまだ15歳のはずだが、なんで最低免許取得年齢が16歳のはずのバイクに乗っているの。
「銭湯に行こう!」といって、待ち時間に集合したら、一人が「お金が無い」といって、自動販売機の前に這いつくばって50円玉とかを探して集めてきて数時間後に入浴料を払っていた。
「お金ない」って言ってるのに、コーラを飲んでいると思ったら、実はスーパーで万引きしてきたものだったりなど。おそらくそんなに悪気も罪悪感もなかったのだろう。
クラスメイトの一人が突然来なくなったと思ったら、夜逃げをしていたなど。
大学院ではなく少年院に行っている同級生まで。
こういったエピソードはいくらでも出てくる。
数年前にはそんな同窓会に行った。彼らの大半は、見た目は歳をとったと言うよりも、そのまま大きくなっただけで、精神的には中学校の時から変わっていないように見えた。
会話は、だれが結婚しただとか、離婚した、だれが死んだ。パチンコで勝った・負けた。新しいスマホのアプリが面白い・つまらない。
私はパチンコもやらなければアプリの課金もしないし、スマホゲームアプリの課金なんてしたこともない。(正確にはクラウドサービスの課金はしていた。がゲームではない。)
疑問がまた何かと新鮮であった。
Bさん「イギリスって何語で話してるの?フランス語?」
という、イギリスにはカナダのケベック州みたいなのがあると思っているのだろうか?と勘ぐってしまいそうな質問を受けた。英語の英はイギリスという認識が無いのと、フランス語はフランスの言語だとおそらく思っていない。
Cさん「ピーマン!ぎゃははー!」
何が面白いんだろうか。クレヨンしんちゃんかよ。
半生焼けの焼き肉、自分の箸で人の口に突っ込もうとしないでほしい。
どことなく言葉遣いや立ち振る舞いも攻撃的・威圧的なものを感じる。
しかしそれでも「同じ同年代の日本人」であることは疑いようのない事実である。
さて長くなったが本題である。そんな地域の小学校・中学校の教員たちも、当時からお祭りには来ていた。
「先生たちが何でお祭りに来ているんだろうか?」
この問いに対する回答で地域や育ちの差がわかりそうである。
民度の高い学校や学区のエリアの人はおそらくこう答える。
「普段とは違う生徒たちを見て、楽しむ」
平和である。
しかし、荒れた学区の教員たちがお祭りに来る理由は、そうではない。そんな先生たちはこう答える。
「自分の学校の生徒が他の学校の生徒にタイマンを張ったり、暴れないのを見張っている。」
ということである。要するに生徒の監視である。殺伐としている。定時とか残業とか言っている場合ではない。
そんな地元の小中学生の他に、その後もそのままこの地域で生活をしている方々が、私と同年代でも、家族連れでお祭りを訪れている。下手すれば17歳くらいまでで子供を産んでいる人がいるので、30前後なんて言えば子供がもう小中学生である。
その彼らの親みたいなのも、もちろんいる。
彼らにとっては、地元が世界である。例えば都内のイベントや、それこそオリンピックと比べても、こういう地域の夏祭りが、最大のイベントとして位置づけられているかもしれない。
さて私の普段の生活ではこういった生活とは相いれなくなった。
どこから違ったのだろうか?高校を私立受験をしてからだろうか?
それとも元々のモンテッソーリ教育を受けた物心がついた幼稚園の時点で、既に違う人生になることが確定していたのだろうか?
さらにその後も、国や地域や業界など、各集団で常識が大きく違う。
私は知らぬ間に遠くまで来てしまったようだ。私がまだ見知らぬ世界が存在することは容易に予想がつくが、少なくとも知能的な面で言えば一度、世界の頂点の一角へ辿り着いてしまった。
私は、正直なところ、個人的には中卒と高卒の差のほうが大きい気がするが、高校は大学進学率ほぼ100%の環境であった。ここがまず大きな差であったようだ。
個人的にはこちらにも書いたが、国も違うがケンブリッジ大学のほうが衝撃であった。
ケンブリッジ大学と私-純日本人の海外修行- 第1章・留学・入学前
しかしながら国が違えば文化も異なることは、同じ国内での地域差よりも受け入れられやすい。
しかし、こと幸福に関して言えば、どちらの人生がいいか?というとこれが難しい。良い悪いではなく、見下しているとかそういうわけでもなく、それぞれが別物という認識である。
激動の時代には、選択肢・オプションが多いほうが強力であることは広く知られている一方で、人間は情報量が多ければ多いほど、選択肢が多すぎると、かえって幸福度が下がるという研究結果がある。
これは「選んでないほうの選択肢を選んでいたらどうなったか?」と考える機会が影響しているようである。
おそらく彼らは、今の人生の他に別の選択肢があるだなんて、最初から思っていない。彼らの世界観は、おそらく中学校・高校あたりで時計が止まっている。
義務教育を終えた地域から外へは出ない。普段は飛行機どころか新幹線、もしかしたら電車にも乗らない。最後に新幹線に乗ったのは修学旅行かもしれない。海外の出来事なんて、テレビの中の出来事で自分には一切関係がない。株価なんかも関係ない。テレビの情報で直接関係してきそうなものは、天気予報くらいだろう。
しかし、上述の幸福度を下げる要因である別の選択をする機会がそもそもがない。このため「ほかの事をやっていたらどうだったか?」を考えることはなく、この記事を書いているような見方をすることもないはずである。
現に、最近の個人的な考え事で気がかりなのは、元々このような進路を取らなければ感じなかったような事柄が多い。
もちろん彼らにも日々の悩みはあるだろう。それでも本来の欲望に近いような手段で、日々を生きている。成人式前後に同じグループ同級生と結婚し、アラサーでは子供は小学生前後。夏祭りに近くなってきたときの目標は、きっちり貯金をして娘の浴衣をドン・キホーテで買って夏祭りに参加して、たこ焼きを一緒に食べることかもしれない。
タンザニアやミャンマーで感じたことと似ている。彼らも生まれた地で育ちそのまま衰えていく。飲み水がなかろうが、ハエが食事に入っていようと、友達が突然倒れて死のうと、彼らの表情は幸せそうであった。初めての発展途上国(アフリカ・タンザニア)訪問の感想【スラム/貧困/地域】
むしろ日本の満員電車で通う会社員のほうが不幸せそうに見えてしまった。
そんなことを思いながら、盆踊り会場へ行ったら、坊さんがアンコールで歌っていた歌がこちら。(坊さんがコンサートをやっている理由はこちらの記事を参照ください。)
アンコールでかかっていた「明日があるさ(ウルフルズカバー版)」その4番トーンが変わって
https://www.youtube.com/watch?v=FdOi2unXlEI
ある日突然考えた
どうして俺は頑張っているんだろ?
家族のため?自分のため?答えは風の中
明日がある明日がある明日があるさ
そうか。いくら考えても答えは一生出ないだろう。
「それでも庭を耕さなければらない(カンディード・ヴォルテール)。」(崇高なことを考えていないで目の前のことをやれという意味)
人生の試行回数は1回で、物理実験のように繰り返して統計的有意差を出すことはできない。自分の選択肢を正解にするしかない。
こういうことを考えるきっかけという意味でも、ふと地元の行事には定期的に訪れてみるのも、得るものがありそうである。
なお似たようなトピックの有名な記事でこういうものがある。
要約すると、境遇によって、特に高卒・大卒で、違った世界が見えているという記事である。