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公開日:2016年3月12日
更新日:2020年3月17日
人生、受験/就職/進路の失敗談とその後。希望通りに行かずに落ち込んでいるあなたに
日本の4月は始まりの季節。もうすぐ新たな学校、会社などで環境が変わるという人も多いことかと思います。
そんな中進路決定に際して思い通りにいった人と、思い通りにならなかった人がいるかと思います。
最近では、受験や就職に失敗して行方不明などの痛ましい事件が毎年のように起きています。これをどうにか、少しでもいいので食い止められればいいなと考えていました。
本ブログも月間数万PV程度の弱小ブログですし、私自身現在まだ学生で、何を成し遂げたというわけでもないですが、似たようなことを書いているシニアな人たちと比べると、比較的若く年が近いので、少しでも親近感が沸けばよいのでは?と思い、書くことにしました。また、よって主に読者は受験がうまくいかなかった人や就職など目標が希望通りいかなかった人を想定しています。
先日高校生向けに発表した動画が、予想外に人気だったので文章化を行いました。
自己紹介
よく使うテンプレートとしては以下のものを使っています。
「私はケンブリッジ大学のノーベル賞輩出数最多の研究所のプログラムの日本人初の特待生。学費免除で生活費は支給されていて、さらに日本の財団からも支援を頂いています。また、スポーツ2競技の日本代表選手です。今までにも大小20以上の表彰・助成を受賞しています。」
とまあこれだけを聞くと、挫折しらずの鼻持ちならないやつ、と思う方も多いかもしれません。実際そう言われる事もあります。しかし、本当にそうでしょうか?ちょっと振り返ってみます。
受験
ちょっとずつ振り返ってみます。そもそも私はエリート系の進路を歩んでいない。公立の小学校を卒業し、中学受験のジュの字も知らないまま地元の公立中学へ。ちょっと検索したら関連ワードが「ヤンキー」であった。そんなに強くも無いのに部活のバスケばかりの日々。そんな中当然勉強なんて出来るわけがない。得意科目は音楽と体育みたいな学生。特に中学校から始まる英語がかなり鬼門で、全くと言っていいほど出来なかった。中学校3年で受験勉強前に受けた模試の英語の偏差値は確か20くらいだった。
確か一度、塾の国語の授業で、当て字「倶楽部=クラブ」等を扱っていたとき、「剣橋」というのがあった。授業で誰かが「ケンブリッジ」と言っていたが、その時は、
「けんぶりっじ?何それ?聞いたこともないんだけど?正解言われてもわかんない。世界で有名な大学?、そんなの俺らには関係ないでしょ、バカに対する嫌味かよ。」程度に思っていたのを、覚えている。
結局死に物狂いで勉強するも、慶應義塾高校に落ち、明治大学付属中野高校に進学。この時は「早慶でも天才に見えるのに、東大に行く人は、ホント頭がいいんだな・・・。」と、雲の上の世界だと思っていた。この時は酷く落ち込んだ。ただこの時に、闘争本能に火がついたのは間違いない。
高校
高校は付属校なので受験の必要は無かった。だがそれでも、リベンジはしたいと思って、目指すなら東大でしょと、東大受験を決意する。
高校受験の際に、気合を入れすぎたのか肺炎にかかり、激しいスポーツは2年くらいは出来ないといわれた。このときもこの世の終わりなのじゃないかと思うくらい酷く落ち込んだ。やがてバスケはやめて、珍しかったライフル射撃部へ。そしてライフルは静止するので肺炎で肺がやられていてもでも出来る。当時は人口も少ないので他の競技よりは比較的容易にインターハイや国民体育大会に出られる、と思い込んでいたし、実際人気スポーツよりは容易だろう。
「よし、部活でインターハイと国体に行って、現役で東大に受かろう」
と、東大に受かれば奇跡といわれても過言ではないくらいの進学実績の、進学校ですらない大学付属の高校で、上記の決意をした。この時は用意周到に準備を初め、高校2年の夏くらいからは、毎日のように予備校の自習室に部活後に通い始めた。
予備校は親との約束で2教科までという話をしていた。しかし東大の入試は結構な科目数が多く、もうひとつくらい通っておいたほうが良いだろうと思い、ここぞとばかりにたまっていたお年玉を使いもう1教科通うことにした。そのときの教科が「物理」だった。
ただ部活は大体が自主練ではあったが、高校3年の夏まで毎日のようにあったので、なんともストイックな生活であった。文字通り時間と気力と財産全てをかけて上記の目標の為に戦った。
しかし、結果として、前評判ではインターハイ出場予想には入っていたようだが、確か同点で同点の際の判定でインターハイにはいけず、(ライフルには同点だった場合、少々複雑な順位決定がある。)、国体にも出られずに終わった。既に高3の夏で、受験校は大詰めになっている季節。そんな中スポーツで酷く落ち込んだ。
そして東大にも、用意周到にやっているとは言っても、ほぼ独学で進学校と地方公立組にかなうわけもなく不合格。上記の目標は全く達成できなかった。
このときも相当に落ち込んだ。
付属校に落ちている大学に入学するのは、なんとも気が進まなかったが、慶應義塾大学に進学。当時は楽に入っている人がこんなに多い中、だいぶがんばったのにここにいていいのか・・・?などと考えていた記憶がある。特に自分が付属高校に通っていたことで推薦組の内情を知っていた私は、こんなんでいいのかな・・・?と思っていた。
大学学部
学生生活は楽しみつつ、日々の生活の中で理系は大学院に行くのが通常だと知る。そして、世界的に見たらPh.Dの学位は高く評価されており、世界トップ校も、頑張れば意外と入れるということを知った。
時期としてはTOEFL iBTという海外経験のない日本人にはこれまた鬼みたいな試験が採用された直後である。高校の部活と受験の二重生活のおかげか、これまたストイックに取り組んだ。授業と、たまに行くサークル、バイトと出願準備で大学生活の大半をすごした。
「三度目の正直」を正直期待していたこのときであったが、丁度出願のこの時期にリーマンショックが起こり、アメリカはかなりの財政難。結果合格はしたもののRAなどは無く、自費で学費を払えばきてもよい、というものだった。アメリカの私立大学は学費が年間500万円程するため払えるわけも無く、事実上の不合格であった。当時は日本の各種財団が行っている給付奨学金は「天才しか通らない」と勝手に思っていたので、出願するだけ時間の無駄だと思っていた私は、ほとんど出願もしていなかった。私にとっては「二度あることは三度ある」ようだ。
このときも酷く落ち込んだ。もはや「酷く落ち込んだ」と書くのがテンプレートのようである。
結局、書類を出していた慶應大学院へ進学。
しかしこのときは、その4年前に感じた「頑張ったのに同じ結果か・・・。」のようには全く感じなかった。特に慶應義塾大学は変わった人が多いので、大学4年間でいろんな人がいることを学んだのだろう。これももし他の国立大学に進学していたらこうは感じていなかったのではないかと思っている。
大学院
スコアは大体揃っていたことと、 実績と経験を積むことに重点を置き2年間を過ごした。
理工系の特に物性の分野では査読つきの論文というものが実績として評価される事実があるが、これには査読に相当な時間がかかる。このため国際会議口頭発表という、比較的短期間で実績になりやすいものを出すこと選んだ。さらに国際会議に行けば、各国の大学の先生とも直接あって話せる絶好の機会である。さらにストイックな生活からか、この頃には、一人で勝手に国際会議へ行き発表し、英語で交渉なども出来るようになっていた。
その後、アメリカ物理学会で現在の指導教官と話をした後、上手く申請書も書けるよう担っていたこともあって無事申請書を通し、助成金を獲得し、インターン、その後の合格まではとんとん拍子に進んだ。これまでにいろいろ出しては落とされる経験の甲斐もあって、事業助成申請書なども比較的するする通るようになった。プログラムでも史上初の日本人となった。
スポーツ
コーフボールは、今でこそケンブリッジ大学でスタメン・インカレ優勝候補。日本代表、イングランドのクラブチームに所属、受賞表彰様々とはなっているが、そもそもコーフボールを始めたきっかけは、ケンブリッジ大学で所属していたバスケ部でコーチに「シュートは入るけど、体格が弱いし、背が低すぎる」と言われて、事実上の戦力外通告を受けたことがきっかけだった。
これも当時は酷く落ち込んだ。
ただ、それでも一週間以内に「じゃあなんか他に出来ることないかな・・・?やるなら活躍できるものの方がいいな!」と思ったのが始まりである。
コーフボールに移籍して、最終的にはキャプテンに推薦されるまでになったが、最初の方は白人以外が自分しかいない環境で、無言の差別を感じることも多々あった。
現在もう1つ日の丸を付けているドラフツ、マインドスポーツをやり始めたのも、全治6ヶ月にも及ぶアキレス腱損傷および骨折の怪我がきっかけで始めた事だった。
このときも「もしかしたら、もう走れないかもしれない」と酷く落ち込んだ。
そのときは、「ブログでマイナースポーツ調べてたときにマインドスポーツ見つけたから、ちょっとやってみようかな・・・?」と始めたのがきっかけである。
これも、曲がりなりにも日本代表選手兼親善大使(?)として参加するに至った。
一部の何をやっても出来てしまうような才能を持って生まれた人を除いて、私のような凡人は基本的に人生が思っていたようには上手く行かない。しかしその都度その失敗を経て、真剣に次の手を考えてどうにか人生をやっていくしかないでしょう。
おそらくこのポストをここまで読んでいる人も、前者のような才能溢れている人ではない可能性が高いのではないでしょうか。
現在
仮に上手くいってしまうと、その時は、嬉しいし、気分が良い。しかし、真剣に振り返り改善するという「機会損失」をしている気分になることすらある。現在は、人生上手く行かないくらいが丁度いいのかもしれない、とすら思っている。
格言・故事成語
「塞翁が馬」や「怪我の功名」という故事成語や諺にもあるので、古来から人間は人生何があるか分からないのでしょう。このポストみたいな内容のことが数千年にわたり形を変えて人を変えて受け継がれてきたのではないかと思います。
後から考えると・・・
後から考えると、受験に落ちたり、不採用になったりした際には、非常にダメージを受けていたように思うが、それでも後から思えば「あそこで上手く行っていたら今の自分は無いかもしれない」と心から思えるようになった。
このことを念頭において今後も頑張れば、「ああ、上手く行かなかった。これは上手くいかなかった先でまた何か得るものが待っているんだろう。」と考えるようになれば、ちょっとは心が楽になるのではないだろうか。
戻って考えてみる
高校受験
高校受験に受かっていたら、その後は試験を突破することを考える生活は送っていなかっただろう。おそらくライフルもやらなかったはずだ。Wikipediaに載る事もなかっただろう。マイナーな世界が結構面白いという感覚も持たなかっただろう。
大学受験
もし東大に受かっていたら今の自分は無いことは明らかだ。
大学院
中途半端に受かっていたら、イギリスに来ていることは無い。
さてこれを踏まえて何が言いたいかというと
勘のいい人は既に私が何が言いたいか分かると思います。実際、ところどころ書いています。
受験編
今この記事を読んでいるあなたは今回受験して、第一志望には入れなかったかもしれない。もし高校生なら他の大学に行くか、浪人するか等を決めていることだろう。そして今のあなたは相当に落ち込んでいるんじゃないでしょうか。特に真剣に取り組んでいれば取り組んでいるほど、上手く行かなかったときの自分が全否定されている感じは強いことかと思う。
すぐには分からないとは思うけど、あと何年かして「あの時あの高校・あの大学に受かってたら、今みたいになっていない」ってくるときが遠かれ遅かれくることだと思う。浪人していてもそう。もしかしたら予備校時代の友人と結婚したりもするかもしれない。もし仮に、受験をなめてて上手く行かなかったんだったら、今度の就職活動のときは、「もっと用意周到にやろう。」って心に決めて、実際そうするだろう。仮に適当にやって上手く言っていたら、実際は存在はしないんだけど、志望校に受かっていたあなたの数年後は、就職活動を「どうせまた上手く行くわ」と適当にやって、足元をすくわれることになってしまうかもしれない。
就職活動編
就職活動にしても同様でしょう。第一志望の会社に入ったら、実は上司がキチガイ。いきなり不正が明らかになって大量解雇。何でも起きる可能性はあります。大して志望してもいない会社に入ったら、実は大ヒットで業績もうなぎのぼり。上司も人格者。何でもありうるでしょう。
ただ・・・
ただ、これは私が落ちまくり失敗しまくり、挫折しまくりだから、自分を正当化しようとしているバイアスがかかっているかもしれないけど、上手くいかなかった経験がある人は、上手く行かなかった人の痛みが、事象は違っても痛いほど分かるようになるから、失敗した人を安易にバカにしたりはしなくなるんじゃないだろうか。完全に目標達成だけをしてきた人には絶対分からない感覚だと思いますから。
格言に学ぶ
「塞翁が馬」にあるように、人生どこで何があるか分からず、全てのことがいいのか悪いのかさえよくわからないのだから、私たちが出来ることは、今考えられる中で、今立てた最善の目標を頑張るしかない。それが達成できたからどうなる、達成できないからどうなるって言うのは、タイプリープできるとか、超能力者でも無い限り創造できないでしょう。
どこかで聞いたか、読んだかしたような気がするが、今までの成功も失敗も楽しいことも苦しいことも全てひっくるめて今の自分があるのだでしょう。特に失敗すると全精力をかけて真剣に考える。この経験が次に生かせて行くのでしょう。
ただ、その課程で、いろんな経験と出来ることの幅を広げておけば、万が一上手くいったときはより上手くいけるだろうし、全然だめなときでも上手く挽回したり、上手くいった以上に上手く行くようになる可能性が、多かれ少なかれ統計的には上がるであろうことは、間違いないさそうです。
チャンスはいつの日か何らかの形で、訪れるようです。しかしそのチャンスをつかめるレベルに自分が達成していないと気づきすらしないのでしょう。そういうチャンスをつかむようにするためにも、経験と幅を広げておく必要があるように感じます。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言があります。私もそう思って本などを読みますが、おそらく残念ながら私は賢者ではないのでピンと来ません。ただ他の格言に「百聞は一見にしかず」というものもあります。私には後者の方があっていそうなので、今後も前者を気をつけつつも、今後も経験を否応がにも積んでいくことになりそうです。
最後に
あなたの今回の「失敗」が、将来「あの時あの会社に落ちてなかったらこうはいっていなかった!」とネタにできるような日が来ることを心から祈っています。
私は今でこそ、そこそこ上手く言っているものが多い印象ではあるものの、実際今でも上手くいっていないなものも多いです。上手くいっていないものはブログに報告しないので分からないでしょうけども。そしてまたちょっと上手くいってもすぐ「失敗」すると思います。そもそもまだ学生で、先長いですし。こんな記事かいてていいのかも怪しいくらいの経験値ですし。
ではでは、こんなに長い記事を最後まで読んでいただきありがとうございました。
上手くいかないことも多いけど、いつ、どんな形でチャンスが訪れるか分からないですから、どうやら今自分で判断できる中での最善の選択を頑張る以外に他はなさそうです。こういうのを全てひっくるめて一言で言うとこうなりそうです。
「頑張ってれば、そのうちいいことあるよ!お互い頑張りましょう!」
主に高校生向けに話している動画もあります。よろしければどうぞ。