目次
公開日:2019年7月1日
更新日:2020年6月3日
こちらの記事にもあるように、私は飛行機に乗る機会が多い。現在ノイズキャンセリングヘッドフォンも買い準備万端な状態で、いろんな映画を見る。洋画も邦画も様々だが、日本の映画には、適宜シーンによって「日本文化」が描写されていることが多い。部活のシーンや会社のシーン。それらは多くの日本人にとって自然であって違和感が感じないためであろう。
映画「7つの会議」
さて今回見た「7つの会議」は、5年ほどイギリスで働いていた私には「・・・え?」と思うことが多かった。他の方々のブログ記事にも挙げられている部分は多いが、この記事では「日本文化」にフォーカスしていきたい。もちろん映画のためのド派手な演出だと信じたいが、半沢直樹「倍返し」などが流行ることも考えると、よくある光景なんだと予想している。※映画のネタバレを含みます。
中堅電機メーカーの東京建電、鬼とも呼ばれる営業の絶対的な存在北川のもと、厳しい会議が開かれます。エース坂戸課長の花の営業一課に対して、原島が課長を務める二課は地獄と呼ばれるほど業績も扱いも社内では悪い立場。ただ、一課には北川の眼の前でも居眠りをするぐうたら万年家長ハッカクこと八角(ヤスミ)がいました。原島としては八角位のお荷物は、一課のハンデとしてちょうどいいという思いました。そんなある日、突然、坂戸がパワハラで訴えられます。なんと訴えたのは八角でした。確かに坂戸は仕事に対して厳しい男でしたが、相手が八角であれば大したことにはならいと思われましたが、なんと訴えは受け入れられ、坂戸は一課長の座から退くことになります。
前提として私は個人的に、会社を含む組織は、成果を上げるためのチーム・集合体であって、従業員は、成果を上げるための労働の対価として金銭を受け取る団体であると認識している。そこに帰属意識や愛着は必ずしも湧くものではなく、必ずしも必要ではないと感じている。なお時たま出てくる私の外国での経験は、主に、イギリスのケンブリッジ大学の主に物理学科の研究所での経験やスポーツチームの経験を指す。
タテの関係
日本にはいろいろな上下関係が存在する。仕事のポジションに加え、年齢が大きなウェイトを占めているようだ。
上司部下
上司が部下を怒鳴りつけたり、部下のメガネいじって挑発したりなど。さすがに映画の演出のために過激なだけであって、実社会では起きえないと信じたいが、もしかしたら起きているのか。その場合、相手を人間として扱わなくていいんだろうか。「お客様」には例え年下であったとしても、これでもかってくらいに、へこへこするのに。
年上の部下
「年上の部下なんてやりづらいだろうな。」という表現もあった。これがすべてを表していないだろうか?仕事は、役割に応じて行動するだけだから、役割が決められているだけで、年齢には関係ないはずである。しかしながら日本文化の根底には年功序列。年上の部下には、年齢を敬いつつも、部下として指示を出さない、といけないということだろう。
上司の指示
捏造したグラフを見せて「ただこう言うデータがあるだけだと言っている。データを変えろとは言っていない。」というシーン。要は「俺の意図を忖度してデータ捏造しろ」と言っている。さらに、仮に指示していてもやったのはお前の責任問題とかいって部下の仕業にする。自分は悪くないと。犯罪を指示しておいて、上手くいったら自分の手柄、失敗したらやった指示はしていてもやつの責任、自分は知らない。なんともいい御身分ですね。
部活の先輩だから断れなかった
企業間で「あの会社の社長はお世話になった部活の大先輩であったから断れなかった」というセリフがあった。
いや、野球の部活と、仕事の商談に何の関係があるのか。「それはそれ、これはこれ。」の典型例ではないか。理不尽の強要を断れないというのは信頼関係として問題がないだろうか?判断を尊重とかしないんだろうか?
ということは、これは、先輩後輩はお互いを信頼しているわけではなく、年齢における支配側と被支配側の構造なだけなのだろう。
関連して、もしかしたら日本における体育会系には、ただ集中力が高く体力があり、継続して行える。以外にも、暗に先輩の話に理不尽に耐える耐性も入ってるんじゃないだろうか。ただスポーツが強いという以上のものを含んでいるのだろう。
ベンチャー企業は下請けだから断れない
大企業に比べて、小さい企業だから、大企業の取引に影響されてしまうので不正を要求されても断れない。確かに、全くわからない部分ではないが、捏造がばれたら、自分たちも危うい。それならむしろ切ってしかるべきとも思ってしまう私は、染まっていないのだろうか?
上層部がきたら全員起立
会議で上層部が来たら部下全員起立。全員で「はい!」”HAI!”
確かに小学校の体育とかの前へならえ、に始まり、大きな声で返事、とかあった気がするが、改めてこういう状況を見ると軍隊教育に見える。
ちなみに個人的な経験では、外国では、超有名な人や上司が来ても起立とかはなかった。下の名前で「Hi Tom!」みたいな感じである。
ヨコの関係
会社の仲間意識
「この忙しい時に有休を使うだと?許せない。みんなが頑張っているんだから、有給なんて取らないで土日返上で残業も厭わずに働け!」という表現。
この許せない、というのは個人的な感情である。組織におけるの業務での意思決定に対し、個人的な感情で許す許さない、の問題ではないはずである。
一方、外国でのチームは「ある目的を達成するために組織された一時的な集まり」という感じで、愛着もそんなに強くない。なんだかんだ個の方が強い。スポーツでもベンチから必死に声出して応援、とか無い。出番無いなら、寝てるわ。くらいな感じである。頑張って遠くの会場まで応援に行くだなんて、家族か彼氏か仲のいい親友くらいなもんである。
仕事でも「それ俺の仕事じゃ無くね?」とノータッチである。むしろ契約の責任問題的に手伝えない可能性すらある。超年長者から手伝ってもらいたいといわれた時にも「大変申し訳ないんだけど、これをやっていただけませんか?」と丁寧にお願いされたことがある。
花形部署
部署によって、花形だとか日陰だとかがあるらしい。個人的な感覚では「部署も職種も選べばいいんじゃないか・・・?」と思っていたが、伝統的な日本の新卒一括採用で、人事部が配属を決めることが多い。要は、一緒に同じ立場として入った同レベルの同期なのに、なんであいつだけ。みたいなのがあるんだろう。職種別ではなく、総合職と一般職という考えからも、そうではないらしい。またサポートするのは女性の役目なんだろうか。アシスタントが何回か出てくるが全員女性じゃないか。
部署間の小競り合い
同期のだれが出世している一方、俺はこんなみじめな気分なんだ。などと部署間で競ったりしている。「彼が出世した恨み!」みたいな表現。経理部は営業部の足を引っ張るためにいろいろとデータを調べまくっている。本当にこんなことあるんだろうか?と思うくらいであったが、検索すると実際にあるらしい。
https://blogs.itmedia.co.jp/itbar/2015/06/post_1.html
飛ばす・飛ばされる
総合職というのは、出世レース向けのコースであるので、いろんな職種が混ざっている。このため、人事異動で花形部署から、地方へ「左遷」等もありうる。
映画の中でもあったように、営業部の課長が、人事部に異動なんてのもあるらしい。
なんだか日本の企業は、横並びの中でだれが出世した、だれよりは年次が早い遅い等のがんじがらめの中で、虎視眈々とお互いにチャンスを狙っている。ライバルの不祥事があれば、ライバルは消える。そうなれば自分のチャンスになる確率が上がる。この不祥事で飛ばされるのが嫌だから、失敗をしないようにしているんではないかとすら感じる。
プロパーという表現
表現の中に「あいつは出向の社員だ。プロパーではない。だからあいつとは共有できない」という表現があった。両方とも同じ会社の役員のはずである。「プロパー」というのは正規のという意味である。そのまま意味でとれば「彼は正社員ではない」である。しかしながら正社員か非正規社員かという意味ではない。出向者はガイジンである。ガイジンは信用できないと言っている。
では、プロパーとはどういう意味だろうか?触れられていなかったが、文脈から判断するとおそらく新卒から入社してひたすら出世競争に耐え、競争に勝ち残ったたたき上げ社員のことを指すのだろう。
日本人の割り切れない感じ
先輩後輩の例もそうだが、日本人は「それはそれ、これはこれ」と割り切れない傾向が強いように思う。個人的に仲がいいが、仕事が出来ない人を上司に抜擢したり優先したりも行われている。
もちろん性格はいい方がいいし、長期的にはギブアンドテイクでも言われるようにトップギバーが成功しやすいことは証明されている。しかしながら、限度はないだろうか?さすがにいくら頑張っていたとしても、才能がなさすぎると何をやってもダメである。ただし自分のことしか考えていない周りを搾取しようとしているテイカー体質は排除した方がいいというのはよく言われている。
「頑張っているんだから認めてあげて!」というのはやはり表現としておかしい。仮にこの理論を認めるとすると、頑張っている人を全員認めていては、サッカーの国の代表は何千万人も必要になるし、オリンピック選手は億単位で必要だ。会社社長ももう何億人必要なんだろうか。
一般的に日本では「同じような実力であれば、年上を優先する」等の傾向もあるように思う。これも考えてほしいが、年齢が若い方が死ぬまで・引退するまでの期間が長い。ということは、同じような実力の場合には、年少を優先した方が組織的には長い目で見て戦力になる期間が長い。昨今話題のKKO(キモくてカネのないおっさん)問題にもつながる話であろう。
年功序列が絶対悪ではないだろう。特に社会情勢的に伸びている状態であれば、頑張ってついていけば先が開けるはずである。しかしながら、日本の状況を考えると、先が思いやられる時代においては、ついていったら沈むだけの可能性もあり、この方法は危ういのではないか、と考えている。
隠蔽
こういうもろもろの結果が、隠蔽体質につながっているのだろう。隠蔽して、それが明らかになったときのほうがさらにヤバいのであるから、リスク管理上も包み隠さず報告したほうがよさそうである。しかし、自分の地位の保身や会社を守るために隠蔽をするのが最適という考えになる。
個人的には、「え?クビになったらクビになったでよくない?むしろ隠蔽していてばれてクビになったっていう方が転職に際しても心象悪くない?」くらいに思うのではあるが、上記の飛ばす飛ばされる新卒入社・終身雇用が絶対の価値観の人たちからすればしょうがないようである。
さらに親会社も上司も隠蔽。理由は「会社のために一生懸命に汗水を流して働いている社員たちが一斉に路頭に迷うことになる」から。これも、会社員は、会社のために必死で働いているという前提が存在する。会社のためとは何だろうか。私たちの会社、という表現もあった。
法律的に考えれば、株式会社は、株を持っている人の所有物である。一般社員が株主総会で影響力を持つほど株を持っているとは考えにくい。しかしそれでも「私たちの会社」という認識をしている。結末は内部告発で隠蔽がばれ、ニュースになって調査が入り、結局関係者は左遷・逮捕などのオンパレード。外圧がかかるまでは何も変わらない構造をしている。この時のだれがどういう処分になるのかも、なんだか不透明である。責任の所在の明確化がされていないのが原因なのではないだろうか。
サラリーマンとはそういうもの?
「サラリーマンとはそういうものだ。」という表現。
「汗水たらして必死で会社のために働いても、不祥事一つで左遷。出世レース負け組。関係各所とうまくやるように政治・世渡りをしていく。」これを引退まで繰り返していくのがサラリーマンらしい。
個人的にはこれは主語がでかいやつだと感じている。もっと限定した方がよさそうである。そもそもSalarymanは和製英語である。Japanese Salarymanという表現で言えば、もしかしたら正しいのかもしれない。
働き方改革・副業に対して恐れている(?)だろうこと
映画の中に「最も怖い社員は、出世競争に興味ない人」のような表現があった。実際に映画では「捏造や隠蔽をするのは、成果を求められて、逃げられなくてやむを得ずやってしまった。」というのが彼らの言い分である。
しかしながら、出世や昇進に興味がない人にとっては、そのような強いインセンティブは働かない。働き方改革が進み特に、他から十分な収入がある場合においては、出世なんて興味がなく、むしろ会社員の方を趣味でやっている可能性が出てくる。「サラリーマンとはそういうもの」と考えるサラリーマンが減っていく。そういう社員にはパワハラも忖度も効かない。そうすれば、組織ぐるみの隠蔽が難しくなる。この映画で題材になっている企業からすれば「最も恐れる社員」が大量発生する可能性がある。この辺りを気にして、日本では副業や働き方改革が進まないという側面はないだろうか?
この辺をうまく変えていければ、日本の競争力も上がっていくのではないか、と感じる今日この頃である。
参考記事
https://www.shiitake0326.net/entry/2019-02-17-234258
https://diamond.jp/articles/-/164217