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公開日:2025年3月15日
更新日:2025年3月20日
人生は選択の連続である。小さなものから大きな決断まで。今日のランチのメニューから、大学、転職、転居、結婚まで、一つ一つの選択が現在の私を形作っている。そして私たちは皆、その選択の重さを日々感じている。
「私たちは何によって定義されるのか」と問われれば、それは「私たちが下した選択の積み重ね」だと言えるだろう。どの道を選び、どの道を選ばなかったか。そして、その選択をどう活かしたか。これらが私たちの人生の軌跡を描く。
詩人のロバート・フロストは「選ばなかった道」という有名な詩で、森の中で分岐した二つの道に立ち、どちらかを選ぶことの意味を探った。誰もが人生の岐路に立ち、選ばなかった道に思いを馳せることがある。
私は森の中で二つに分かれた道に立ち、
両方の道を行くことはできず、
長い間たたずんで、一方の道をできる限り遠くまで見通し
下草の中に曲がって消えていくところまで見た…
しかし時折、「あの時、別の道を選んでいたら?」という思いが頭をよぎる。人生の試行回数は一度きりであり、選ばなかった道がどこに続いていたのかは永遠に分からない。別の選択肢が魅力的であればあるほど、「もしも」の世界への想像は膨らむ。
そして今、再び私は人生の重大な分岐点に立っている。選択肢の前で、またしても「どの道を選ぶべきか」という問いと向き合っている。過去の選択から学びながらも、未来は予測できない。それが人生の面白さであり、難しさでもある。
私が歩んだ選択の軌跡
今までの「大きい選択」を振り返ってみたい。振り返ることで、選択の意味と影響について考えるきっかけになるだろう。
留学の選択 — ケンブリッジかMITか
先日、アメリカのボストンに出張した際、タクシーの窓からマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology, MIT)のドームが見えた。(なおタクシーで通っただけではなくふらっとよってみた)
その時ふと「もし私がケンブリッジではなくMITを選んでいたら…」と頭をよぎった。
実際、大学院進学の際に、最終的にイギリスのケンブリッジ大学を選んだ。当時は「MITでオタクになるか、ケンブリッジ大学で貴族になるか?」と考え、貴族生活にあこがれていた面はあった。実際のところ貴族っぽい生活を垣間見ることは出来たものの、貴族自体にはなれないのだが。
選ばなかった道の可能性が頭をよぎった。MITという選択は、技術的専門性を追求する環境を意味し、ケンブリッジという選択は、伝統と多様な文化に囲まれる環境を意味していた。もしMITに進学していたら、研究テーマも、人間関係も、価値観も違っていたかもしれない。今の私とは全く別の人生を歩んでいたかもしれない。
コンサルから研究職へ — コロナが変えた私の選択
就職や転職についてもいくつもの分岐点があった。
博士号を取得後、どこの国で働くかを含めて業種にもいろいろと選択肢があった。当時、海外と日本の就職活動の歴然とした差を実感した。結果としていくつか採用されコンサルに進んだ。海外と日本の就職活動の歴然とした差を実感。海外大博士から見た就職活動
「人生は前向きに生きるものだが、振り返ってみて初めて理解でき、点と点が戦につながる」と言われる。
今振り返ると、各選択の意味が見えてくるが、選択時にはその結果を知る由もなかった。
もし、留学もせず修士卒で外銀に就職していたら、もっと「典型的なシャカイジン」を歩んでいたかもしれない。留学後にイギリスやアメリカで働いていたら、今とはまた違っただろう。コンサルに就職した後も、宇宙飛行士に申し込まなかったら、職種を変えるようなことはしなかったと思う。作っていたウェブサイトも売ったりしないで続けていたら今はまた違ったかもしれない。
就職する時も「あー、もう日本で就職したら海外とかないんだろうな」と思いきや就職3か月目から海外出張まみれの生活をしていた。何ともよく分からないものである。
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コロナ前:空港を第二の家のように感じていた日々
コンサル時代、私の生活は文字通り「飛行機の中」だった。多い時には月の半分は海外出張。朝起きてどこの国にいるのか一瞬分からなくなることもあった。空港のラウンジは第二の家のようになり、定期便のCAさんと顔見知りになるほどだった。
「出張慣れ」というのは確かにある。スーツケースのパッキングは5分で済み、時差ボケ対策も完璧、海外での仕事の進め方も手慣れたものになっていた。大変ながらも、その「動き続ける」ライフスタイルに一種の中毒性を感じていた。クライアントとの対面ミーティング、現地調査、チームでの夜遅くまでの作業、「時差ぼけだるいし、もういいんだけど」と思いつつも、これらすべてに充実感があった。
コロナ禍:「在宅海外出張」の虚しさ
そんな生活が2020年3月、一夜にして変わった。
コロナ禍で海外渡航が全面禁止となり、出張生活から一転、自宅のデスクに向かう日々が始まった。最初は「一時的なものだ」と思っていた。一ヶ月もすれば元の生活に戻れるだろうと。
しかし現実は違った。日本時間の夜中にZoomを立ち上げ、シンガポールのクライアントと打ち合わせ。朝5時に起きて、欧州チームとの会議。そして夕方からニューヨークオフィスとの長時間ミーティング。
物理的には動かないのに、時間だけがシフトする奇妙な「在宅海外出張」。部屋から一歩も出ないまま一日中、コンサルとして誰かの「手伝い」をしている感覚。クライアントの顔が見えず、チームとの一体感もなく、ただパソコンの画面に向かって資料を作る日々。
最も辛かったのは、仕事と私生活の境界が完全に崩れたことだった。リビングがオフィスになり、寝室が会議室になる。24時間365日、「仕事モード」から抜け出せない感覚。閉じ込められた鳥のように、どこにも飛べない焦燥感が募っていった。
会議の合間のコーヒーブレイクもなく、ランチでの他愛のない会話もなく、チームでホテルのバーに行って盛り上がることもない。それらが仕事の大切な一部だったことに、失ってから気づいた。
ハムスターのこれになった気分であった。
半年が過ぎ、一年が過ぎても状況は変わらない。「このままでいいのだろうか」という思いが、日に日に強くなっていった。
転機:JAXAの宇宙飛行士募集
そんな閉塞感の中、2021年初頭のある日、スマホのニュースをスクロールしていると、一つの見出しが目に飛び込んできた。
「JAXA、13年ぶりの宇宙飛行士募集を開始」
最初は冗談半分で記事を開いた。
しかし、読み進めるうちに、何かが変わった。応募資格を見ると、意外にも門戸は広い。自然科学系の学位を持ち、3年以上の実務経験がある人。英語ができること。健康であること。
「あれ?意外と…応募できるかも?」
「宇宙飛行士に、転職だ!」JAXA宇宙飛行士候補者選抜試験に挑戦!【1】
応募を決めたのは、本気で宇宙飛行士になれると思ったからではない。
むしろ、「何か違うことをしたい」という漠然とした欲求の発露だった。コロナ禍での単調な日々に、ほんの少しの冒険心を投入する行為。応募書類を作成する過程で、自分の経歴を振り返り、自分の強みや弱み、本当にやりたいことは何かを考える機会になると思ったのだ。
同僚にも内緒で、夜な夜な応募書類を作成した。「どうせ一次選考で落ちるだろう」と思いながらも、意外と楽しかった。久しぶりに感じる、何かに「チャレンジする」高揚感。
想定外の展開:研究職への転身
地味に選考を進んでいった。
コンサルでは「クライアントの課題を解決する」ことが目的だが、研究の世界では「まだ誰も解いていない問題に挑む」ことができる。その違いが、私の中で大きな意味を持ち始めた。
宇宙飛行士選考は最終的に落選したが、その過程で新たな道が見えてきた。JAXAではなく、別の研究機関の募集を見つけ、応募した。今思えば、宇宙飛行士応募は単なる手段だったのかもしれない。本当に自分がやりたかったのは、知的好奇心に素直に従って探求することだった。大学院生の時に嫌になったはずの物性材料の研究が懐かしくなった。
コロナという「災い」が、思わぬ形で私の人生を変えた。在宅勤務の閉塞感がなければ、宇宙飛行士に応募することもなく、研究の世界に足を踏み入れることもなかっただろう。まさに「塞翁が馬」だった。
転居と日常の景色
「あの時あっちの家にしていたら」
留学の際にもそうだったが、住居をどこにするか?というのも結構な決断である。留学の際にも「どっちの部屋にすれば…?」とか考えたことがある。特に「選ばなかった方の家の前」を通ったりした時に猶更そう考えた。
日本国内でもそうだろう。最寄りの駅が違うと普段の景色も見え方も違う。通勤経路、近所の人々、日常の光景—これらすべてが住居選びによって変わる。私たちの日常は、私たちが選んだ環境によって形作られるのだ。
その「もし住んでいたら」という家の前あたりで、今の住人を見かけると、猶更である。
選択の構造と影響
選択の大きさと結果の幅
「選択の大きさ」は「結果の幅の大きさ」と見ることができる。
今日のランチに何を食べるかという選択なら、結果は「ふーん」で終わるだろう。明日また別のものを食べればいい。選択に迷っても、リスクは小さく、やり直しも効く。
しかし、進学先や就職先、住まいの選択は、試行回数が少ない上に結果が大きく変わる。どの国に住むか、どの職種に就くか、誰と結婚するか—こういった選択は人生の方向性を大きく変える。これらは人生の岐路と呼ぶにふさわしい。
選択肢の構造も重要だ。一方で、最初から「これしかない」という状況では、選択による分岐が存在せず、良くも悪くも「もしあっちを選んでいれば」という後悔も生まれにくい。選択の自由がないことに不満はあるかもしれないが、少なくとも選択に迷う苦しみはない。
選択肢の数と幸福度の関係
興味深いことに、心理学的研究では選択肢の数と幸福度には非線形の関係があるという。シーナ・アイエンガーらの研究によれば、選択肢が約6つの時に満足度が最も高く、それより少なくても多すぎても低下するのだ。
これはジャムの試食実験で有名になった現象だ。24種類のジャムを並べた店より、6種類のジャムを並べた店の方が、実際の購入率が高かったという。選択肢が多すぎると「選択疲れ」を起こし、意思決定の質が落ちるのだ。
自分に選択権があることは重要だが、選択肢が多すぎると選択による後悔も増える。これは進学や就職の際に数多くの選択肢を比較検討することの難しさを説明する。
確かに留学先の例でも、就職転職の例でも「明らかにこれはいらないや」という実質1択になるような選択肢ではなく「あっちも捨てがたい」となるようなものだと、余計に「あっちにしていたらどうなってただろう?」という思いが強くなりそうである。
デジタル時代の選択過多
現代社会では、この「選択疲れ」がより顕著になっている。スマホを開けば無限のコンテンツ、SNSで見る他者の「選択」の数々、転職サイトには数え切れないほどの求人。情報過多の時代に、私たちはかつてないほどの選択肢に囲まれている。
Netflixで何を見るか決めるのに30分かけた経験はないだろうか?あるいは、食事のデリバリーアプリで何を注文するか延々と迷った経験は?選択肢が多すぎて決められず、結局何も選ばない「選択麻痺」の状態に陥ることもある。
AI検索やレコメンドエンジンは、この問題を解決するために発展してきた。しかし皮肉なことに、アルゴリズムによる「パーソナライズ」は、私たちの視野を狭め、新たな可能性との出会いを減らすかもしれない。ここにも選択のパラドックスがある。
選択の複合性と連鎖
1つの選択は単独で存在するのではなく、過去の選択と未来の可能性が絡み合って存在する。ひとつの選択が、その後の就職先、住む場所、出会う人々、価値観まで変えていく。それはまるで碁盤の上の一手が、その後の全局面を変えるように。
選択肢が増えるほど、その組み合わせは指数関数的に増えていく。まるで量子力学の重ね合わせ状態のように、可能性は無限に広がる。しかし実際には一つの道しか歩めない。それが「人生の試行回数は一度きり」ということの意味だ。高性能な量子コンピューターが実現されたら最適化問題として解けないだろうか、まあ厳しいか。
塞翁が馬と選択の逆説
不運が幸運に転じる瞬間
私の場合、コロナ禍で海外出張がすべてなくなったことが研究職への転身につながった。コンサル時代、頻繁に海外へ飛び回っていた生活が突然ストップし、自宅でひたすらスライドを作りコールをする日々が続いた。当初は「これは一時的なものだ」と思っていたが、その状況が長引くにつれて仕事への不満が膨らんでいった。
そんな時、偶然目にした宇宙飛行士の募集。半ば気晴らしのつもりで応募したものが、思わぬ方向へと私を導いた。結果的に宇宙飛行士にはなれなかったものの、その過程で自分の本当にやりたいことを見つめ直す機会を得て、研究職への転職・異動を決意した。
古代中国の寓話「塞翁が馬」は、不運と思われる出来事が後から見れば幸運だったという逆説を教えてくれる。境界線に住む老人の馬が逃げた時、村人は不運だと同情したが、老人は「これが不運かどうかは分からない」と答えた。やがて馬は良い馬を連れて戻り、次に息子がその馬から落ちて足を折り、これも一見不運に見えたが、その後戦争が起き、足の悪い息子だけが徴兵を免れた。
もしコロナがなければ、海外出張を続け、コンサルの仕事に満足していたかもしれない。しかし、その「災い」が私を新たな道へと導いた。これこそまさに「塞翁が馬」だ。
リーマンショックでアメリカの博士留学は断念したけど、そのおかげで2年後修士後にケンブリッジ大学にフェローシップ・船井奨学金で行くことになり、コーフボールもここで始めたので、人生万事塞翁が馬だと切に感じるようになった。
なのでコロナで就職・転職上手くいかなくてもめげないで欲しい。— はじめ (@Hajime77com) March 13, 2020
選択しなかった道の美化
心理学的に興味深いのは、私たちが「選ばなかった道」を美化する傾向があることだ。認知的不協和を減らすために、自分が選んだ道の欠点を受け入れる一方で、選ばなかった道の良い面だけを想像する。
実際には、どの道にも光と影がある。MITに行っていれば、技術的な専門性は深まったかもしれないが、ケンブリッジで経験した文化的多様性や歴史的環境は得られなかったかもしれない。コーフボールは未だに知らないだろう。
そもそも留学などせずに外銀に就職していれば、高収入は得られたかもしれないが、様々な業界を横断して見る視点は養われなかったかもしれない。
隣の芝生はどこまでも青い。
選ばなかった道の幻想に囚われるのではなく、選んだ道の可能性を最大限に活かすことが大切だ。それは単なる自己正当化ではなく、自分の選択に責任を持ち、それを活かそうとする前向きな姿勢である。
「はじめの選択理論」のすすめ:3つの法則
長年の経験と観察から、私なりの「選択理論」を提案したい。これは科学的検証を経たものではなく、あくまで個人的な経験則だが、何かの参考になれば幸いだ。
第一法則:「選択後努力の法則」
どんな選択をしても、その後の努力の方が結果に与える影響は大きい。まずい選択でも全力を尽くせば良い結果につながることがあり、逆に良い選択でも努力しなければ期待した成果は得られない。
コンサルに行ったからこそ得られた経験もあれば、エンジニアになっていれば得られたかもしれない経験もある。
しかし、どちらを選んでも、そこで何をするかが最も重要だった。
第二法則:「非対称情報の法則」
選択時には常に情報が不完全である。しかも、選んだ道については実体験として情報が増えていくが、選ばなかった道については想像の中でしか情報は増えない。そのため、「選ばなかった道」と「選んだ道」の比較は本質的に不公平になる。
選ばなかった道でも、思い通りにならずに、帰って「選んだほうに行っていれば」となっている可能性までもある。
第三法則:「選択再遭遇の法則」
これはただの感覚なのだが、一度見送ったと思ったものと似たような選択肢が、時間を経て別の形で再び現れることがある。人生の選択は直線ではなく、螺旋状に巡ってくる、感じがする。むしろ選択肢に引き寄せられているような。
「今はこれを選ばない」が「永遠に選ばない」を意味するわけではない。選ばなかった道が後になって再び交差する時、それは単なる偶然ではなく、人生の螺旋的な性質なのだろう。大事なのは、その再遭遇の時に、前とは異なる経験や視点を持って、より良い判断ができるようになっていることだ。
選択のプロセスと学び
直感と論理のバランス
私は重要な選択をする際、直感と論理のバランスを取ろうとしてきた。データや情報を集め、論理的に比較検討する。しかし最終的な決断では、心の声に耳を傾けることも忘れない。
留学先を選ぶ際も、就職先を決める際も、様々な要素を比較した。しかし、最後の一押しになったのは「ここに行きたい」という直感だった。
重要な選択では、頭と心の両方を使うことが大切だ。頭だけで決めると、後から「本当はこちらが良かったのに」と心が反発することがある。
逆に、心だけで決めると、現実的な問題に直面した時に後悔することがある。
後悔と学び
特に上手くいかなかったときには、「あのとき別の選択をしていれば…」と後悔することもある。しかし時間が経つと、その挫折があったからこそ今の自分があると気づくことがある。
後悔は次の選択をより良くするためのヒントであり、教訓でもある。自分を責めるためではなく、成長するための感情なのだ。後悔を全く感じない人生は、挑戦や冒険が足りない人生かもしれない。
逆に「あっちにしていたら」という良い面を想像することもあれば、「アレを選ばなくてよかった」と心から安堵することもある。選択の結果は両面性を持っている。
それでも必要なら「第三法則:「選択再遭遇の法則」」でまた訪れるかもしれないので。
選択が生み出す人生の軌跡
履歴書を見せるのが嫌だという人がいる。しかし履歴書とは、自分の選択の痕跡を客観的に見られるものだ。どこの学校に通い、どんな仕事をし、どんなスキルを身につけてきたか—これらの選択が形作ってきた軌跡そのものだ。
それは鉄道の線路のようなものだ。一度敷かれた線路は簡単に変えられないが、新しい駅を作ったり、支線を伸ばしたりすることはできる。これまでの軌跡を否定するのではなく、それを活かしながら新たな方向に進む—それが選択の知恵ではないだろうか。
人生の分岐点で何を選び、何を選ばなかったか。それは常に両方の可能性を持っている。第一志望の大学に落ちた経験も、その後の海外留学から転職という選択もすべて履歴書に残る。それは恥ずべきものではなく、自分だけの固有の軌跡とみることが出来るだろう。
選択の不確実性との向き合い方
情報が不十分な状態での決断
人生のほとんどの重要な選択は、情報が不十分な状態で行わなければならない。完璧な情報を持って判断できることはまれだ。就職先を選ぶとき、本当にその会社の内情や将来性を完全に把握できるだろうか?結婚相手を選ぶとき、その人との長い未来をすべて予測できるだろうか?
それは霧の中を歩くようなものだ。前方は見えづらいが、一歩一歩進まなければ何も始まらない。時には濃い霧に包まれることもあるが、歩みを止めれば何も変わらない。
人生はしばしば予想外の展開を見せる。計画通りにいかないことのほうが多いくらいだ。私たちができるのは、不確実性を受け入れながら、その時々の最善を尽くすことだけだ。
自分の選択を正解にする
「正しい選択」を探すよりも大切なのは、「選んだ道を正解にすること」だ。どんな選択をしても、その道で最善を尽くし、与えられた環境で最大限の成長を目指す。そうすれば、どの選択も自分にとっての「正解」となる。
これは単なる精神論ではない。心理学的にも、自分の選択に対するコミットメントが高いほど、その選択からの満足度が高まることが知られている。選んだ後に「あっちが良かったかも」と迷い続けるより、選んだ道に全力を注いだ方が、結果として幸福度は高まるのだ。
何かを得ることは、同時に何かを捨てることでもある。すべての選択には、「トレードオフ」が存在する。どの道を選んでも、得るものと失うものがある。大切なのは、自分が本当に大切にしたい価値は何かを見極めることだ。
可能性の広がりと選択の覚悟
パラレルワールド
物理学の「多世界解釈」によれば、選択の分岐点ごとに世界線が分かれ、イギリスに残った私、コンサルを続けた私、投資銀行に入った私—それぞれが別の世界で並行して生きているという。
この考え方は科学的な真理というより、人生の可能性の大きさと複雑さを象徴している。私たちは一つの世界線しか生きられないが、選択の瞬間には無限の可能性が広がっていることを思い出させてくれる。
選択肢の前で立ち止まる時、それは可能性の木の分岐点に立っているようなものだ。どの枝を選んでも、その先には新たな葉が茂り、花が咲く。選ばなかった枝も、どこかの世界線では実現しているかもしれない—そう考えると、選択の重圧が少し和らぐこともある。
思いがけない出会いと偶然の贈り物
人生の不思議なところは、思いもよらないところで、思いもよらないタイミングで、思いもよらない人や経験に助けられることだ。計画通りにいかなくても、思わぬ出会いが道を開くことがある。
私も何度か、偶然の出会いや、予想外のアドバイスによって救われた経験がある。それは選択の結果というよりも、どんな状況でも心を開き、学び続ける姿勢があったからこそだと思う。
カール・ユングは「シンクロニシティ」という概念で、偶然の一致に意味を見出した。私たちが真剣に求めているものは、思わぬ形で現れることがある。それは宝探しのようなものだ。地図通りに進むだけでなく、時には直感に従い、偶然の出会いを大切にすることで、思わぬ宝物に出会うことがある。
未来への準備
以前、私はコロナの際の寄稿で「塞翁がコロナ」という記事でこう書いた。
「芸は身を助ける。様々な過程で身に着けた実力やスキルだけはあなたを裏切らない。どこからともなく不意に訪れるチャンスの前に、十分に準備が整っていれば、幸運の女神の前髪を自然とつかむことが出来る。」
今でもこの考えは変わらない。どの道を選ぶにせよ、自分自身を磨き、準備を怠らないことが、未来への最良の投資なのだろう。そして今、私は再び人生の大きな選択の前に立っている。過去の選択から学んだことを活かし、新たな一歩を踏み出そうとしている。
人生の試行回数は1回
人生の試行回数が一度きりであるからこそ、私たちは選択について考え、時に「もしも」の世界に思いを馳せる。それは後悔ではなく、人生の可能性の豊かさを再認識するための思索なのかもしれない。
大ヒット映画の「ラ・ラ・ランド」の最後のジャズバーでのシーンように、時に私たちは選ばなかった道と一瞬だけ交差し、そして再び自分の道を歩き始める。その切なさと美しさは、選択という行為の本質を映し出している。
人生はチェスのように、一手一手が次の展開を左右する。しかし、チェスと違って「勝ち負け」はない。あるのは、自分らしい手を打ち続け、その結果として描かれる独自の軌跡だけである。
私が時折感じる「あの時、別の選択をしていたら」という思いは、実際のところ現在の自分の選択をより価値あるものとして確認する作業でもある。異なる道があるということを知りながらも、今を精一杯生きることの重要性をあらためて感じる。
そして、あなたはどんな選択の分岐点に立ち、今どんな道を歩んでいるのだろうか?選ばなかった道について考えることはあるのだろうか?あなたの選択は、あなたをどんな人に形作ったのだろうか?
あなたの「塞翁が馬」体験はどんなものだろう?一見不運に思えたことが、結果的に人生を良い方向に導いた経験がないだろうか?
あなたが今、重大な選択の前に立っているなら、この記事があなたの道しるべになれば幸いである。