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公開日:2019年9月8日
更新日:2020年6月3日
年に1回行うイベント健康診断。
このイベントで、なんとも非人道性を感じることとなった。
健康診断
入り口に入ると、「こんにちは!健康診断ですか?」と声をかけられる。
そんなにハキハキと大きい声を出さなくても聞こえますよ、もちろんそうですよ。見方によっては元気にふるまうことでこの後起きる様々な試練から目を背けさせようとしているのではないか、と感じるほどであった。
等と考えつつも「はい。」と返事をする。
「カードを持ってお待ちください」と、26番のカードを渡される。※1
その後カルテを記入し、指示を待つ。
「26番の方!」
一瞬忘れそうになるが、私は26番のカードを持っている。
返事をして向かうと、更衣室で服を脱ぐように言われる。スマートフォンや貴金属などは持ってはいけない。すべてロッカーへ入れる。
自分で脱ぐか脱がされるかの違いはあるが、要は、貴重品をすべて別で保管され、みぐるみをはがされる。
みぐるみをはがされてからは、もっぱら番号で呼ばれる。さらに、行く先々で待ち構えている看護師の方々は、私よりも、私のカルテに興味があるようである。
ここでは私は「しのはらはじめ」ではない。重要な紙であるカルテを運んでいる「26番」なのだ。
次から次へと26番は呼ばれ、ポイントラリーのように、順番に回る。
あるコーナーでは、高い柱がある台の上に乗るように言われる。
この台に乗る直前に、ポケットに何か入っていないか、再度確認をされる。
台に乗っていると、上からバーが下りてきて頭を押し付けられた。
この記録が26番よりも大事な、26番のカルテへ記入される。
ガスが降ってくることはなかった。
柱に括り付けられて釣り上げられることもなかった。
次のコーナーでは、レントゲンを撮る。要するに放射線を被爆する。
別室に避難した看護師。ガラスの窓から装置に張り付けられた26番の背中を監視する。別室の看護師がボタンを押し、放射線が発射された。
要するに、看護師は安全な別室から26番めがけて放射線を発射し、26番は放射線を被爆することとなった。
もはや26番が自ら回ろうとしなくても、半ば次のコーナーに先導される。
看護師たちによるベルトコンベアのようである。
むしろ止まっていたら、看護師に次のコーナーまで引きずら
途中で抜けたいなども許されない。ここには半ば閉じ込められている。
ある部屋では、重要なカルテを読みながら、26番に対して質問をいくつもする。尋問である。
またある部屋では、看護師により鋭利な針で腕を刺され、血を奪われた。
さらにとある部屋では、尿をコップに入れて所定位置へ置くというミッション。なんとも不気味である。
あれよあれよと、様々な試練や攻撃に耐え、最後の部屋の前のベンチへ座って待機する。
最後の部屋を次々と呼ばれる。最後の部屋から元の部屋の側に戻ってくることはない。
彼らはどこへ消えたのか。
遂にその時はやってきた。
「26番の方!」
カーテンの奥から声がする。はっきりと大声で番号を発音をするのが、ここでの掟のようだ。
無言で笑みを浮かべる看護師。いくつもの番号を相手にしていたせいで、感情をなくしてしまったのか。
看護師よ。彼らをどこにやったのか?
一人残らず、ガス室へ送ったのか?
無言の笑みがより不気味に見えた。
・・・。
看護師は、26番に「ハイでは終了です。」着替えて帰って良いという。
どうやら私は、ガス室送りを免れたようである。
全てが終わり、逆にあっけなさにさいなまれた。
数週間後には、書面でこの過酷なミッションの結果が郵送されてきた。ここでは26番ではなく、氏名が書かれている。どうやら奪われた名前はいつの間にか取り戻されたらしい。
ただ、この書類は、どうやら召集令状のようである。
そう考えると、心拍数が徐々に上がっていく。
令状の中を開けると、中には数字とランクが載っている通信簿のようである。召集される基準がいくつか書いてある。
当時26番であった、私のスペックが示されている。
私の通信簿は、
オールA
・・・ではなかった。
私は優等生ではないようだ。何が悪かったのか。確かに最近サボっていたかもしれない。Bがあるじゃないか。GPAが下がってしまうではないか。留学する際には、気を付けて好成績を目指していた。最近ではそんな気も薄れてしまったのか。
なお、召集令状の基準はDがあることのようである。
私は幸いにして、今回は追加召集に取られることはないようだ。
そっと胸をなでおろすと同時に、このBをどうするかを考える。
この試練との戦いは、来年も続く。
ささやかな抵抗
健康診断の運営側からすると効率的なのは言うまでもないが、私は、こういったコマのような扱いに心理的な抵抗を覚えている。
私は、特に針で刺され血を抜かれるのが非常に苦手である。
「いやもう、ちょっと刺さないでよ、傷害罪ですよ!」
とか言いたくなるくらい。さらに血を抜かれると倒れそうになるので、ベッドに寝かせてもらっている。
問診表にも出来る限り、「はい」や「時々」をつけ、事例を残すようにしていた。
医師「最近息切れがするとありますが、どれくらいですか?」
私「最近よくスポーツしたり走るので、息切れします。」
医師「あ、はい・・・。」
医師「ここに、頭が痛いとありますが、いつからですか?」
私「先週ぶつけたんですよね」
医師「あ、そうですか。」
医師「脱力感がするのは・・・?」
私「時々、私の人生はこんなのでいいんだろうか、って考えません?人生って、そういうものではないですか?その際になんとも言えない無力感に襲われるようなことって、無いもんなんですか?」
医師「・・・はい、では終わります。」
意識的にも無意識にも、こういった例外処理が必要なことや、相手の意表を突くことを考えてしまうあたり、オートメーションでコマを演じることに対する、ささやかな抵抗なのかもしれない。アウシュビッツ収容所の「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」のBを逆さまにしたかのように。
※一部フィクションです。真に受けないでください。
参考: