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公開日:2021年3月6日
更新日:2021年3月11日
昨今では日本の博士課程の待遇強化が行われている。
政策の内容は以前からも基本的に「大学院の在籍時の待遇を良くする」という「在籍中の待遇を良くしようとしている」例が多い。しかしこのような方法は根本的な解決にはなっていないので、何度やっても焼け石に水なように思われる。
分かりやすい比較のため「大学院」のカテゴリーでは雑なのは承知であるが、学費が異常に高い割に進学希望者が後を絶たない大学院に欧米のMBAというコースがある。これらは、学費が高く給料なんて基本出ないが、それでも進学を希望する人が非常に多い。日本の博士課程の定員割れに近い状態とは対照的である。
この記事では、現状の仕組みと構造のどのあたりに問題があるのかをまとめていきたい。なお博士を好待遇にしたほうが良い、という内容では決してない。さらに筆者はPhDホルダーなので、ある程度はバイアスがかかっている可能性が高いことを予めご了承いただきたい。
博士課程とMBA
別の記事にまとめたが、欧米MBAコースは学費が高いと散々言われているが、進学希望者は後を絶たない。この理由は別の記事で考察した。MBAはおそらく周辺業界が儲かるために、各種広告でMBAを神格化しておくことが有効という構造がある。
詳細は別の記事に書いたが、MBAが持ち上げられる傾向にあるのは、大学や周辺産業が儲かること、単価も人数も多く市場も大きいこと、スコアやエッセイなどの入試対策がしやすい点があげられる。そしてコスパがいいのに難易度が低めときたら、必然的に応募する人が増える。更に業者も儲かるのであれば余計に宣伝をする。利害関係が業界内で一致している。
細かい考察は別の記事を参照いただきたい。
何が違うか?
比較対象として少々ねじれてはいるが、定員割れ近い日本の博士課程と、倍率が何倍にもなる欧米のMBAでは、結局何が決定的に違うか?と言えば、修了後の待遇やキャリアアップの期待値だろう。MBAでも就職にうまくいかない例はあるだろうが、少なくとも昨今の日本の博士後のハカセ・シンソツよりは期待値が高いことは容易に予想される。
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なぜMBAに進学を希望するのだろうか?
散々中身が無い、高い、などと言われ続けていてもMBAに進学を希望する人は多い。なぜ進学をするのだろうか?経営や経済に興味があるため、という意見はあまり聞かない。
進学しないと出来ないわけではなく、中身は書籍で対応が可能。特殊な装置が必要なわけでもないし、授業ならネットで公開されている。
結局主な進学理由はMBAの修了後にキャリアとして一定の評価を得ているからであろう。修了することによって、キャリアアップする可能性が高い。要は進学が費用対効果がいい投資になる。
個人的な経験からしても「MBAの人たちは、儲かれば何でもいいのかな?現象の構造とか現象とかにはそんなに興味はないんだろうか…?」と感じることはままあった。
もちろん途中で人生変わるような経験をしてという内的なものもあるだろうが、客観的なものの方が説明はしやすいし、献金による圧力は客観的なものばかりになる。中身に興味があるというよりも、修了後のキャリアアップにつながる可能性が高いからではないだろうか。
日本社会・新卒文化とのミスマッチ
日本社会と現状の大学院政策はマッチしていない。日本社会は、学位やスキルよりも、年齢や年次が重要な文化である。中心となっているのは大学学部入試の偏差値であり、その後のスキルや専攻は重視されない。
ここにマニアックな技術やスキルを持つ人材との相性は良くない。むしろ最悪である。さらに組織内の年次も重視される。1日でも後から入ったら後輩になり、1日でも早く入った先輩に敬語で接するのような文化内で、新参の方がハイスキルだと嫌がられる。
社会における位置づけの問題
現状の日本の秩序・序列である、高偏差値学部学校歴・MBAの方々が既得権益を失うことになるので、まあなかなか進むことはないと思われる。女性のように選挙票数が多い属性でもない。一層の事、コロナ対策も相まって諸外国のことなど気にせずに鎖国をしてしまい、大学院自体を廃止してしまったほうが良いのではないか?とすら思ってしまう。
「博士を増やすと国際競争力が上がる」は本当か?
そもそも「博士を増やすと国際競争力が上がる」というのは本当なのか?
個人的には経験を基にしても、現状の日本の仕組みでは、博士号取得者数と国際競争力は関係がないのではないのか?と考えている。理由は日本の年齢年次学部入学偏差値が重要な社会構造と博士のようなシステムはマッチしていない印象である。
仮に博士号取得者が増えても「君はシンソツなんだから最初の3年は下積み!」や「シャカイジンケイケンが無いくせに」と言って、雑巾がけやホチキス止めをやらせていたのでは、博士取得者を増やす意味はない。
社会人経験(シャカイジンケイケン)とは何か?定義・多角的な比較と考察
シンソツが無いといろいろ厳しいようである。
新卒で入る会社は事実上の最終学歴だと繰り返し言っておきたい。いずれベンチャーに行くのは自由だが、新卒カードを切る場面ではない
— (っ╹◡╹c) (@Heehoo_kun) September 27, 2020
確かに席数が限られているのにもかかわらず、参加者の人数だけが増えれば、競争が激化する関係でレベルは少し上がるかもしれない。しかしそれは、スポーツ、アニメや専門学校のような1位以外全員負けな構造を助長している。そして被害者の数ばかりが増えてしまう。
真剣に増やしたい場合
もし仮に真剣に増やしたい場合、博士課程の在学中の給料のようなやり方ではなく、別のやり方があるだろう。ここは先述の欧米MBAを参考にすれば分かりやすい。
鶏卵論ではあるが、欧米MBAは学費が高いが進学希望者が多いのは、スクールなどが儲かるという事実に加え、修了後の進路に高い期待値があるためであろう。要するに進学に対する投資対効果が高めになる。
仮に欧米MBAも修了すると、何やら前科者の犯罪者のようにはれ物に触るような扱いを受けるコースであるとしたら、誰も進学しなくなるのではないだろうか。
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アファーマティブアクション
結局弊害が出つつも推進していくわかりやすい方法に「アファーマティブアクション」がある。アファーマティブアクションは、積極的な是正措置で、黒人の社会進出などでも使われていた。昨今の日本で行われている「女性の役員を○割以上」というのが分かりやすい。
この「女性の理事4割」のように、例えば経団連理事や、加盟企業の部長以上の割合に「博士の割合を○割以上」のような目標を掲げれば、おそらく取得する人が増えるし、取得しようとする人も増える。
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ただしそのような要職の席数は限られているため、割を食うのはいわゆる「高学歴(高偏差値学部学校歴)・高齢・男性」である。どのようになるかと言えば「今までの実績を考えると、これくらいできればどのくらいまで出世できる」と考えていたモデルが崩れ、出世できない割合が増える。
諸外国博士課程と日本の博士課程の違い
諸外国の博士課程との違いもあげて置く。
諸外国のPhDでは、少なくとも、日本で匿名のGAFAや商社・銀行・コンサルアカウントが取り上げるような、いわゆる高給人気職を辞めて、PhDコースに入学した人材はちらほらいた。これは純粋に興味という側面もあるものの、PhDを取ってもキャリアとしても大きく損はしないと認識しているためである、と思われる。
MBAは「投資かつ収益源」、Ph.D.は「純粋な投資」
この両者の違いはどこから来るのでしょうか。言葉に語弊があるかもしれませんが、私は米ビジネススクールを運営する側にとっては、MBA経営は「投資であるとともに収益源でもある」のに対し、Ph.D.は「純粋な投資」であるということではないか、と理解しています。
一方で、そのようないわゆるハイキャリアの企業を辞めて日本の博士課程に入学し直したという人は、ほとんど聞かない。理工系分野で主に研究職に就職した人が数年でやめて博士課程に入学というのはちらほら聞いたことがある程度である。日本人でも諸外国のコースに入学している印象である。
それくらいには日本の博士課程は「キャリアアップ」としては認識されていない。むしろ「D進は覚悟が必要」等と、半ば世捨て人のような印象すら与えられる。
MBAも中身に興味があるとかではなくて、修了すると転職の幅が広がったり、好待遇になる、要するにキャリアアップになるから進学する人が多いのだろう。
仮にMBAに修了すると就職が絶望的になる状況であれば、進学する人は激減するのではないだろうか。結局人気や人数を増やしたければ、分かりやすいメリットがあることが重要なように見える。
「D進」に覚悟を決めないといけないというのがそもそもアレ
先述のように現状の博士課程進学「D進」には覚悟を決める必要があると言われている。
質問2について。
「D進 覚悟」で検索すると沢山見られますが、スクリーンショットで。今の若い人達はこんな感じです。
主に経済的な問題と、就職の展望が見えない事が問題ですね。 pic.twitter.com/S8xPCtU32R— Shuuji Kajita (@s_kajita) October 24, 2020
なぜ覚悟を決めないといけないのかといえば、席数が限られている業界内での大変で競争が激しい割に、研究以外への道が半ば閉ざされるためである。
これは非常に苦しい。
離婚する気などなく、永遠の愛を誓って結婚をしたとしても、大体3割は離婚をする世の中である。
さらに、修士から直接博士へ継続的に進学する場合には、他の選択肢を見る機会もない。
そんな中で仕事を変えることも安易には出来なくなるのは正直辛い。
一部の分野では、就職するというと裏切り者と罵られたりする文化まである。
裏切り者?なぜ大学院・博士課程やアカデミアは歪んでいるのか?
個人的にも、物性の合成が全然うまくいかずに再現性が取れない中でうんざりしたというのがある。この時に潰しが全く利かないのであれば、もう逃げ場がなくなっていた。
さらに、研究が嫌になったというよりは、研究関係の扱いの悪さと、運要素の大きさ、先の見えなさが嫌になったというほうが大きい。
博士号は世界へのパスポート?Ph.D.日本と諸外国のすごさ・価値認識の違い
本当に根本的に博士課程に進学する「優秀な」人材を増やしたいのであれば、以下のような構造になっていれば、ほぼ確実に「優秀な」人たちが選抜されて進学するだろう。(諸外国(西欧・北米・シンガポール・香港辺り)のPhDはこういう形であることが予想される)
- 博士号を取得すれば、研究者としてのポストはほぼ確実に約束される
- 研究が嫌になった場合にも、企業の研究職はもちろん、別分野に移ったとしても学部新卒・MBAよりも好待遇・高職種で採用されやすくなる
これであれば、おそらく現在MBAに進学を希望していた層も博士課程に進学を希望する人が増えるだろう。例え在学中の待遇が悪く学費が高かったとしても。
ただし、日本の人口は減少傾向であるし、1の研究ポストは限られているし、少子高齢化でさらに減少するだろう。しかしそれでも覚悟を決めて別に移れないのであれば、逃げ場さえなくなってしまう。最初から別の選択肢を考える必要はないが、単純に全員が研究者志望であったとしても、大学教員(特にまともなポジション)の席数は限られているし、単純な倍率も何倍にもなる。
博士課程在学中の待遇改善より先に終了後の活路整備を優先しないと。博士課程進学者増が先行して目詰まりを起こすのでは? 大学のポスト増は期待できないので、民間企業や公官庁の採用を増やす政策を / “【独自】政府、博士課程1000人に年230万円支援へ…先進分野…” https://t.co/6Npo0I0Nxf
— Oricquen (@oricquen) December 17, 2020
博士課程の優遇、それも大事だし嬉しい。嬉しいけどね。その後ですよ。その後の進路。ポスト。ポストが欲しいですよ。とにかくポスト。少なくとも博士課程を増やして優遇したならその分のポスト増やして待遇改善してくれないとアカデミアの未来は暗いままですよ。とにかくポスト。
— Reina+World🧬🐝虫のお姉さん🦋レイナ先生🥼 (@reinaworld_) March 3, 2021
このため2の方の「滑り止め」の充実がカギになるだろう。しかしこれも既得権益との関係で非常に難しい。
望んでいるかは別として、博士を修了することによる客観的なメリット(主に社会的・経済的なものなの)が明確になれば、自然と進学者は増えることだろう。このために具体的に何をやればいいか?と言われると非現実的なものしか思いつかない。やはり非現実的なのだろうじゃ。
ただこのように明確に金や出世が絡むようになってくれば、明確な現状の博士課程では聞かれないような単語が飛び交うようになることが予想される。例えば「キャリア」や「コスパ」である。これにより現状の日本の博士課程に多く在籍しているような、進路とか関係なく純粋に学問が好き(だけど器用ではない)のようなタイプは、入学競争に負け、進学が出来なくなる可能性はある。
私自身、PhDに進学した際には「キャリアのコスパ」などはほぼ考えていなかった。高いレベルに挑戦したい、という気分であった。キャリアについて知っていたこととしても、STEMのPhDは海外の方が選択肢が少し増えるかな、程度であった。
実際には日本の年齢・年次・横並び意識社会から解き放たれたというような内的な効果があったが、これは客観的なポジションや年収のような「コスパ」には関係ないだろう。
少し検索すると、やはりコスパなど考えていなかったという例が散見される。なおこの話題になった元ツイートは見つけられなかった。
MBAがコスパ悪いとか、行くならPhDの方が良いとか、その辺お金でバリューがつかないとダメかな。僕は数学のPhD行ったけどコスパなんて一度も考えた事なくて当時は情熱しかなかった。
— Yohsuke Watanabe (@YohsukeW) May 18, 2020
MBAのコスパ悪いだとか、行くならPhDの方が良いとか正直どうでも良いし、なにに価値を見出すのは本人次第だし、キャリアのステージも違うのにMBA行くのは富裕層云々とか妬んで揶揄するの、率直に言ってしょっぱ過ぎるんよね。
コスパを言うなら自費米国MPHだって、、、😇
— Koichiro Shiba (KRSK) (@koro485) May 17, 2020
https://twitter.com/Joe68819356/status/1262287893646602240
ただ「コスパ」の意味で書かれている方もいる。
日本で育つ子供の場合、圧倒的にコスパがいいのは、旧帝大理系→欧米大学院PhDコース(授業料免除+奨学金)だろう。奨学金400万円x5=2000万円ぐらいもらえるので、教育費はネガティブにまでなる。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) October 21, 2018
ついでにMac Book Airの方もヒット。
MBAのコスパが際立つ https://t.co/YrWGCuvVrQ
— Yosuke Nagatomo (@gtmhouse) November 18, 2020
本心は増したいわけではない可能性
上記のように出世や金銭に絡めたりすれば、本当の意味で博士取得者の人数は増えるはずであるし、希望者も増える。昨今の「女性の割合」と政策をとっていることから、このような方法が存在することは認識されているはずである。しかしそのような方式を取ることは基本ない。
誰しも既得権益は離したくないだろうし、女性の社会進出のように、該当する人数が多いわけでもないために選挙に有効なわけでもない。
ではむしろ本心では、国際競争力を上げたいとも、博士を増やしたいとも思っていない可能性はないだろうか?
本心で本当に増やしたいのは、博士の人数や国際競争力ではなく、240万円という十分安い値段の割には、学位を人質に取って採算度外視で働かせることが出来る、ちょっとした専門性が高い一種3年で使い捨てに出来る非正規派遣社員人材、なのではないだろうか。
結局大学院は在学中の待遇の問題ではなく、日本社会自体の文化的なものや社会における位置づけの問題なので、一朝一夕に変わるものではないだろう。
いっそうの事「日本はグローバルなんて知らないから。日本は鎖国するから。」と言って、独自路線で大学院という制度自体を取りやめてしまうのもありなようにすら見受けられる今日この頃である。