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公開日:2019年3月2日
更新日:2020年9月22日
運の要素が強い業界でのセーフティネット・滑り止めの重要性
世界には様々な職業や業界、分野がある。物事の実行から結果までのフィードバック、いわゆるPDCAが早く、成功か失敗かが見分けやすい分野がある一方で、そもそも実行自体に何年もかかったり、実力を見極めるのが難しい分野も存在する。下手したら見極めに一生かかるかもしれない。ガチャの引きの強さの見極めに一生を使う。
ざっくりした傾向でいうと、前者はスマホアプリの作成など、後者はスポーツや芸術などが該当する。
世間ではあまり理解されにくいようだが、学術研究もこの傾向が強く、私も実感することがあった。応用に直結しづらい基礎研究ならなおさらである。
さらにこういうエリアは、オールオアナッシング、勝者総取りの法則のようになりがちで、個体差が激しい。統計用語では、分散が大きい、ボラティリティが高いなどというだろう。人と人との巡りあわせや、取り組んだ研究やスポーツ自体等、運の要素も必然的に多くなる。いわゆる運ゲーである。くじ引きであり宝くじであり、ロットである。
成功者に関しては大きく取り上げる傾向がある。(広告宣伝・イメージ・そのたもろもろの理由。)
しかしながら運がよくなく「外した」したときどうすればいいか?というのは重要なはずである。
しかしながらそういった話はなかなかに出回っていない。
場合によっては立ちいかなくなったりしているんだろう。
なぜボルダリングでは命綱をつけたり、海外旅行では保険に入ったりはするのに、キャリアには保険を掛けない人が多いのか?
今回はこう言った分散が大きい業界において「良いBプラン・セーフティーネット」がいかに重要か?ということを経験を交えて説明できればと思う。
実績時間・実力の関係
さて上記の状態をもう少し図を交えて説明したい。ちょっとざっくりとした考察だが、実績と時間と実力には以下のような関係があると考えている。
実績と時間・実力の関係のイメージ図
縦軸が成果で、横軸が時間。直線の傾きが実力。時間単位でいかに成果を出せるかが実力である。
黄色で表される体系がPDCAの一回のプロセスに時間がかかるものにおける目に見える実力のばらつき。青色で表される体系が一回のプロセスが比較的早く終わるものにおける目に見える実力のばらつき。
黒の実線が「真の実力」によるパフォーマンス。長い時間かけるとこういう感じになるんじゃないの?という予想の直線。
黄色で表される体系の事柄において、仮に短い時間でうまく「当てる」ことが出来れば、グラフの破線のように大変大きい傾きが得られ、客観的に見れば、相当な実力者に見える。一方で長い時間取り組んでも、そんなにいい成果が出なかった場合には、右の点線のように、相当にしょぼく見える傾向になる。
一方、青色で表される体系の事柄については、時間もそこまでかからないが、大きく当たったり、思いっきり外れることが少なく、いってみれば実力相応に見えるような事柄である。
もちろん実力自体は傾きによって変わるので、より実力のある人が早いサイクルの事柄に取り組めばすごい勢いで成果を出す可能性は高い、などはある。成長すれば傾斜も変わるだろうなど言っていたらきりがない。あくまでシンプルに考えてほしい。重箱の隅はつつけば、さらに重箱がの隅が広がっていく無限の入れ子構造を感じる。
バクチ系の業界で「外す」とどうなるか?
メディアなどでは、イメージや広告宣伝戦略も相まって、特にアートやスポーツでは、一部の超成功者のみが業界のすべてのように取り上げることが多い。
これらの分野では、実力があるという大前提のもと、いい指導者といい環境、いいタイミングに恵まれるという最強系コンプリートガチャをクリアしないといけない。ここには当然運の要素もかなり絡む。一つでも指導者ガチャ・環境ガチャ・タイミングガチャなどを一つでも外すと全く日の目を見ずに業界を去っている例も枚挙にいとまがないだろう。
スマホゲーム業界では違法とされているコンプリートガチャなのだが、ほかの分野には類似の構造として存在する例は多々ある。
さらに最強系コンプリートガチャをクリアしても、得られるものはそんなにないか、少しの期間しか続かない、ということすらある。さて、そんなバクチ系の業界で実際に「外す」とどうなるんだろうか?
個人的な経験では、私が博士論文で取り組んでいた物性物理の合成研究は、バクチ要素が高く、この図の表現からすると、まさに黄色であらわされるような類の研究であった。実際最初の2年くらいでやっていたもののひとつは、ある程度の成果が出たものの、「再現性が取れない」ということで中止になった。要は2年くらい取り組んでいた研究に関しては事実上の「成果ゼロ」となった。成果的に見れば2年が無駄になった。これで卒業も伸びたのは言うまでもない。よって私の場合には、卒業が伸びた。というのが外した結果であった。卒業が伸びた程度なら、まだマシなほうなんだだろう。ほかの分野だと生活もままならなくなったという例も聞くように思う。
スポーツやアートだとさらに激しいことがある様子である。
強いセーフティーネット・保険・Bプランの重要性
そんな外したらもうどうなるかわからない、どん底まっしぐらになりそうな業界は、多くある。しかしそれでもそういうエリアで「夢」を追いたいのであれば、いい滑り止めをセットすることが望ましい。
いくら縁日で「どうしてもくじ引きを当てたい!」からといって全財産をくじ引きに使ってしまったら、電車賃も使ってしまって帰れなくなったり、ご飯も買えないとかが起きる。
宝くじ売り場の店員にニッコリスマイルをする練習を積んだり、お百度参りを何日を繰り返してゲンを担ぎまくり「自分は当てる!」という確信があったとしても、もし全財産を使ってしまって外してしまったら、立ちいかないだろう。
「スポーツの練習やアートと宝くじは違う!」よくわかる。私もアスリートなのでね。しかしながら、自分の才能と練習ではどうにもならないことが世の中にはいろいろあるし、こういうエリアはそれらの影響も残念ながら無視できない。パワハラ問題とか見ていたらわかるでしょう。あんなのもう未来予知でもできない限り、避けようがない。
まさに万が一の対策も「やらなきゃ意味ないよ」。
こういった話は、キャリアの長期化が進み、時代の動きが読みにくい世界では、他の選択肢、オプションやBプランが多い方が強いという話は、こういう本にも書いてある。
また、いいセーフティネットを掛けるほうが、起業などもうまく行きやすいという話もある。実際に有名な起業家も、成功するまでに大学を休学していたり、本業の社員を継続していた例も多いようである。
ポーカーや投資でも「バンクロール・マネジメント」とか言うように、人生でも一つだけに集中せず、ポートフォリオ的に組み立てたほうが健全な印象である。
例えば、研究の分野でスパンがかなり長いものでかつ分野の移動が難しいものに、生物系の研究がある。生物系の研究では、準備にも相当に時間がかかり、成果も当たるかどうかがわかるまでもスパンも長く、他分野へ動くのも難しい傾向があるようである。ただ、実際のところ生物系の研究の多くは、医学部卒でも出来ることが多い。
では、医学部を卒業し、医師免許を取ってから、研究を目指すのはどうだろうか?この場合「最悪でも医者」という滑り止めが存在する。実際にノーベル医学・生理学賞でもこういう人は多いだろう。さらに勉強した知識自体も直接研究にも生かすことができる。
この「最悪でも医者」というのは、2018年なりたい職業女子1位が最低ラインとして保障されていることになる。
2018年版 小学6年生の「将来就きたい職業」、親の「就かせたい職業」1位は男の子「スポーツ選手」、女の子「医師」
ちなみに、結果として「最悪でも医者」という状態になった人は歴史的にもちらほら見かける。
手塚治虫(漫画家)は 「後に手塚は自伝『ぼくはマンガ家』の中で、「そこで、いまでも本業は医者で、副業は漫画なのだが、誰も妙な顔をして、この事実を認めてくれないのである」と述べている[39]。https://ja.wikipedia.org/wiki/手塚治虫」
作家として知られる森鴎外(作家)も医者として仕事をしていた。
最近だと機械学習で人工知能のアルゴリズムの研究者をしていた場合には、「Google, Amazon, Facebook Apple (GAFA)からの強い引き」というものが使える様子。むしろ積極的に移る例も増えた。
なお、業界やエリアや状況によっても、付加価値としてのスキルの付き方が変わってくる。
私の場合は、海外の有力大学のPhysics Ph.D. ということで「グローバル企業のIT、金融、コンサルからの強い引き」というものが存在した。これがセーフティネットの役割となった。(取り下げているのに、いまだに週に10件ほどは世界中から勧誘のメールが来る。断ってもまだ来る。)
大学院進学の際も、ケンブリッジだけでなくアメリカの大学院も交渉はしていた。それもダメであったら日本で外資系企業勤務をしている予定であった。
実際に自分で、スキルが身につくように業務を修正する人も多い。私が知る限りでも「他の分野に動きやすいように、物性のシミュレーションも自分でPythonで組んでみた。」という大学院化学専攻などもごまんといる。むしろ普通である。この人はあっさりGAFAへ就職した。
「趣味」でやっていたけど、本業の業者よりもハイスキルになってしまったという例も枚挙にいとまがない。
そしてこういう例は、そのセーフティネットを行使した場合の例はなかなか出てこない。なぜならば世間一般が考える「成功者」ではないから積極的に取材もされない。しかし表に出ないだけで結構な数に上るだろう。
こうすることで、自分の将来を心配せずに、物事に取り組む余裕が生まれ、その余裕の中で挑戦することでさらに良い成果を生む可能性が高くなる、という好循環が生まれる。スポーツ選手も、スポーツ以外のことがある程度高いレベルでできれば、だいぶ精神的にも安定するだろう。
最悪でも医者とか、最悪でもGAFA、は人によっては厳しい場合があるとしても、「最悪でも~」と似たような方法はとれないだろうか?
これに加えて、多くのバクチ系分野を目指す人たちの一つのことをひたすら追求するハイポテンシャルな力は、他の分野にも幅広く応用が利く。ただし仮に自分の中でそのハイポテンシャルを咀嚼し解釈し、他の分野に出来るのであれば。
よって、ハイポテンシャルを生かす追求する力や深める力を自分の中で消化し、他の分野に生かせるくらいには、「地頭」がよいことは前提として必要である。これは、どうやら外部から言われてできることではない様子である。そうでないとハイポテンシャルを生かすことができなくなる。
元プロスポーツ選手を引退した直後の人に対して「プロスポーツで鍛えた筋力を生かし、ガスタンクを運ぶ作業員として~」等と勧誘が行ったりするのは、おそらく周りがハイポテンシャルに気が付いていないことと、または、元プロスポーツ選手自分のハイポテンシャルをほかの分野に生かせていないから発生しているんじゃないか…?と思わず思ってしまった。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
さて、どの分野を目指すにしても、いいセーフティネットを張ったり、機会をうまく生かすには、最終的にこれに行き着くようである。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」
意味は「人はみな平等である」のように捉えられていることがある。
しかしこれは「学ぶことを勧める」ことを意味する「学問のすゝめ」という著書の冒頭であり、「人はみな平等である」では話が合わない。当然これには続きがある。
「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。
https://www.iwasaki-zaidan.org/wp-content/uploads/sites/3/2016/05/23pre_sp03_2.pdf
要は学びなさいということである。
逆説的だけれども、良い成果を出したいときは、精神の安定させて全力で取り組むために、いいセーフティネットをかけることは重要ではないか?というではある。いいセーフティネットを敷くには、ある程度学び、ある程度堅実になっていくことが結局効果的なんじゃないか?という話に行き着いた。
なお本記事は、以前書いた博士号はパスポート?Ph.D.自体の日本と諸外国の認識の違いについての中で「差が激しい分野は良いセーフティネットを敷くべき」ということを書いていたが、どうやら長かったので埋もれた感じがするので、こちらに別途記事にすることにした。