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公開日:2018年11月28日
更新日:2019年7月21日
船井情報科学振興財団 Funai Overseas Scholarship (FOS) 2013 年度生としてケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所 博士課程(PhD in Physics, Cavendish Laboratory, University of Cambridge)に留学中の篠原肇(しのはらはじめ)です。
この度、Ph.D.を取得しました。修了報告をします。前回のレポートでは、博士論文の提出について書きました。本レポートではその後の様子や、より一般的な総括をします。
博士論文の製本・提出
ケンブリッジ大学の博士論文は、審査通過後、に指摘された訂正箇所を直し、製本したものを最終提出する。この指摘のされた箇所の量で、Major CorrectionやMinor correction等の評価が分かれる。私の場合は、指摘箇所はグラフのプロットサイズと、グラフの位置をずらす、というものであったので、1日で終わった。審査員によると「歴代最小クラスの訂正箇所」とのこと。ただ、口頭試問対策中に間違い個所を見つけた私は、自ら訂正箇所を申し出るという、あまりなかったことをした。いずれにせよ、数日で終わる内容であった。
最終提出の博士論文は、表紙の色が自由に選べる。大半の人は、ワインレッドや黒にすることが多い。私は、コーフボールのユニフォームでも、思い入れのあるケンブリッジブルーにした。実際にケンブリッジブルーのユニフォームと比べてみても全く同じ色であった。
この博士論文に関連して、ちゃっかりケンブリッジ大学におけるSTEM(Science, Technology, Engneering and Mathematics)分野における、博士論文に関する助成賞であるLundgren Research Awardを受賞した。
提出後、さらに審査(といっても基本的に承認のみ)を大学の各機関が行い、全て承認になったのちに初めて、卒業式への参加権が得られる。
卒業式
ケンブリッジ大学の卒業式は、一言でいえば変わっている。卒業式自体は年に11回開催されているが、所属カレッジが参加する回でないと出席が出来ない。場合によっては学部生しか参加できないなど、様々な制約がある。よって実質年に3回ほどである。これまでに上記の審査に通らなければならない。通らなければ、次回まで延長である。私自身5月に参加しようと思ったが、ジーザスカレッジは5月の卒業式には参加しない。といわれ、参加できなかった。7月の卒業式には、どうにか参加が出来た。
卒業式では要所要所に「課金システム」が組まれていた。まずは服装である。服装は、ガウンに加えて学位によって、身に着けるフードやリボンが異なる。購入すると高いが、ご丁寧なことにレンタルシステムが確立されており、購入するよりも大分安い。いやむしろ購入したという人を聞いたことがない。ただそれでも借りる必要がある。
儀式の前に、最後の晩餐(といっても昼ご飯だが)が執り行われる。昼からワインとシャンパンを飲みまくる。ゲストは規定人数以上だと有料。その後、各カレッジから、卒業の儀式が行われるSenate Houseまで行進をする。さながら大名行列のように。Senate House内は撮影禁止である。ディズニーランドのアトラクションの記念撮影のようなデジタル印刷された写真を、会場の外のテントで販売している。数百円かと思いきや約3000円。すごい足元価格。それでもほぼ全員、というよりもむしろ全員の親が購入している。ここにアップロードしている時点で、私も、もれなく購入したことは言うまでもない。肝心の卒業証明書自体は、「え、これ、昨日インクジェットプリンタで印刷したでしょ?」っていう感じの、紙ペラ1枚であった。ファイルもヘニャヘニャで薄っぺらい。こうなると必然的にフレームを買う必要がある。フレームは約5000円。フレームもさらに、ケンブリッジ大学が提供しているものと、各カレッジが提供しているものが異なる。大学が提供しているものは、ケンブリッジ大学のエンブレムしか入っていないのに対し、カレッジのものは、カレッジの紋章も入っている。こうなると、後者のものを購入する人が必然的に増える。私もそうした。なんとも商売のうまい大学であること。
この「ハンドをどうにかした。」というのが重要らしい。実際に学位記にもそう記されている。卒業式についてはこちらの記事に詳しく記したので、参照いただきたい。
卒業後について・日本での就職の難しさ
さて、博士号取得後の進路である。結局、日本で外資系のコンサルタントになった。就職に関して、諸外国と、日本の就職の違いについて目の当たりにすることになったのでまとめておく。元々は私は、日本で就職する気は全くなかった。活動開始として、LinkedinのステータスをActiveにし、ヘッドハンティングサイトへCVをアップロードした。世界中の企業のリクルーターやヘッドハンターから「うちに興味はないか?」と連絡があった。英語の能力について、どうこういわれることはないどころか、そもそもやり取りがすべて英語である。副業も業務時間外なら禁止する理由がないとのことであった。
しかしながら、数年前から提唱していた「ベンチャースポーツ」が、一般社団法人を設立・起業し、代表理事・会長に就任することになり、日本でのメディアや企業とのやり取りが増えてきたため、本業も日本で探す必要が出てきた。
知る限りでは、いかなる犠牲を払ってでも研究者になりたい!という、研究が無いのであれば人生ではない、と考えるタイプ以外の人材は、世界でもアカデミア以外に進むことが多い。中でもIT・金融・コンサル分野へかなり進んでいて、むしろマジョリティである。さらに日本では、ノーベル賞受賞者なども口をそろえて言うように、研究環境、特に若手の環境がよろしくないことが周知の事実となっている。私の体質的に、そこまでして研究に固執する気もなかったので、民間就職を考えた。
日本では、博士号取得者に対する風当たりが諸外国(欧米・シンガポール・香港を指すことにする)と比べても異常に強い話は、聞いていた。しかし最近では改革が進んでいるらしいし、大丈夫だろう。と思ってはいたが、想像以上であった。本質的な部分ではなく、TOEICの点数やSPI試験など、少しでも考えれば、受けているはずもないことを聞かれた。海外と頻繁にやり取りをするポジションですら、”Do you have Rirekisho and Shokumukeirekisho? English CV is not acceptable. ”という、冗談としか思えないようなことを言われることもあったが、いたって真面目なようである。
Ph.D. 過程は、諸外国では研究者としての労働経験として扱われる一方で、日本では学生扱いである。要するに働いたことがない扱いである。これに関連して、日本では重要なファクターが「社会人経験」である。聞いている限り、日本の正社員経験を指すようだ。だが、社会人経験について具体的に何か?と質問したところで、まともな返答が返ってくることはなかった。そして社会人経験が無い人は、新卒扱いになる。博士新卒とかいう単語まである。ちなみに博士新卒の待遇だと、当船井財団の待遇よりも実質下がることもある。副業規定も相当に厳しい。日本では、最近では副業解禁の風潮になってきた。しかしながら風潮になってきただけで、実際に副業を解禁している企業は非常に少ない。副業自体は問題が無かったとしても、副業の形態に制限があったりすることもあった。例えば、業務委託やアルバイトは問題が無いものの、代表理事や代表取締役だと引っかかるなど、いろいろである。
結局、海外博士+副業必須+都内近郊という、結構難易度の高いゲームの縛りプレイをすることになった。
Ph.D. 取得後のキャリアとして、外資系コンサルタント兼一般社団法人代表理事としてデュアルキャリアを進んでいくことにした。誤解が無いように説明しておくと、私は、海外博士号かつ副業が必須で、日本での就職という制限がかかったために苦しんだだけであって、海外トップ校で特に幅が利く分野での博士号をとれば、門戸は世界各国で開かれている。
一方、日本では「海外流出が止まらない」という話は聞くが、もうこれは当然だろう。上記のような対応をされたら、日本人であったとしても、「日本は、これならもういいや。」と思うのが自然ではないだろうか?流出というよりも、むしろ追い出している。日本が世界に通用する人材を引き付けたいのであれば、それ相応の対応をするべきであろう。
国や文化に依らず、多くの分野で独立して実績を上げるには?
私は、博士課程の間、博士論文に直接関係する事柄以外にも取り組んでいる。そして表彰やインタビュー記事になるなど、一定の成果が上がっている。本質を追求する物理学の博士号ということで、私が今までのレポートで散々書いてきた具体的なことではなく、より一般的に役に立てることができるような視点をまとめていきたい。なお、よく言われている意見が多いと思うので、参考程度にご利用いただければ幸いである。
一芸に秀でるものは多芸に通ずというが、博士号の本質はこれである気がする。「何故だろう?どうやればいいんだろうか?」と興味をもって、追求することで、フロンティアを広げていくことができる。国や分野を問わずに成果を出すにはどうしたらよいか?「何が起きていて、何が必要で、どのようにすればいいか?」を日々真剣に考えることに尽きるだろう。真剣にやると、他にも応用が利く。必要があれば、知り合いや友人の専門家に質問してみればいい。
しかし、この質問の仕方が、相当重要である。何もしていないから、とりあえず聞くのではなく、自分なりに入門を含めた専門書を数冊読み、それらを踏まえた自分なりの結論やプロトタイプを用意した状態で、その道の専門家に聞くのがよい。そういった場合には、今までの経歴や実績、教養の幅と深さが如実に効いてくる。その過程で今までに経験したことがないスキルが必要な場合、自分で学び習得すればいい。
どうしても難しければ、得意な友人に依頼してもいいだろう。興味を持った全事柄に対して、このスタンスで取り組めば、意外と成果は上がるものである。その際に注目するものは、年齢でも性別でも国籍でもなく、本人の実力のみ。ケンブリッジは、これを行うのに適した環境であった。世界レベルの人材が集まっている。友人でもそのレベルの人が多く、チャットとかですぐやり取りができる。日々異分野対談をしていた状態である。これによってなんだか相手の技量を見抜く能力も自然と身についてきたように感じる。
ただ逆説的に、自分の興味を追求していたら、一定の成果が上がってしまったり、表彰されてしまっただけであって、成果を上げたい、表彰されたいがために、物事を追及していたわけではないことを付け加えておきたい。もちろん実績や受賞歴は、対外交渉において便利であるが、本質的には、何事にも、興味の追求である。
外国・アウェイの状態でやっていくには?
海外で何かを行う場合には、なんといってもアウェイである。場合によっては人種差別と思われる雰囲気を感じることもある。相手にされないときは相手にされない。もはや、いないものとして扱われる。意図的に無視。しかし、一度何かしらの事柄で「あいつ、凄い」と思われると、潮目が変わってくる
自然科学系の研究は、文化の影響を受ける社会科学的な研究と比べると比較的マシだが、それでも「表現が変で分かりづらい」だとか、本質とは離れた、どうでもいいところで批判を受ける。逆にいうと、要するにそれくらいでもして、どんな手を使ってでも負けたくないのだろう。よって言語を使うと、やはりハンディを感じるので、しゃべらなくても見てわかるものが効果的である。その典型は、音楽やスポーツに代表されるワザである。私の博士課程の分野の場合は、実験能力というのもある。
そもそも人種をはじめとする差別的な要素が出てくるのは、同じ土俵の上で、同レベルで競い合うからである。誰が見ても明らかに次元が違うレベルであれば、誰も攻撃なんてしてこない。出過ぎた杭は誰も打てない。むしろチームメイトとして崇められる。さらに、やられたからと言って、やり返しては元も子もない。差別してきていた人が差別をしなくなってきたのであれば、暗にあなたの実力を認めたことである。あなたの勝ちである。余裕をもって構えていればいい。そのままやっていると、キャプテンに推薦されたり、代表者として何かをやってほしいと依頼を受けたりと、信頼が積み重なっているはずである。こうなれば、もう日本よりも都合もいいかもしれない。ちなみにそうなると、余計に話しかけてくれるようになり、生活の質も語学力も向上する。
ステレオタイプを打ち破る
人間には先入観があるので、ステレオタイプ、日本人の場合は、たいてい、良い面では手先が器用、数学が得意、写真をよく取る、穏やかなどがあり、悪い面では、チビ、英語がダメ、運動もダメ、常にぺこぺこしている、等が一般的でしょう。日本人にしては身体能力があることや、ドイツ語とスペイン語のちょっとした会話程度ならできることや、欧州の文学についてある程度知っていただけで、だいぶ得をした。こいつ、ただものじゃない、と勝手に勘違いをしていただけることが増えた。
上手く行ったら運が良かった/周りのおかげと思い、失敗したら自分の実力だと受け止めて、原因を解明する。勝負は時の運、運も実力のうち、というように、人生何事にも運が必要になる。ポーカーのハンドや誤動作確率のように統計的に調べることができれば、どれくらいが運で、どれくらいが実力かなどが分かるだろう。しかしながら、人生で、そこまでひとつのことに対して試行回数を増やすことは現実的ではない。よって、取り組んだ事象の成否に対し、どのくらいが運で、どのくらいが実力か、さらに実力のうち、どのくらいが自分の能力のもので、どのくらいが周囲からのサポートかどうかは、正確には分からない。
では、継続的に持続する場合にはどうすればよいだろうか?現在の私の考えでは、上手くいった場合には「俺の実力」と思わず、「運がよかった」、「あの人の助言が役立った」等と考え、うまくいかなかった場合には、「自分の実力不足であった」を考え、改善点を模索し次に生かすのがいいだろう。もちろん往々にして例外はあるので、基本スタンスとしてはこのような感じである。
良い滑り止めを用意する。セーフティーネットの確保
無謀な挑戦、退路を断つ、リスクを取りまくる、というのは一見すると格好がよく見えるのかもしれない。メディアもそういう意見をよく取り上げている。火事場のバカ力の人もいるかとは思うが、良いセーフティネットがある方が起業も成功しやすいという研究成果まである。ノーベル賞の人たちも「いざとなれば開業医をやればいい」という医師免許による滑り止めが指針的余裕を生んだことを話している。
「貧すれば鈍ずる」ということわざにもあるように、精神的に余裕がないと、何事も手が付かない。心理学的にも、安全な方がとがったものが出てくるという報告もあるようですので。「いざとなったら超高級安定職には簡単につける」「不労所得で生きていける・普通の生活をしていれば、死ぬまで使い切れないレベルの資産がある」という強力なセーフティネットを確保できる状況をつくり出したほうが、創造性もパフォーマンスも上がるんじゃないだろうか?ポートフォリオを組んでいくというのでもいいだろう。興味レベルはまあまあだが、手っ取り早く収益化できるものと、興味はあるが、儲からない分野などを組み合わせていけば、安定感が出る。
私自身、前回のレポートで触れたように、最後の最後で無給期間が出来た。船井情報科学振興財団のおかげで、無給になっても耐えられる状況ではあったが、その際は、有給の際よりも、銀行口座を気にする頻度が上がったように思う。しかしそれでもブログ等の副収入で、どうにか精神的な余裕を得ることもできた。ポジショントーク的だが、Ph.D.も、このような目的でも使えるといいね。
多分野において実績を上げる秘訣をざっくり要約すると、「本質をつかむことができ、よく学習ができ、スキルがあり、人格がよく、精神的にも余裕があり、金銭的にも恵まれていれば、どのような国や分野でもうまくいく可能性が高い」という、至極当たり前の結論になってしまった。逆にいうと、当たり前のことがごく当たり前にできる、ということが最も重要であるようである。
総括
船井情報科学振興財団に奨学生として採択いただいたのは、2012年の11月のことである。早いもので、既に本報告書の執筆は2018年10月。丸6年の歳月が過ぎた。Ph.D.コースへは、インダクションから博士論文の審査・最終提出までに4年6ヶ月であった。奨学生内定直後に故・船井哲良前理事長が、彼の部屋で「魂を込めて本気でやれ」「人生は失敗の数で戦う」とおっしゃっていたことを今でも鮮明に覚えている。
このこともあって、「半年ごとに提出する奨学生レポートにすべて書き出せば、また半年後には、また成果を上げないと書くことがなくなるから頑張るだろう」と考え、書き出すようになったところが大きい。そもそも、いろいろな依頼をいただくきっかけになったブログを書き始めたのも、奨学生レポートで実名で公開をすることの抵抗が劇的に下がったためである。
船井情報科学振興財団の奨学生として様々なことに取り組んだ結果、世の中は「二兎追うものは一兎も得ず」ではなく、「二兎追うと三、四兎目は勝手についてくる」世の中だと感じている。今後とも船井情報科学振興財団に支援していただいた貴重な経験を元に、多分野で成果を残し、日本と世界の公益に貢献できるよう、日々精進していきたい。
末櫃ながら、大変長い間、船井情報科学振興財団にはお世話になりました。大変ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
https://www.funaifoundation.jp/scholarship/grantee_shinohara_hajime.html
https://www.funaifoundation.jp/scholarship/phdreport_shinoharahajime201810.pdf