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公開日:2020年9月19日
更新日:2020年9月20日
学校を卒業し、就職をする際には恐怖を覚えることも多いようである。私も就職の際には、並々ならぬ恐怖心があった。PhDで留学するよりも怖かったように思う。
留学前の当時は当時で、4年も海外に行くのであれば、日本の社会からはもういない扱いになるのか・・・。と考えていた時期もある。場合によってはもう帰らないかもしれない。
しかし就職には、それ以上の恐ろしさがあった。具体的に特に何が怖かったかを改めてよく考えれば、以下の3つだろうか。
「個」を失う恐怖
分野変更による勉強や経験の無駄・企業の仕事はつまらない
長時間労働
まず就職して組織の一員となることで、公的には個人の人格が消える扱いとなる。どこにいるのかも認識されない。個の世界と言われる中で、これは致命傷に近い。そして仕事をしても実績が自分のものにならず、組織のものになり、自分はただ体験と収入のために日々の時間を交換していくだけの存在になる。自分自身に実績が紐づくこともない。
次に分野を変更することに関して、今までの専門での勉強や研究が無駄になるのではないか?と多少は感じた。ついでに公開していない成果もある。なんだか無駄が多く見える。同様に「企業の仕事はつまらない」という話もよく聞いていた。
長時間労働は出来ない。そしてこれが最大の問題であった。終電くらいまでならいいが、タクシー帰りや徹夜はまず無理である。徹夜をしたことは夜通しのパーティ以外では未だに一度もない。最長で夜中2時までが限界であった。日本の大学では「徹夜!徹夜!」言っている人がいたが、強要されても無理なものは無理であった。少なくとも知る限りではPhDを積極的に採用するような業界は国際機関か、激務傾向として知られる業界が多かった。
大げさに言えば「今までの努力も無駄になり、何の実績にもならないつまらない仕事を、長時間労働で倒れるまで行わなければならないのか。」そんな風に思っていた。
実際は・・・?
さて実際はどうだったのか。
個人について
まず企業に就職したとしても個が消えることはなかった。実際には携帯するものが大学の学生証から企業の社員証に変わって、オフィスと業務内容が変わっただけ、という印象である。幸い仕事でも名前が出ているために紐づきやすい。これについては業種に大きく依存すると予想している。
それ以外でも、基本的には以前と変わらなかった。そもそもこのブログも実名で継続している。副業も認められているので(私が入社する際に副業可を追加していただけた)、団体を立ち上げたり、エストニアにも法人を作ってみたり、メディアからもインタビューを受けたり、日経新聞にも記事が載ったりと結構好き放題している。唯一の違いとすれば、次の一文を足したことだろうか。
「このサイトの掲載内容は私自身の見解であり、必ずしも所属団体の立場、戦略、意見を代表するものではありません。」
足しなさいとガイドラインに書かれているので。
分野の変更
分野を変更すると、今までやってきたことが無駄になり苦労して研究や実験をした経験や専門知識は無駄になってしまうと考えがちであるが、実際これは意外とそうでもないことに気付く。これは研究室を変えたり、様々なことにも取り組んできた経験からも、決して無駄にはならないことが体感としてあった。そしてこれは就職でも同様であった。
知識だけなら数ヶ月もすればそれなりにはなる。むしろ同じ分野にいる人々と比較して、得体のしれない視点を持っている状態になることもある。大学院にいる際には気が付きもしなかったが、個人的には、数学や抽象思考にやたら強いことが分かり、逆に重宝されてしまうこともあった。使っていない知識経験とすれば、分野固有の特殊な知識や技能くらいだろうか。物性の原子量やガスバーナー・液体窒素の取り扱い等である。ついでにイギリスにいた時は感じもしなかったが、一般的な日本人と比較すると英語も相当に堪能な様子である。
場合によっては、分野を変更することを、今までの自分の全否定だと捉える人もいるのではないだろうか。例えば同じ分野をずっとやってきた人からすれば、始めて分野を変えることは、今までの自我の大部分を捨てることに近い感覚になるのだろう。同じ大学の同じ分野の同じ研究で博士・教員まで行った人や、生まれてからひとつのスポーツだけをやってきた人などには、この傾向が強いように思われる。早いうちに「変える」という経験が必要なのかもしれない。
これに関してはいくつか有名な文言がある。
アインシュタイン:教育とは学校で学んだことをすべて忘れた後に残るものである
オランダ語を辞めて英語を勉強し始めた福沢諭吉も似たようなことを書いていたようである。
「結局、最初私たちが蘭学を捨てて英学に移ろうとするときに、『これは数年の勉強の結果を空しくすることで、生涯二度の艱難辛苦だ』と思ったのは大間違いの話で、実際を見ればオランダ語といい英語といっても等しく外国語にして、その文法もほぼ同じであったので、蘭書を読む力は自然と英書にも適用されて、決して無駄ではなかった。」
オランダ語を捨てて英語を始めるのは今までの行いは無駄でまた初めからやるのでは苦痛だと思っていたけれど、オランダ語と英語には共通する部分が多く、学んだことは決して無駄にならなかった。この際も「英語がオランダ語に訳されたものを読むから問題ない」等と正当化する人も多かったらしい。
逆にそもそも今までの「専門」を全く捨てずにやっていくという意味では、多くの日本人は最初に身に着ける「専門性」は受験勉強ではないか。中学校・高校・大学受験をずっとやってきているなら、大学に入学直後から塾でバイトを真剣に行い塾講師・予備校講師になるのが最も「効率がいい」気がするがその選択肢を取る人は多くない。そういう意味では多くの人は専門をすでに変えているのではないだろうか。
長時間労働
最大の難関、長時間労働である。長時間労働でも、終電前に帰れるのであればそこまで問題ではない。だがタクシー帰りなんてまず無理である。
恐怖や後ろ向きで気が進まない状態で面接を受けると、おそらく印象もよくないのだろう。さらっと落ちることもあったし、それでも選考が進むことも結構あった。ただ激務で知られているような業界や企業の面接を受け、選考が進んでしまったときは、嬉しいというよりも「本当に耐えられるんだろうか?」という心配が主な関心事であった。客観的に考えると、この時点でここを受けるべきではない。また激務で知られる業界の面接で「長時間労働はできません。どんなことがあっても7時間は寝たい。」と言った瞬間に面接官のやる気が一気に冷めたのを感じ取り、即座に落とされた例などもある。
結局「どんなことがあっても7時間は寝たい。」といっても、採用されたところに就職した。
そして就職してからは、下手をするとSAPIXの小学生や、部活の中高生よりも家に着くのも早くなったかもしれない。
実験の関係で夜に行わなければならないこともある博士課程の際や、むしろ博士課程に出願する際のTOEFLもやりながらの生活の方が「激務」であった感じすらする。
その他
日本で就職したらあくまで日本支社なので植民地のようなもの、というのはよく言われる。よって私のグローバルなキャリアは終了したと思っていた。
しかし1年目から1年の1/3程度は海外出張という生活になり、全くそんなことはなかった。大学院生の時と比べると、海外から実験を遠隔システムTeam Viewerで確認をする必要がなくなったこと、飛行機やホテルが大学院生の時よりも良くなったくらいだろうか。(日本で就職した理由のひとつであるスポーツ団体は、コロナの影響もあって更に難航している。やはり人間万事塞翁が馬である。)
一部周りの体験談も交えると、物性分野で研究職に就いた友人によると「同じことをやっているのに、年収だけ3倍になった。」だとか、エンジニアでは「似たようなコード書いているのに年収が4倍になった。」のような話であった。
就職して激しく後悔した、という話はあまり聞かないが、どうしても研究がいいという人は、企業を辞めて研究のポジションに応募していたりなどもするのだろう。実際に修士で就職して辞めて博士に進学という例は時たま耳にする。
総じて大学院生や無職の時には、コーヒーを自分で買い、総じて何かを調べ、何かを考え何かを書いていた。一方で就職してからは、オフィスのコーヒーを飲み、何かを調べ何かを書いていた。個人的には同じことをやっているのに、収入が大幅にプラスになった。はじめての会社員
唯一劇的に変わったこととすれば、イベントのゲストにダライ・ラマがいらっしゃったり、講演のゲストがビル・ゲイツが来たり、ディナーの席で隣にある国の環境大臣が座っていたり、ホーキングが廊下を電動車椅子で移動していたりするような環境ではなくなった。しかしこれはむしろケンブリッジ大学が特殊だっただけのように思う。
恐怖心を持つ原因について
未知なものに対する初めての行動は不安を持つものである。しかし就職・転職に対する恐怖は、この不安だけではないように思われる。この原因は何なのだろうか。おそらく入ってくる情報の偏りによる部分が大きい。
メディア・ドラマ・マンガ
まずはメディアである。メディアは基本的にイレギュラーを報道する。地震や津波は大ニュースになるが、「今年は地震が起きませんでした。津波が来ませんでした。」なんていうニュースはまずない。よってイレギュラーの失敗や事件ばかりが印象に残る。特にスポーツや音楽などトップだけが多くを得られる宝くじ型のものは、トップだけを代表として報道する。よって「日本人が世界大会で優勝!」は報道するが、「日本人がアジア大会でコテンパンにやられて壊滅。。。」はなかなか取り上げられない。
そして視聴者の数字が取れるような配慮をする。実際に私も何度か出演や撮影協力をしているが、その際のディレクターの方々の方針を伺うと、視聴者が優越感を得られるように取材をするであるとかもあるようである。こうなると真実はなかなか目にされないことになる。
ドラマやアニメも誇張した状態がストーリーとして描かれることになる。「エリートが順風満帆にうまくいった話」や「主人公が挫折を乗り越えずに成長していかない話」ではなんだかもう見るに堪えないだろう。何のハプニングも起きないのでは、話が展開されていかない。
ブラック企業ばかりが話題に
イレギュラーばかり放送されることと同様の理由で、企業が話題になる場合には、企業での粉飾やパワハラで自殺した話等ばかりが表に出てくる。有名な組織であればあるほどニュース性が高い。
特に日本で強いの僻み・嫉妬文化では上手くいっている部分は余計に表に出てきづらい。「今年もホワイト企業は相変わらずホワイト!入社されるのは高学歴ばかり!」なんてニュース性が無いし、需要もないのでチャンネルを変えられてしまう。結果として、悪い話ばかりが外に出てくる状態になる。
大学の価値観
大学側で接する人材は主に大学教員であることが多い。特に大学院以上はこの傾向が強い。別記事にも書いたが「就職は裏切り者」と公言するような教員もいる。裏切り者?なぜ大学院・博士課程やアカデミアは歪んでいるのか?
よく考えると大学を卒業した後、外へ全く出たことが無い人も多い。一部の産学連携を多くやっている分野などを除き、大学教員の大半は、企業等での経験が無い。よって今までに説明してきた状態を、伝聞して再生産している可能性も高い。
一部は待遇面ではアカデミアは悪くなりがちだが、それでもこちらが良いという理由で、あえて大学で勤務している人が多い傾向にある。こうなると意識的にも無意識にも企業で働くことを下に見る傾向や「企業の仕事はつまらない」という発言が出てくるのは自然ではある。
大学生に、就職の時点でこういう無意識レベルでのネガティブキャンペーンが常に入ってくる状態になったら、どうなるだろうか?自然と大学以外の組織で働くことに恐怖が出てこないだろうか?
個人的な経験
インターンシップや実習等でいくつかの職業体験・研修をしていた。中には、典型的な年功序列の日系企業でのインターンシップ、下町ロケットに出てきそうな町工場で二週間働くなんてこともやった他にも外資系投資銀行等々。
日系企業は「上司の言うことは絶対!」と、反対意見を言えずに簡単に方針が変わってしまい、今までの努力がほぼ水の泡で「最終週は徹夜でもいいから気合で頑張ろう」という指示になったり、明らかに論理的でない方法が出てきたりなど。(研究所なんですけど・・・)
町工場の研修では「勉強なんかして何になるの?(笑)」とか「日本も戦争をすれば町工場は儲かる!」と真顔で言われたり。参考:とある町工場にて- 世界の分断の狭間で
外資系投資銀行では「収益が下がったら、自分たちの給料が減るのは嫌だから、クビにして人を減らすしかないよね。次は誰かな。」と社員に真顔で言われ、学生が引きつっていたり。
とあるゲーム会社では「いかにユーザーにお金を使わせて巻き上げるかが肝心」と発言されてぎょっとしたりなど。
ハカセシンソツとかいう単語まであるではないか。そしてそのハカセシンソツ初任給は大学院の奨学金より安かったりする。海外と日本の就職活動の歴然とした差を実感。海外大博士から見た就職活動
行った先が極端だっただけな気もするが、働くとはこういうことなのか、と少し諦めを感じていたところである。
海外博士取得者向け
体験した限りでは、日本に戻ったからといって、海外学位が無駄になることはない。外資(欧米資本)の場合は特に。海外・本社案件にも積極的に参画できるようになったり、昇進も早い(気がする)。
おそらく博士が無用の長物扱いを受けるのは日本の伝統社会位で、他の国とのやり取りでは、欧米でも途上国でも、私がPhD持ちだと知ると、明らかに態度が変わって居直ったり、メールの文面が丁寧になった。ソフト面以外にも、実効的にビザも取りやすくなるなど、なんだかんだで得することは多い。
私が体験した限りでは、日本の仕組みとして、特に伝統的日本組織の場合には、重視されるものはスキルや能力ではなく「日本のどこの大学の学部を卒業したか?」と年次・年齢が重視される傾向にある。資格もTOEICくらいだろうか。年功序列社会には(少なくとも年少の損をする際には)近寄らないほうがいいかもしれない。
逆に言えば、消去法と利害関係の一致で選択肢として残るのが外銀・外コン・ITになっている印象である。なぜ理系で外資銀行・コンサル・ITへ就職するのか?
この辺りは博士号取得直後の船井情報科学振興財団レポートに記したので、こちらを参考いただければ幸いである。船井情報科学振興財団レポート篠原肇2018年7月
終わりに
就職する前は、企業で働くことには並々ならぬ恐怖を覚えていたが、実際に就職してみたところそんなことはなかった。この恐怖心の原因はいろいろあるように思われるが、多くは環境的な一種の洗脳と、思い込みの面が多いように見受けられる。これから進路を決定し、特に企業に就職する人に、少しでも参考になれば幸いである。