
公開日:2016年11月12日
更新日:2020年9月19日
イギリスのEU離脱の国民投票や、アメリカ大統領選挙のドナルドトランプ大統領誕生の結果の共通点のひとつとして「アンチグローバリズム」があると言われています。
アンチ・グローバリズムの立場から見た、「トランプ新大統領誕生」まで – Togetterまとめ
Listening:<米国トランプ現象・英国EU離脱>グローバル化、疲れた世界 歴史学者・トッド氏に聞く – 毎日新聞
「トランプ大統領」誕生の先に何が起こるのか? (1/8ページ):nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
今回起きた舞台は、いわばグローバル社会の中心ともいえる英語圏の二大国家、イギリスとアメリカで起きました。
しかしながら、日本も同じような状況が、近いうちに起こる、いや現に起こっているのではないかという経験をしたので、ここに紹介しておきます。
なお、実話のようですし、だいぶ経験には基づいていますが、なんだかんだ記憶を頼りにしているので、フィクションだと思ってください。
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今から約数年前、リーマンショック前後。私が日本の大学の学部生であった時「学外実習」という科目を履修した。
この科目は、夏季休暇期間中に大学と提携する企業で2週間ほど実習に参加するというものであった。参加先の企業もいわゆる大企業のものと、町工場のような地域に根差した企業から好きなものを選択できるものであった。
単位は十分すぎるほど足りていたので、履修する必要はなかったが、興味と様々な経験を積もうと考えた私は、とある町工場を選択し、実習に参加することにした。
外観イメージはこんな感じ。
二週間で工場内の様々な部署を体験していく形式だった。ちょっとしたエクセルを使った作業から、梱包などのいわゆる肉体労働までなんでも行った。その際に、多くの人と話す機会があった。細かい順序は忘れたが、エピソードをかいつまんで説明する。
まず、応対や雰囲気は、特にこれと言って特筆事項を感じることはなかった。行動としてソーシャルゲームと呼ばれるような課金の携帯ゲームをやっている人が多かった印象。タバコも男性社員は8割方吸っていた。
大学でタバコを吸っている人は多少はいたものの、そんなには見かけなかったこと、ソーシャルゲームで課金している人どころか、やっている人自体を聞いたことのもなかったので、少々目新しい環境を見たように感じたのを覚えている。
まず、作業中に社員Aがこんなことを言っていた。
社員A「ところで、君みたいな”お勉強”ばかりしてきた慶應のおぼっちゃまの実習を受け入れるのに、うちの会社は大学からいくらお金をもらっているの?」
私「どうなんでしょう?すいません、わかりません。」
これに対して、実習に登録した旨を、大学の友人と話していた際には、
友人「え、そんな工場の実習?アルバイト代出るの?」
実際にはこれは、大学の単位は出るものの、無給であった。大学が謝礼を払っているかは不明である。この時点で真向からかみ合っていない様子である。
休憩中に、イラク戦争の話がラジオを流れていた。その際に社員さんが、だいぶ真面目な調子で私にこんな話をした。
社員B「私ね、日本も、もっと戦争とか軍事に力入れてもいいと思うんだよね。そうすれば私たちの会社もいっぱい注文が入るでしょ?そうすれば儲かるじゃない。」
私は、ちょっとびっくりしたが、こう返した。
私「戦争するということは、殺しあって、人が死ぬわけですよね…?」
社員B「工場の私たちが行くわけじゃないからいいでしょ。」
戦争をもっとやったほうがいい、という意見を聞いたのは、非常に新鮮であった。もしかしたら初めてだったかもしれない。
当時の私は、アメリカの大学院への出願へ向け、TOEFL iBTの対策をしていた。(この工場実習は9-17時で終了したため、その後大学の図書館に寄り、9時ごろまで英語のテスト勉強をする生活を送っていた。このため、荷物にTOEFLの教材を持っていた。
確か昼休憩の食事中に、社員の方が、興味本位で私に聞いてきた。
社員C「ねえ、普段はどんな”お勉強”をしているの?」
私「物理・工学専攻なので、材料とか光とか、システムですかね。あとは、卒業したらアメリカの大学院に行こうと思っているので、英語もやってます。実習の後にも毎日図書館寄ってます。」
社員C「へぇー、英語ねぇ。日本に住んでたらそんなもの全く一生必要ないけどね。しかも実習中にも”お勉強”なのね。」
(私は、当時今後は確実に日本にも外国人が増えると確信していたが、今までの流れから言って説明も恐らく困難を極めるだろうから、何も言わないようにしていた。)
管理職だと思われる人は次のようなことを言っていた。
社員D「バカにしているわけじゃないんだけど、海外にまで行って大学で”お勉強”して何になるの?まあいいけど。」
私は、確か世の中はよりグローバル化が進むはずなので、英語圏での経験は生きてくるはずというような話をしたように思う。その際に、社員Eさんは少々荒立った様子でこう述べた。
社員E「何がグローバル化だ!大企業はもう俺らに仕事頼まないで、インドとか中国にばっかり頼みやがって、商売あがったりだ。いい迷惑だ。」
ざっと大体このような会話があった。全体的に「お勉強」や「グローバル」という単語に反応する方が多いように感じた。もちろん私が鼻にかけていたわけでは決してない。むしろ「そんなに『お勉強お勉強』言わなくても…。勉強できると思っていないのに。」と思っていたくらいである。
立地的にもそんなに離れていない最寄り駅が同じところでも、ここまで考え方に差があることを目の当たりにしたのは、正直驚いた。
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さて、おそらくこれは、とある町工場でのエピソードであるが、他の類似した状況の環境では同じような意見があることは容易に想像ができる。
どちらがいい、どちらが悪いとかではなく、いわゆるマスメディアでやっているニュースなどで、「一般的」として知られる意見とは、全く異なった視点があることを痛感した。その視点から見れば、合理的な判断ではあるように見受けられる。そしてそういう発想は、今まで聞く機会はなかった。
いわゆる専門家など、テレビや書籍などで積極的に発信を行っている人々は、グローバル化の恩恵を受けている側の人が多いでしょう。仮に町工場の人が何かを発信していたとしても「町工場の人の取るに足りない人の意見」などと言って、たいして取り上げなかったりしてしまうのではないだろうか。
外交史研究者細谷雄一さんのブログから引用・抜粋すると、
低所得者層や貧困層の白人男性たちは、かつての豊かな社会を創造しながら(それは必ずしも現実のものではありませんが)、現状に不満を持ち、悲惨な現状をもたらした(と彼らが標的とする)既存のエスタブリッシュメント層や、政治エリート、移民たちに攻撃の対象を設定します。
彼らが求めたのは、理性的に自らの生活の現状を漸進的に改善することはありません。怒りの感情に任せて、彼らの憎しみの対象にダメージを与えることです。それはまた、結果として、自らの生活にダメージを与えることになるのですが、彼らはそれでも構わないのです。自らの生活の質の向上よりも、憎しみの対象を傷つけることの方が、はるかに愉快だからです。
高学歴エリート、エリート大学の学生たちが悲嘆している姿は、まさにそれらの排除された人々が心から求めていたものであり、ずっと見たかった光景だったのだと思います。
とあるので、町工場の会話の中での、”お勉強”に反応する状況と、この状況とぴったり合う。
この状態で国民投票を行えば、情報を発信している側の意見とは多少なりとも異なる結果が出てくるのも自然ではある。
今回は、グローバル化が特に顕著な英語圏、イギリスとアメリカでこのようなことが起きたが、日本も近々同様のことが起きうる土壌は備えているのかもしれない、いや既に起きているかも、と改めて感じた、ひと昔の町工場の体験であった。
追記:これと関係が深そうである。低学歴の世界・社会の溝と価値観と常識の差を地元で目の当たりにした話