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公開日:2016年2月11日
更新日:2019年7月15日
このたびブログ管理人の篠原肇は、ラトビア・リガで開催されたインターナショナル・ドラフツの世界大会の1つである”Riga Open 2016″に参加しました。その模様をまとめました。
リガ・ラトビア
ラトビアは、東欧のバルト三国の1国で、人口200万人の国です。2014年から通貨もユーロに統一されています。とまあ、こういった国の基本情報その他はWikipediaにでも参照ください。
リガはその首都です。
リガ旧市街
会場は首都リガでも、町全体が世界遺産に登録されているリガ旧市街。「ヨーロッパで最も綺麗な町」にも選ばれたことがある、このお洒落な町でドラフツの世界大会は行われた。
大会期間中に観光した際の記事はこちら。本当に絵本かドラゴンクエストの町なんじゃないかと思うほどであった。
そもそもドラフツとは?
ドラフツってそもそも何?という方はこちらの記事を参照ください。
大会会場
会場は、そのリガ旧市街にある高校のイベントホール。まずはポスターがお出迎え。
参加者が100人のためデスクが50テーブル並んでいた。
大会概要
2月5日から2月7日の金・土・日で行われた。参加費は20ユーロ。オープン大会なので、クローズドな招待状が必要な大会とは違い、出場を希望すれば出場できます。ただし、国旗が関係してくるので、例えば日本では日本チェッカードラフツ協会の承認や推薦が必要になってくるかと思います。
参加者は事前登録117人で実参加は100人。大半がラトビア、リトアニア国籍。年齢は小学生からおじいさんまで老若男女幅広く。言うまでも無く、日本人は私一人。そもそも後日談だが、主催者側の一人は、参加者リストに日本人を見つけてショックを受けたそう。
ルール
ルールは7ラウンドスイス式トーナメント。(勝ち同士、負け同士の勝ち点が近いもの同士が対戦し、最終順位を決める形式)。持ち時間は60分 +30秒/手。ドラフツの大会のルールや規定についての詳細はこちら。
参加賞の粗品
ボールペンとマグネット。ボールペンは棋譜を書くのに利用しました。
マグネットは現在は研究所のオフィスの冷蔵庫に貼っています。
試合状況と結果
まず私のスペックから。
ドラフツ暦:実質3ヶ月。スマホアプリと対戦。
将棋、囲碁などの類似競技の経験:将棋はルールは知ってるけど、真面目に取り組んだ経験はなし。囲碁はルール知らない。
さてどうなったのでしょうか?日の丸を引っさげて頑張りました。
1試合目
そもそも、スマホアプリ以外でドラフツをやるのが2回目、公式戦はこれが初めて。棋譜の書き方、チェスクロックの使い方、その他諸ルールが分かるわけが無い。棋譜そもそも英語じゃ無いような言語で書いてあるし。
対戦相手は競技暦60年のオランダ人の方。レートは2000越えている、2021。(相当強い。)もはや、やる前から「実は本当に初めてなんですけど、紙の書き方とか、教えてくれませんか?」とかいいながら、はじめる。もはや試合になっていない。
案の定あっけなくボコボコにされる。なすすべが無いとはこのことだ。
そんなボコボコにされていて、「やべー、逃げたい」と思っていたときの私がこちら。
いやー、いかにも逃げたそうです。逃げたかった。
2試合目
大学生くらいに見えるリトアニア人。あれ、これいい感じじゃない?などと思っていたら、一瞬でボードを一周するように駒を取られ、ジ・エンド。彼もレートは1947だそうで。
一日目終了。うわーまだ5試合もあるのか。。。と、先が思いやられたのを覚えている。
3試合目
今大会初めての黒番(後手)。と言うか、人生初めてのアプリではなくボードでの黒番。スイス式トーナメントでは、勝ち同士、負け同士が試合をしていくため、負け続けると、相手が弱くなっていく。この試合はあまり印象に残っていない。ただそれでもまだ負ける。しかし相変わらず、時計を押し忘れたりなどのミスは連発していた。
4試合目
さらに弱くなっていく相手。確かこの辺から手ごたえを感じた。(相手おそらく中学生)。ただ、それでもまだ負ける。駒を触ったらそれを動かさないといけないというルールがあるらしく、そんなルールを知らずに触ってしまい変な手をうったりもした。
5試合目
今大会で一番印象に残っている相手。相手はラトビア人の中学生。試合早々、相手のボールペンがインクが出ずにかけなくなっていた。
心配になった私は、ボールペンは何本か持っていたので、その子にボールペンを差し出した。相手は非常に喜んでいた。周りのいすに座っていたギャラリーからも拍手のジェスチャーを頂き賞賛された。(会場静かだからなるべく音を立ててはいけない。)
スポーツマンとしては当然なことをしたまでだと思っていたのだが、意外とそうでも無いらしい。この辺についてはまた別途まとめたいと思う。
試合自体も、棋譜が書ききれなくなるまで長引いた。ほぼ互角の戦い、だったような気がした。試合は結局、一度引き分けのディールをするも、相手はまだ粘るとのこと。その後10手くらい経って、最後の最後で相手の罠にはまって負けてしまった。
ただ、「日本人が引き分けかけた」という事実に感銘を受けた人が多かったらしく、何人かから握手や記念撮影を求められた。相手からも”You are very good player!”と話しかけられ、記念撮影を求められた。
そんな彼との写真がこちら。
負けたのに、なんともすがすがしい気分であった。
これで2日目は終わり。1日目の夜に「やべー帰りてー」と感じていたのは嘘のようだった。
6試合目
既にテーブルが最弱席(テーブル番号が一番大きい席)が定位置みたいになっていた。今大会最弱王決定戦。相手もここまで全敗。多分小学生の少年。相手の打ち方が妙で、逆にかなり考えてしまう局面が多数。なんと前半、圧倒的に優勢だった。さすがにこれは勝てるでしょ!とちょっと気が抜けていたところで、私が変な手を打った。粘るも結局負ける。ただ、手ごたえは感じた。相手はおそらく公式戦初勝利だったのか、相当にうれしそうにしていた。
7試合目
相手はまたしても少年。1分5敗。6試合目同様、これはいけるんでないか?という手ごたえを感じる。でもねー、1手が遠いんだよねー。結局最後の最後に押し切られて負けました。
試合結果。100人中100位。日の丸が沈んでおります。この惨敗記録も国際試合のデータベースに登録されてしまうようです。
聞くところによると、子供たちもこの大会に出場している人は、弱い人でも数年はキャリアがあり、まあまあ強い子たちが出場していたそうです。確かに聞いた相手も5年とか言ってる人が多かった。さらにラトビアをはじめとしたドラフツが盛んな国では、ドラフツの塾や部活も盛んだそうです。
大会運営の人々からも「始めて3ヶ月であの子達と競るって言うのは、驚異的な成長ですよ。これからも頑張って!次にどこかの大会に出たら絶対勝てるよ!」とおっしゃっていただき、少し救われた気分ではある。
言ってみれば「漢字どころか、『日本語?なにそれ?』レベルの外国人が日本の将棋大会に出場しているようなもの」なので、最下位でも大目に見て欲しいところです。
まあ、それでも小学生に何連敗もきしているのは、にまぎれも無い事実ですが。
セレモニー
メダルやトロフィー賞金は、異なるカテゴリーから表彰されています。13歳以下の部、16歳以下の部、19歳以下の部、50歳以上の部、女性、そして無差別。それぞれ3位まで表彰されていました。
なるべく多くの人を表彰したいという大会の意図が見られます。
日本ドラフツ親善大使?
今回、ドラフツ自体が日本ではマイナーなため、ドラフツをプレイしている日本人がいるよ!と言う宣伝もかねて参加した私は、日の丸の旗を持って参加しました。
ポーランド人とオランダ人の方々。かなり気さくな方が多かった印象です。
チェコ人のプレイヤーVaclav Kristaさん。50歳以上の部で入賞されていました。6月12日から18日に行われるプラハでのドラフツの大会の主催者でもあります。彼は2日目の私のテーブルを見ており、惜しかったね、などと何度も声援いただき、写真撮影を求めていただきました。
チェコ人の彼に、チェコ語のドラフツの教科書を販売いただきました。
(いや、っていうかチェコ語読めないし。確かに図柄とか動かし方は、見てればなんとなく分かるけども。)
そもそも、この競技を行っている日本人どころか、ラトビアや東欧では日本人を見かけることですら初めてという人が多かった。そんな中で「日本人に会ったのは初めてだけど、とても良い人だ。敵にペン貸すだなんて。」と言っていただけたりもした。草の根ではあるものの、「親善大使業」も少しは貢献できたのではないか、と思っている。
大会の詳細などはこちらから参照できます。
海外サイト
海外サイトにおける本大会のレポートでは、日本からの出場者がいることが強調されていたり、ポータルサイトに「日本代表(HajimeShinohara)と試合した!」とアップされていたりと、彼らにとっても私の存在は印象に残ったようです。
終わりに
やはり世界大会は、世界大会です。世界の壁はどんなことでも非常に高いんですねぇ。何はともあれ、参加してよかったと思える大会でした。良かったら日本ではマイナーなこの頭脳スポーツドラフツにチャレンジしてみてはいかがでしょうか?