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公開日:2024年3月30日
更新日:2024年3月30日
皆さんは「趣味」というものをお持ちだろうか。私は、何か始める際には、全く責任もプレッシャーもない状態で、ただただ純粋に好奇心の赴くままに始めるのが常だった。新しい世界への扉を開ける高揚感、未知なることへ挑戦する胸の躍動。そんな自由な心で、目の前の世界に無我夢中で没頭する。それが趣味、だと信じていた。
しかし、いつも、いつの間にか変化が訪れる。練習や研究に費やす時間は増え、休日はもっぱらその趣味に捧げられるようになっていく。動画を見たり、論文を探したり、帰宅後や休日に没頭し、寝る間を惜しんで励む。気づけば、仕事以上に時間と労力を注いでいる自分がいた。
そうこうしているうちに、趣味の世界にどっぷりと浸かっていく。団体の場合には「もっとこうしたら良くなる」と提案したりし、気が付けば業界団体の役員になっている。肩書きが増え、同時に責任も増えていく。収入はまああまり関係ない。
国際団体の委員になったりすれば、もう国際電話をつないで、各国の委員と英語で今後の戦略を話し合う、もはや完全に仕事である。仕事もバイトのようなものではなく、本当に業界の運命がかかってくるようなものまで。
場合によっては趣味という名の「仕事」に追われる日々が始まる。締め切り、予算管理、ストレス・・・楽しいはずの趣味が、いつしか重荷になっていた。そして遂には、その趣味が完全に「第二の仕事」になっていることに気が付く。
趣味とは何か?
そもそも「趣味」とは何なのだろうか。辞書を引くと、以下のようにある。
仕事・職業としてでなく、個人が楽しみとしている事柄。
(『デジタル大辞泉』小学館)
つまり、本来の趣味とは、純粋に自分自身の楽しみのために行うもの、である。
しかし、いつの間にか、その趣味が「楽しみ」ではなく、いつの間にか「責任」や「義務」になってしまっている。これが、「趣味のジレンマ」である。情熱が高じるあまり、趣味の本質を見失ってしまっていたのかもしれない。
趣味に没頭することは悪いことではないはずである。むしろ、そこから得られる喜びや達成感は、人生を豊かにしてくれる。その情熱があまりに強すぎると、時として趣味の本来の目的を見失ってしまう。楽しむはずが、いつの間にかプレッシャーに感じてしまう。そんな経験は、きっと誰にでもあるのではないだろうか。
向き合わないことが大切かもしれない
何事にも上達には真剣に向き合うことは大切である。でも、時にはあえて向き合わないことも必要なのかもしれない。一歩引いてみる。そうすることで、趣味と健全な関係を保つことができる。時には「適度な距離感」も必要なのかもしれない。追求していく性格からは難しいかもしれないけれど。
趣味という名の情熱の炎に、時に翻弄されるのかもしれない。でも、その炎に心を燃やし、人生を豊かにするのもまた、趣味の醍醐味なのだ。大切なのは、その炎をコントロールすること。
第二第三の仕事ってなっていったら、もっと次を探していけばいいのだろうか?片手間の片手間の片手間。
さて、次は何をしようかな。