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公開日:2016年2月4日
更新日:2019年7月21日
奴隷制度などは撤廃されたものの、世界には依然として人種・国籍差別がはびこっていることはご存知のことだろう。サッカーの試合などで差別発言で話題になっている。人種差別、レイシストは酷く忌み嫌われるので、公言されることはなかなかないだろう。法律で禁止している国もあるので、公言すると逮捕される可能性もある。
ニュースなどで見るだけではあまり実感はないかもしれないが、一般的な留学や駐在などでも十分起きうることである。
21世紀にはいって久しいが、依然として残る人種差別を、事例や経験と共に対処法も交えて紹介したい。
事例
歴史的に根深い問題なので、例を出せばきりが無いが、少し最近で目立ったものを紹介したい。
地下鉄での差別発言がYoutubeにアップロードされ逮捕
酒に酔っていた52歳のこの男は、地下鉄にたまたま乗り合わせた日本人女性に対して、第二次世界大戦中にタイに流れるクウェー川で叔父が戦死したと主張。その際、叔父は拷問を受けたとしており、その犯人が女性だと怒鳴り散らしました。さらに「電車を降りろ」や「国から出て行け」などの暴言を6分間にわたってわめき散らし続けました。
動画がこちら。
‘Racist’ abuses Japanese girl on London Underground
スポーツは差別に最も厳しくなっている
フェアプレーの精神が求められるスポーツでは差別にかなり敏感です。サポーターも例外ではなく、追放もされます。
日本人が受けた差別まとめ
海外で活躍選手が多い中、やはり多いのでしょう。有名選手がひたすら語っているもののまとめです。最近だとフクシマネタが多い印象。
体験談
スポーツ選手のエピソードなどを見ても、「たかが無視されたり、からかわれただけでしょ?」程度にと思うかもしれない。実際、正直私自身も被害にあうまでは少しはそう思っていた。しかしながら、やられて気付いた。たちが悪い場合だと、体が震えだすほどである。大概やられた日は動揺し、その後集中できなくなる。
言動や行動をやられた瞬間は、なんとなく分からないことがあるが、よくよく考えると、「それって、差別だよね?」っていうのに気付くことがある。しかし、本人が「私は差別をしました。」ということは絶対に無いので、その場の雰囲気と本人の言動から予測するしかない。
ルールなどが自分にだけやたら厳しい
他の白人が何か少しグレーなことをやっていても誰も何もとがめないが、私みたいな日本人がやっていると、真っ先に「これはだめだ」等と急に厳しくなったりする。審判の判定が自分にだけ厳しかったりもした。
試合に出してくれない
スポーツをやっていて、どう考えても自分の方が上手くても、試合に出してもらえないこともあった。出さない瞬間は、普段やさしい主犯以外の白人の友人も、どこと無く目を合わせてくれなくなったり、よそよそしく感じ、「あ、これが差別ってやつなんだな・・・。」と打ちひしがれながら感じていた。
スポーツはまだ明らかに実力が目に見えるので、分かりやすいだろう。それでも起きているのである。他の政治が少しでも関係してくるものでは、表に出てこないだけでいくらでもあるのだろう。
目を合わせない・絶対に当てない
とあるセミナーで質問がある人といわれ、手を上げる。どう考えても分かりやすい位置で、ずっと手を上げていても、当てない。他の人が後から手を上げるとそちらを当てることを数回繰り返す。最後は時間なので、と区切られて結局当てられず。まるでいないかのように扱われた。偶然か必然か、周りは全員「白」かった。
とまあ、ちょっと考えただけでも、これだけ出てくるし、思い出しているだけでも心に刺さるものがあった。
ただ、この時最も申し訳無いのは、差別を受けた(と感じた)あと、疑心暗鬼になってしまいそんなそぶりは全く見せない友人のことを、差別をしてきた人々と同じ人種の人を、たとえ少しだとしても、疑いの目で見てしまうことだ。 友人は全く悪くない。こういったことが、戦争のきっかけなのか、とすらも感じてしまう。
対処法
個人的な経験に基づく対処法をまとめてみました。
短期的な対処法
短期的な方法は、残念ながらないでしょう。あるとすれば、言いがかりがつけようがないように、きっちりしておくことでしょうか。こればかりは、地震とかと同じで予測できない天災くらいに考えるほかないかもしれません。まあ、そう理解しようと思っていても、やられると、心が折れちゃうんですけどねぇ。。。一応ほかの方が書いた対処法はこちら
長期的な対処法
長期的な場合は、忍耐が必要ですが、経験上、人間性と、実力勝負に持ち込むことが出来ます。分かりやすいのでスポーツを題材にします。仮にあなたが、どんぐりの背比べほどの実力しかなかったら、戦略によっては、他の人を選んだという「理論的な裏づけ」が成立するので、相手の真意が人種差別であっても問題には出来ません。なぜなら論理的な説明が出来てしまうから。ただこれが、あなたが、もう明らかに数段実力が上田と、もはや試合に出さないわけには行かないので、出ることが出来るでしょう。仮に試合に出られなければ、「論理が成り立たない」ので、差別的だといわれると言い逃れが出来ません。
もうひとつが、人格が認められることでしょう。「人種がどうだって、あなたはあなた」と思ってくれるくらいになると、もう人種も肌の色も関係ありません。こうなるには、何か一箇所でも、一目置かれることが重要です。
地道に粘っていた結果、コーフボールクラブでは、次代キャプテンに推薦されました。結局上記短期的理由と同様に「日本人がイギリスのチームのキャプテンをやっていると不都合が出てくる」と説明し、辞退には至ったが、それでも、そのあたりから差別を感じることは無くなった。
教育など
クラスの白人を青目と茶色目で分けて差別を体験させるというもの。
クラスの生徒を青い目と茶色い目に分けて、理不尽な差別を子どもたちに実感させる実験授業。ジェーン・エリオット先生がこの授業を初めて試みたのは1968年4月のことでした。
青い目 茶色い目 ~教室は目の色で分けられた~ : これは人生観が変わる、衝撃的すぎる心理学実験 《トップ 5!》 – NAVER まとめ
差別された経験がない人はなんとも思わないだろうが、この動画、差別をされてから見ると、相当に応えるものがある。
有利に立っている側はなんとも思わない、またはちょっと得した、くらいに思うものだが、やられた側は、たまったものではないだろう。
そんななか、このプレーはとっさにこんなことができるなんて、凄すぎる。
ダニエウ・アウベス ピッチに投げ込まれたバナナを食べる
歴史的に見ても人種差別撤廃に向けて動いた偉人が様々いる。特に「強い側」にいる人が行動を起こせるというのは、すさまじい精神力を感じる。諸説あるだろうが、差別撤廃で最も有名なのは、おそらくリンカーン大統領だろう。「リンカーン」で日本語で検索しても、日本語のKindleの本は全くヒットしなかったので、最近発売されたらしい、こちらを英語版で読んだ。レビューはそのうち書いてここに挿入しておきたい。
Abraham Lincoln: The Man and The Hero (English Edition)
- 作者: Michael Klein
- 発売日: 2016/02/22
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日本人も気をつけて欲しいこと
日本人の皆さんは、差別なんてしてない、と思っている人も多いかと思います。果たしてホントでしょうか?ちょっとやっていそうな身近な例で見てみましょう。
日本国籍以外の人を呼ぶとき
さて、皆さん日本国籍以外の人を呼ぶとき、なんと呼んでいますか?
「外国人(ガイコクジン)」と呼んでいますか?
まさか「外人(ガイジン)」と言っていませんか?
残念ながらガイジンは差別用語です。
「そんな気があって呼んでいない。」と主張するそこのあなた。差別かどうかを感じるのは受け取った側の気分次第なので、どういう意図で言ったかどうかは二の次になります。なので、差別だと受け取られたら差別です。セクハラ・パワハラと同じ様なもんです。
日本語で話しかけてるのに、日本語で返さない
日本に来てつたないけども、頑張って日本語で話している外国人の返答に承諾も無く他言語(主に英語)で返したりしていませんか?これは定義によっては差別とは言わないかもしれが、多少相手に軽蔑しているととられてもおかしくありません。
親切心でもそう取られることもあるので注意が必要です。ケースバイケースではあるものの、受け取られ方は人次第なので。
例えば、どこかに旅行して頑張って英語で話していたのに、お土産屋の店員が、日本語で返してきたら、ちょっとムッとしませんか?相手はおそらく上手く英語が話せていないあなたに対する「親切心」で日本語で返してきたんだと思います。ただそれでも「お前ちゃんとしゃべれてないよ?大丈夫?」と軽蔑に感じる場合もあるのではないでしょうか?
最後に
このブログでも何度も出てきていますし、よく言われていることではありますが、相手の立場に立って深く考えることが重要なのは、おそらくこういった問題においても例外では無いのでしょう。
強くこびりついた汚れは、何回も洗わないと取れないように、この問題も世代を超えて繰り返し続けることでしか解決策は無いのでしょう。そんなときに、少しでもいいから私たちを認めてくれた人々が、少なくとも日本人としては、「日本人は凄いんだよ、だって、昔こういう人がいて~~」と次の代に伝えてくれ、次世代が理不尽な対応を受けないように、ひとりひとりが日々開拓していくことが重要なのではないでしょうか。
気をつけたいことは、いくらやられても絶対にやり返さないことです。やり返していては何の進歩もありません。そんな低俗な嫌がらせには、徳の高さ・人格で上回り、こんな人に嫌がらせをしていたなんてなんておろかだったんだ、と感じてもらえるくらいになれれば最高です。
ひとりひとりの小さな積み重ねで、今後差別が無くなっていく、少なくとも社会的な地位向上への近道になればいいな、と思って日々地道な行動を積み重ねていきたい。