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公開日:2020年3月16日
更新日:2020年4月24日
新型コロナウィルスが猛威を振るっている。中には内定取り消しや、就職・転職の先送りなどの事態に追い込まれた人もいることだろう。大規模な災害としてリーマンショックや東日本大震災と比較している例も多い。実際に私も、リーマンショックと大震災の影響を多大に受けた。
リーマンショックでアメリカの博士留学は断念したけど、そのおかげで2年後修士後にケンブリッジ大学にフェローシップ・船井奨学金で行くことになり、コーフボールもここで始めたので、人生万事塞翁が馬だと切に感じるようになった。
なのでコロナで就職・転職上手くいかなくてもめげないで欲しい。— 篠原肇 (@HajimeShinohara) March 13, 2020
以前は高校生向きにこんな記事を公開している。人生、受験/就職/進路の失敗談とその後。希望通りに行かずに落ち込んでいるあなたに
人生は、人間万事塞翁が馬であることは言うまでもなく、世界的な偉人の自伝でもそのような話は枚挙にいとまがない。しかしながら、存命でない方の話では、あまり実感がわかないのも事実である。特にケンブリッジ大学を訪れていた高校生に説明する際には、いかに私が普通であったかを説明したほうが実感がわいたようである。
失敗した直後はショックが大きい。しかしながら個人的には、挽回も意外とどうにかなるものだと感じているため、微力ながら個人的な経験を共有しておきたい。
挑戦すると失敗する
成績上位者にも名前も載るなど、まあ受かるだろうと思っていた東京大学に落ち、大学に入学した私は、もうこの世の終わり位に感じていた。
しかし進学先の慶應義塾大学で、大学院で留学する話を始めて聞いた。特に気にしていなかった大学の評定平均が重要で、英語もTOEFL iBTが最低100点というかなりハードルが高い点数が必要という事実を知った。これにより評定はオールAになるように取り組み、得意でもなかった英語も、(バイトやサークルは行いつつも)空いた時間はずっとイヤホンで耳をふさぎ主にリスニングをしているような状態で対策を行っていた。学部2年から対策をはじめ、学部4年生で研究室に配属され研究が始まっても、スコアをクリアするため空いた時間はひたすらずっと続けていた。
出願した年は、リーマンショックの影響を多大に受けていた。結果としてアイビーリーグの一角から合格は出たものの、リーマンショックの影響で予算が無く、奨学金は出せないとのことであった。年間500万円の学費が払えるわけもなく辞退せざるを得なかった。自分の努力や準備ではどうにもならない予期せぬものにぶち当たる経験をした。正々堂々と勝負して負けた、のような感じではなく、気持ちのやり場が無くなった。丸2年間のストイックな生活も結局結果が実らずに終わった。理由がアメリカでの株価の崩壊という自分ではどうしようもないもので、なんともやりきれない。当時は財団からの奨学金なんて天才しか通らないと思い、スコアを揃えるほうが大切でどうせ落ちるなら時間の無駄じゃないかと思って応募すらしていなかった。さらに年が明けた東日本大震災で学部の卒業式は中止になった。泣きっ面に蜂とは正にこのことである。もうどうでもよくなっていた。私の人生は一度も報われることはないらしいとすら感じていた。
結局、一応出願していた慶應義塾大学大学院へ進学した。こちらは評定平均はまともに気にしていたために試験すら免除で合格をしていた。元々はいく気は全くなかった慶應の修士は、これはこれで得るものがあった。金の重要性を不意に思い知った私は、大学や奨学財団のお金の流れや構造、審査員が気にするポイントを徹底的に調べた結果、特に奨学金や研究費の申請が上手くなった。
【民間/大学】海外留学奨学金(給付・返済不要)の出願のコツ【志望/理由】
日本での就活も一応行った(外資系投資銀行中心)。GPAも4.00/4.00を当然のように維持した。結果として2年度の2度目の出願となる修士取得後には、助成金を獲得し参加した国際学会で、後の指導教官に会い、また別のところから助成金を獲得し、2か月間のインターンシップを行い、その経験を持って出願を行った。結果ケンブリッジ大学に日本人で史上初めてウィントン特待生として選出され、さらに日本の奨学金もいくつも採用され、最も条件が良かった船井情報科学振興財団の奨学生として進学することになった。奨学金は天才しか通らないと思っていた時とは別人のようである。
しかし今度は、教員の露骨な嫉妬と思われる「俺はセクハラはしないけどアカハラ・パワハラはする」と発言しながら行う故意の激しい攻撃や「データの捏造指示」に当たる命令により、オールAで半年間の留年することとなった。さらに半年の学費は私が出すことに。PTSDと診断され投薬治療を行った(現在は完治済み)。なお故意のパワハラでPTSDを発症させることは傷害罪に当たるようである。ハラスメント防止委員会は隠蔽ととれる結論を出した。結局学位授与式には出ることが出来なかった。
犯罪や嫌がらせはやめてほしい限りだが、これも頑張っていい見方をすれば、サイコパスやADHD・自己愛系の関わったらヤバい奴を雰囲気や視線から見抜く力が身に付いた。このスキルは今でも役に立っている。
ケンブリッジ大学博士修了間近の際には指導教官が、再三伝えていたものの、締め切り前に提出許可が下りなかった結果、ビザが失効になりイギリスからの退去命令が出た。卒業後は1年間働けるビザが申請できるのであるが、それも失効になった。これによりひたすらヘッドハンティングメールは来たものの、少なくとも私のEUでの就職活動が激難化した。留学生のビザ事情は気にしてほしいものだが・・・。よって半ば、日本での就職が余儀なくされた。この時は「せっかくグローバル環境でも認められるようになってきたのに、私のグローバルキャリアはもう終わった。」と感じたのは言うまでもない。
しかし、関係各所で日本に残るという話をしたところ、日本でスポーツ団体を法人登記し立ち上げることになり、ひょんなことから日本に滞在する必要性が出てきた。結局ヘッドハンターから来た非公開求人により外資系企業に就職をした(募集を公にしていない企業の非公開求人に「ヘッドハンター」と名乗る人から連絡を受け採用されたので、まあこれはこれでいいのだろう。実際に一部業界や一部大学にはヘッドハンター自身が連絡をすると言っていた。まあリクルーターでもヘッドハンターでもどうでもよい。なお香港のクオンツファンドからも採用戴いたが、仮にこっちにいっていたら、香港の暴動と今の株価の暴落でひどいことになっていたかもしれない。)
外資系とはいえ日本支社では、グローバルキャリアへは半ばあきらめた気分のまま日本で働き始めた。
海外大博士から見た日本と海外の働き方の違い。評価や態度の差を目の当たりにした話
しかし、入社後に、日本支社へ駐在していたエクスパット(本社からのアジアCEOとしての駐在員)の方がケンブリッジ大学卒であったことも関係があったか、ほどなくしてグローバルプロジェクトにも参画するようになり、結果として1年目から1年間の3-4割は海外出張をしている。ついでにいろんなものが上級会員になったし。1年で昇進した。なんだかグローバルキャリアは終わったどころか、むしろグローバルに引き戻されている気分である。
ただこれも、軌道に乗ってきたかと思いきや、現在の新型コロナウィルスで国をまたぐプロジェクト自体が停滞気味である。引きこもりがちになっている現在では、在宅勤務になり時間の余裕を生かし、関連分野の重要な国際資格をいくつか取得した。まだいくつか取得予定である。これが良くなるか悪くなるかは私もわからない。ついでに企業自体が独立子会社であった状態が買収され事業部化して知らぬ間に別の会社の社員になってしまった。
上記は進路についてみてきたが、進路以外でもこのことが多くあてはまる。
ケンブリッジ大学に在学中に多方面に取り組み成果が出たのも、本業の物性合成で再現性が取れず「あ、このまま行くといい成果は出せないな」と学術に諦めを見出したためである。
アウトリーチトークでネイティブを抑えて優勝するまでの実績を出せるようになったのも「トピックが難しいとはいえ、分からなすぎる。説明の問題?」と飲み会でさらっと言われたためである。
サイバーセキュリティに詳しくなり、システムに関する国際資格を取得するまでになったのは、ハッキングをされてウェブサイトを壊されたことがきっかけである。
今となっては団体も立ち上げ投稿サイトに寄稿し、日経新聞からも取材を受けるようになってしまったが、このきっかけとなるコーフボールを始めたのは、欧米人に比べ背が低く出場機会が少なかったためである。
人間万事塞翁が馬・カンディード
人生はどこでどうなるかが分からないという話は、故事成語「人間万事塞翁が馬」にある。実際にたとえ希望がかなわなかったとしても、もしかしたらそのほうが結果としてよかった可能性すらある。そもそも内定していた企業が今後もうまく行くかは誰もわからない。突然粉飾決済でつぶれたり、希望しない部署に飛ばされたりもありうる。反対に自分の希望が通らなかったことがかえっていい方向に働くことすらあり得る。
人間万事塞翁が馬
読み方:にんげんばんじさいおうがうま
意味:人生の幸不幸は予測できないものだというたとえ
昔、中国の北方の塞(とりで)の近くに、ある老人が住んでいた。
その老人が飼っていた馬が逃げたという不幸があったが、しばらくするとその馬が別の優れた馬を連れて帰っくるという幸福が訪れた。
今度は、その優れた馬に乗った老人の息子が落馬して足を折るという不幸があったが、そのおかげで兵役を逃れられた。
こういうエピソードは歴史的な偉人伝にも多く出てくる。
「歴史的な偉人が意外と人間味があり、こいつら普通なんじゃないか?」と感じるためにも古典の読書は有効なのではないか?と思う話はこちらの記事を参考されたい。古典読書の具体的な効用
日本の倫理教育では、モンテスキューやルソーよりも目立たない人物のような扱いを受けている印象があるが、ヴォルテールという哲学者がいる。このヴォルテールの作品のひとつ、カンディードはおすすめである。フィクションだが「悪かった」と思ったことで命拾いをしたりという話が続く。
名作文学批評シリーズ(8)ヴォルテール「カンディード」を読む
実力はあなたを裏切らない
理由はどうであれ、期待は簡単に裏切られる。努力にだって、友人にだって、おそらく資産にだって裏切られる。ひどいもんである。感染症や大地震、株価の暴落など、もう自分が普段察知しているレベルではないことですら、突然やってくる。そして個人ではどうにもできなく、さいなまれるだけである。しかしながら、過程で得た経験や実力はあなたを裏切らない。
目標を立てて日々準備をしていくと、仮に希望通りにうまく行かなかったとしても、滑り止めやBプランの質が上がっていく。要するに「最悪でもこれ」というもののレベルが上がる。またチャンスが来るのを待てばいい。どんな進路に行こうとも、世の中はチャンスや機会にあふれている。場合によっては向こうからやってくる。しかしこれも、自分に十分な実力が備わっていない限り、見えもしないし、気付きもしない。
「宝くじを当てても、5年後には元に戻る。むしろ不幸になる。」というのはよく知られている。なぜだろうか?私はこれは、実力不相応なものは手元から離れていくのではないか、と考えている。これはおそらく逆も成り立つ。仮に実力が足りている状況でも、天災やパンデミックのような、どうしようもない理由で阻まれた場合、数年後には本来行くべき場所へ移っているのではないだろうか。
今回の新型コロナの影響で進路や仕事に影響が出る人も出るだろう。しかし、何事も渦中にいる間は、良いのか悪いのかはよく分からない。しかし後で振り返った際に「あ、あそこで落とされてよかったわ(笑)」とネタに出来るよう、次のチャンスを生かすためにも、元の位置に戻るためにも、日々実力を積み重ねていきたい。