海外(イギリス)での引越しに、日本文化を垣間見た。荷造り/挨拶


研究グループが引っ越すことになった関係で、私も実験室とオフィスの引越しがあった。一番最初にケンブリッジ大学を訪れてから、もうすぐ4年当時はロンドンオリンピックの前であった。そのときから、キャベンディッシュ研究所のオフィスには合計約3年いたことになる。道具があったり、装置があったりするので、時たま戻ってきたりはするものの、基本的には移ることになる。そんな引越しのときに文化の差・感覚の差が現れた。

研究室の引越し

一般的に大学において、グループの責任者が他大学等の他の機関へ移籍をする場合に研究に利用している設備やオフィスごと引っ越すことがあります。私の場合は、学内の新設の建物に移ることになった関係でオフィスと実験室を引っ越すことになりました。

ただ、引っ越すといっても何キロも離れた建物ではなく、すぐ隣の建物への引越しです。事実上の道路を挟んで向かい側。徒歩2分。このため、引越しも一部の精密機器以外は自分で台車を使って移動。正にこんな感じです。

引越し先のオフィスはこんな感じです。

こちら学生オフィスです。一人机1つ。聞くところによれば、日本の大学教授よりも広い場合もあるのだとか。

コンセントの他にUSB接続端子があり充電も出来る様子。

アジア人と欧米人の差

さてそんな引越しの中、文化の差を垣間見ました。

荷物の量

荷物の量に明らかな違いが見られた。日本人の私やインド人の同僚はラック1回で運びきれない量の私物を有していたが、ヨーロッパの人は、台車どころか、台車無しで運べそうな荷物の量であった。

確かに空港でスーツケースを運ぶときにも、一般的にアジア人は荷物が多く、大き目のスーツケースが場合によっては2個以上であることも珍しくないのに対し、欧米人は小さめの機内荷物だけという場合ですら見かけてきた。

サンプル数は少ないが、おそらくこの傾向は、旅行以外の荷物にも言えそうである。

物に対する愛着

荷物

3年間同じオフィスにいた関係で、私はオフィスの机付近をいわば「デコ」っていた。例えば壁には、行った箇所で毎回買っていたポストカードを逐一壁に貼っていた。カンヌ映画祭のものなどもある。

友人から貰ったAlice in Wonderlandのまで貼っていたら、同僚からは「おお、不思議の国にも行ってきたのか」とからかわれた思い出まで。この「作品」を剥がすのは、非常に惜しかったので、とりあえず写真にとっておくことにした。

欧米人的には「早く剥がしたら?」とのことだった。

他にも途上国のプロジェクトでタンザニアに赴いた際に買った木製の像の置物や乗り継ぎのドバイで買ったラクダなど。

これも彼らにいってしまえば、「確かに、これいいけど、必要なもの?」というなんとも少し冷めたような反応が。

掃除

これもまた欧米人、とひとくくりにするのはどうかとは思うが、彼らは自分の荷物をまとめて移動した後、ゴミや使わなくなったホチキスなどを放置。要らなくなったダンボールなどは「どうせ誰かが使うでしょ」といった感じで放置していってしまった。

方や私は、全ての荷物を片付け、机周りの掃除をした後に、ずっと使っていた机や、部屋に思わず一礼してしまった。 スポーツの捉え方と同様、道場や体育館に一礼するように、日本人は、使っていた道具にも感謝の気持ちを表することを、心に根ざしているのかもしれない。

例えば日本では、武道での道場ではもちろんのこと、同じ流れで体育館やプールにも入る前と入る後に一礼したり、場合によっては「よろしくお願いします!」「ありがとうございました!」と声を出している。スポーツ観の相違に関してはこちら。

文化の違いによるスポーツに対する捉え方の相違比較 -日本とイギリス-

 

「引越し」に対する見方

引越しの英訳は「Moving」特に特別な名前がついているわけではないらしい。風呂上りを英訳すると「After bath」になるのと同じようなものなのだろうか。ここに捉え方の差がにじみ出ているようである。

いわゆる日本文化では、住んでいた建物や場所へ少なからず思い入れが欧米よりも強い傾向があるために、ただの「移動」ではなく、「引越し」という単語があるのではないでしょうか?(いや知りませんけどね。)語源を調べてみると2説あるようです。

「引退」「身を引く」などの「退く」の意味から、現在の居場所から退いて越す。

「貨車を引く」の「引く」で、たんすなどの生活道具を貨車に載せ、それを引いて越していたことから

引越し(ひっこし) – 語源由来辞典

どちらにせよ、(見方によっては)場所や荷物に思い入れが強い印象を受けないだろうか?特に2番目の荷物に関する言い回しが関係しているという説は、日本人(アジア人?)の道具に思い入れが強く荷物が多くなる傾向と一致していないだろうか?

日本人は比較的終わりを重視する傾向にある?

日本文化は「礼に始まり、礼に終わる」というように、開始に加えて、終了も重視している印象である。いわゆる欧米式では、開始には比較的重きを置くように思うが、終わったときは何もないことも多い。日本人が後片付けを(好んで?)するのもこの影響でしょうか。

ほかにも例えば日本での食事の「いただきます」と「ごちそうさま」のように食事の最初と最後に挨拶をする。こちらでは、そもそもその挨拶がない場合も多い。フォーマルディナーのグレースという食事の前の挨拶はあるが、終わったときの挨拶は結構あいまいである。コーヒーを飲み終えたら勝手に帰ってよい。なんとなく「終わりは重視しない」印象。

実在のハリーポッターのようなディナー「フォーマルホール」

こちらでは移動や引っ越しをするときも、入居するときは挨拶する人も多いが、転出するときは勝手に出て行っている傾向が強いように思う。これも考え方によっては、出て行ったあとは関わることがないのだから、放置でもいい、ということなのだろうか。

終わりに

神は細部に宿るというように、こういった細かいところに哲学や精神はにじみ出てしまうようである。サンプル数が非常に少ないことと、基本的に私の経験と見方によるので、科学的な信憑性はありませんが、このような傾向はあるのではないでしょうか?

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